小さな手には
子どもが動く理由など、ごく単純なものだ。
嬉しかったんだ。褒めてもらえることが。
『オズワルド、筋がいいぞ』
木の棒を持って見よう見まねで振り回す。それを見たメルヴィンは、いつもの冷静な瞳の中に感情を浮かび上がらせた。
足元もおぼつかない幼子を前にして、すでに魔剣について考えていたのだろうか。
それとも、単純に喜ばしかったのだろうか。
(そういえば、メルヴィンが剣を握ったところを見たことがなかった)
妖精は、女性は杖や弓を持ち、男性は剣や槍を持って戦う。けれど、メルヴィンはそのいずれも持っていた様子がなかった。
(握れない体だったのか?)
本人がいない今となっては、想像するしかない。
『オズワルド。人間の男でも、剣は持てる。羽が何だ。そんなものは只の飾りだ。お前には大地を強く踏めるその足があるだろう』
近頃思い出すのは、物心がついた頃に聞いたメルヴィンの言葉ばかりだ。自分自身を物として扱ったという事実は変わらない。実の父の元からどうやって彼の元へ行ったのかも詳しくわからない。本当に自分を育てようと思っていたのかも定かではない。
それなのにどうして…。
「おとうさま」
はたと気がついて、ぼんやりと宙を向いていた視線を地面へと下げる。
いつの間にそこにいたのか。子どもが、顔や服を泥で汚した姿でそこに立っていた。
「随分汚したな。楽しかったか?」
その問いに、子どもは破顔する。そして、ぐいと手を差し出した。
小さく固く握り締められた手の中には、蛇の尻尾があった。蛇の頭は地を向いて、何とか逃げ出そうと身を捩っている。
得意気な顔をして、子どもは「あそこで見つけた」と、すぐ近くにあった木の洞を指差した。
どうやら、わざわざあの中に体を突っ込んで蛇を引っ張り出したらしい。集めていた今夜の食材を一旦置くと、その小さな手から蛇を受け取った。
「あっ」
蛇はすぐに俺の手の中から滑り落ち、するりするりと草の間を這っていく。
そして、俺が逃がしてしまったことに呆然としている子の頭をくしゃりと撫でた。
「食べるのでないなら、むやみやたらと捕まえないほうがいい」
「どうして?」
「あの蛇も、一生懸命遊んだり眠ったりしているからだ」
その言葉を納得できたのか、どうなのか。子どもはじっと蛇の去った方向を見つめていた。
終焉という言葉を、この子はまだ知らない。自分が終焉の後に最初に生まれた人の子だということを知らない。
この広い大陸に、たった三人の人間と二人のプーカしか、言葉を話せる者がいないということを―――――いや。むしろ、以前の世界には多くの人間や妖精、ドワーフや炎の民がいたのだということの方が、想像もつかないのかもしれない。
「さあ、帰ろう」
元気に汗を流す子の頭をもう一度撫でると、黄昏時の光の中、愛する者の待つ場所へと足を向けた。
『オズワルド、手を開け』
小さな手を、メルヴィンはそっと解いた。
ぴったりと合わさっていた手の隙間から、光の粒が零れて宙に舞っていく。
それが小さな妖精なのだと、その時はまだ知りもしなかった。
『どんなに小さくとも、命有る者だ』
そう告げるその横顔を、不思議な気持ちでずっと見つめていた。
「俺は、父としての役割を果たせているのだろうか」
夜の闇の中、呟いた言葉。隣の妻が身動きするのがわかった。
「何か、あったのですか?」
「いや…」
ただ、不安に駆られる時がある。実の父に育てられなかった自分は、父と、そして母がどのようにして子を育てていくのかを知らない。そんな自分が、今は人類の父だ。務まるのかどうか、正直自信はない。
だが妻の一言はいつも的確で。だからこそ、俺はこうして不安を口に出せるのだろう。
「この子の父親は、オズワルド様だけです」
「……そう、だな」
誰も口を開かなくなると、聞こえてくるのは健やかな寝息。
明けぬ夜はない。そう言ったのは誰だろうか。
荒れ果てた大地は蘇り、新しい命はすくすくと育っていく。
―――明日は、川に魚でも獲りに行こう。子どもと、それに妻も連れて。
2007年06月21日UP
メルヴィンは実は優しかった派です。オズの幼少期が見たかった。
あと、蛙に食べられるくらいの小さい妖精がいるんだと勝手に決めてかかりました。まさか、あの人間サイズのを丸呑みするわけじゃないだろう…。