Polaris

再会

 何もない真っ暗な空間。

 足元があるのかもないのかもよくわからない。

 初めて入り込んだ世界。

 蛍火のような消え入りそうな光が燈り、自分がどこにいるかに気がついた。

 二人の女性の前に私は居た。

 光が燈るまでは気がつかなかったけれど。

「ここにこうしている理由はわかっているわね? レナス、シルメリア」

 そう言った女性は顔だけが白く浮かんで見えたが、よく見ると、全身が漆黒の鎧、長い髪の色も漆黒だった。

「ええ、アーリィお姉様」

 麦畑のような金髪の女性が、はにかむような笑みを浮かべる。浅葱色の鎧もその髪も、闇の中でさえ淡く美しくみえた。

「呼び捨てで構わないわ。姉妹とは名ばかりだもの。今後会う事もきっとないだろうし」

「ふふ、でも折角だもの。ねぇ、レナスお姉様?」

「…そうね」

「何か不安?」

 気のない返事を疑問に感じたアーリィが尋ねてくる。

 不安…というと、ちょっと違うのかもしれないけれど。

「二人を見ていて、私はどういった戦乙女になるのかと考えていただけよ」

 シルメリアが目を丸くする。三女というだけあって、自分やアーリィと比べるとやはり幼い感じがするのね、と妙に冷静な部分で考えていた。

「なるようになるわ。戦乙女として、私達は創り出されたのだから」

「それに、人として転生して人の気持ちが理解できれば、きっとエインフェリアとも仲良くなれると思うわ」

 シルメリアのその言葉には、アーリィは少し眉根を寄せた。彼女は人の魂と仲良くなる気はないのだろう。戦争のためにエインフェリアを集めるのだから、それは間違ってはいない。

「…人の一生ってどういうものなのかしら」

 人がどんな気持ちで生まれ、生きていくのかがまだ理解できない。死へ向かって歩んでいるだけだというのに。自分の事すらまだよくわからないのだから、他人の事などわかるはずもないのかもしれないけれど。

 まだ神としても生まれたての自分。けれど、人のように未熟な状態で生まれたわけではない。自分は何を知っていて、何ができるのか。曖昧でよくわからないと思う私が、おかしいのかもしれない。

「人の一生なんて短いけれど、また神に転生できるまでに何人分を味わう事になるのかと考えると気が遠くなるわ。もう少し長くは生きてくれないものかしら」

「そんな言い方は酷いんじゃないかしら。儚い生き物だもの。生きたくても生きられないのよ。神とは違うわ。それよりも、どんな人生を送れるのかが少し楽しみ」

 どんな人生か…幸せなら、それでいい。どういったものが幸せかはまだわからないけれど。死んでやり直せる分、もしかすると神より人のほうが気が楽なのかもしれない。

「まぁ、どういうになるかは始まってみなければわからない。健闘を祈りましょう」

 わからない事を考えても仕方がない。アーリィは現実的だ。

「お互いの波動を感じた時は、近づかないようにね」

 本来の集まった目的に話題を移す。お互いの事を知っておかなければならないから、わざわざこうやって顔合わせをする事になった。アーリィが淡々と説明を続けた。

「人として転生していても、嫌な予感、のように波動を感じると主神はおっしゃったわ」

「はっきりとお互いの波動だとはわからないのね」

 私の問いにアーリィはうなずいた。人として生きている間は神としての記憶はないから、波動というもの自体がきっと理解できないのだろう。

「どうして近づいてはいけないのかしら?」

 シルメリアの言葉には、寂しそうにしている響きがあった。

「人でいる時には他の人と同じように、神とは無縁でいることが必要なのだと思うわ。

 お互いが人として転生していても、もしお互いが関われば何かしら影響が出てきてしまうんでしょう。神の状態で会うのはもちろんとして」

 人として生きている間に、もしもヴァルキリーとしての姉妹やエインフェリアに出会ったら、少なからず今の事を思い出してしまうかもしれない。そうなってしまえば、人の心を知るために転生するのに、やはり意味がなくなってしまう。

「それなら、これで最後なのね」

「ラグナロクが終われば、どうなるかわからないわ。さあ、行きましょう」

 目を閉じる瞬間、光の粒になっていく姉妹の姿が見えた。

「今のは、アーリィ…」

 身を潜めながらも、思わず口をついて言葉が出た。

「ヴァルキリー、ここはどこだ?」

「ねぇ、さっきの黒いの、アンタに似てない?」

 先程の装置、蘇った亡失都市…ここは過去の世界?あの波動は、間違えるはずもない…。

「…お前達は私の中へ戻れ。この辺りを調べてみる」

「ちょっと…!」

 抗議の声を上げたメルティーナや他のエインフェリアを取り込み、街娘の服装へと姿を変える。

 アーリィも私に気づいたようだった。協力を仰ぐ事はできるかしら。

 平静を装いつつも、片っ端に人々に話しかけ、状況を把握していく。そして辺りを見渡して隈なく異状を探す。けれど、時代が違いすぎる。私の時代では失伝魔法だったものも、この時代では普通に存在しており、どれが本当に異状なのかがわかりづらい。

『やっぱり城の中を探したほうがいいんじゃないの?』

 人々の話を聞けるだけ聞いた時、頭の中にメルティーナの言葉が響いた。確かに、隠し部屋の話もあった。そこに奴らがいるかもしれない。

 街の異様な雰囲気も気がかりだったが、とにかく城へ行ってみようと思い、広場に集まりつつある人の波に逆らいながら城を目指して走り出した。この時代で神として生きているアーリィを訪ねたほうが簡単かもしれない。しかし、そう思いつつも彼女に会いに行く気がしなかった。「嫌な予感」とはこういうものなのだろうか。本能的に彼女を避けている。

「…え?」

 瞬間、頭の中が真っ白になる。

 水に潜ったかのように慌しい雑音もが途絶える。

 混乱した頭で、一瞬だけ感じたかすかな波動を追おうとしたが、人波で何もわからない。

『ヴァルキリー?』

 アリューゼの声で雑音が戻ってくる。

 自分が走り続けているという感覚が戻ってくる。

『どうした?何かわかったのか?』

「…いや、気にするな」

 アーリィがいるのはわかる。彼女はこの時代のヴァルキリーだから。けれど、シルメリアもここにいる…? 彼女も、お互いに近づかないという決まりは知っている。知らなくても、本能で遠ざかろうとするはず。この狭い空間に三姉妹が揃うなどと…。

 ますますと嫌な予感がし、背筋に冷たいものが走った。顔には少しも出さなかったけれど。

 とにかく、一刻も早く戻らなければ。

 こうしている間にも、ラグナロクは近づいている。

『行っては駄目よ!』

 頭の中で声が響く。この時だけは、この声は煩わしい以外のなにものでもなかった。

『引き返して、アリーシャ!』

 嫌よ、絶対に私はあそこへ行く。

 シルメリアへ心の中で返事をしながら、もっと速く、と足を急かした。最後にお父様に会ったのはいつだったのかしら。優しく頭を撫でてくれたのは。

 思い出すのは優しい甘い想い出の中の父親。その父親が殺されようとしている。

 意味もなく。民衆の目の前で。

 神とは何なのかしら。誰もが、神は見守ってくれる存在だと、人々を幸せにしてくれる存在だと信じているのに。

 人込みを掻き分けながら進む。

 視界が歪んで、涙が頬を滑り落ち、何が起きようとしているのかを考えると世界が引っくり返りそうに思えた。

 涙で潤んだ視界。

 急に目の前が眩しくなった。

 溜まっていた涙が全部零れ落ち、足が止まる。

 アリーシャは、弾かれるようにして振り返った。

 忠告など無視して走っていたのが嘘かのように。

「今の…誰?」

 人の波を逆に進んだ銀の矢のような人物を探すが、流れ続ける人波の中ではその人は、もう見つけられなかった。

『……』

 叫び続けていた頭の中の声が止む。私が立ち止まったからなのか。

 綺麗な人。まるで人ではないような。

 綺麗な髪。それも、まるで人のものとは思えない。

 時々夢に見るシルメリアの姿と、先程の銀の矢は似ていた。顔が似ているとか、姿が似ているとかではなくて、言葉にはできない雰囲気が。

「シルメリア…今のは」

 今までとは逆方向に足が進みそうになる。

『駄目よ!』

「あちらへ行くな、こちらへ行くなと…私はどうすればいいの?」

 心の中で言い返しているつもりが、口をついて出ている事に気づかない。騒がしい人々の中では、彼女の小さな声は消え入って頭の中にしか響かなかった。

『すぐにでもこの国を出ましょう。今はここの民に気づかれるだけであなたは殺されてしまう』

 国王は処刑台のもとに。女王はどこか人の目の届かないところに。この状態で王女が見つかれば、きっと国王の元へ連れてゆかれ、同じ運命を辿る。万が一処刑を逃れることができても、一生日の光を浴びることができなくなるだろう。

 今は、神にすら追われているのに…お父様…。

 彼女を追ってきた仲間達が人込みの向こうからやってくる。

『…レナスお姉様…』

 吐息とともに出たその名前は、今は王女の耳には入らなかった。

 どうしてレナスの波動まで感じたのか…やはり、この状態が異常なのだ。

 漆黒の羽飾りの下に閉じた瞳を隠し、耳をすませてみるが、今はもう何も感じ取れなかった。

 しかし、そんなことを考えたところで何も解決はしない。今できることをすればよいのだ。

「ヴァルキリー様」

 エインフェリアの声に顔を上げる。

 広場には多くの人々が集まっていた。こいつらはなぜここに集まってきたのだろう。王の最期を見守りたいのか。神であるヴァルキリーが見たいのか。ただの興味本位なのか。何度転生を繰り返しても、人の心を理解するのは容易ではない。何より、今の私自身は神なのだから、わかるはずもない。

 泣き顔が見える。罵声が聞こえる。指をさして笑う姿が映る。これから死んでいく王への反応は面白いほど様々だった。

 シルメリアは、どう思っているかしら。

 初めて出会った時の穏やかな笑顔は、三姉妹の中では彼女だけができるように感じた。あなたのことが嫌いではない。けれど、歪みを放置しておくわけにはいかない。

 レナスならどうしたかしら。

 事の成り行きをじっと見守っているかもしれない。こうやって大々的に処刑を行うよりは、こっそりと神の剣で始末をつけるかもしれない。しかし…。

「よし、始めよう」

 エインフェリアに合図を出し、足を踏み出した。

 広場へと姿を現す。

 都市を見渡せるそこへ立った時、かすかに妹達の波動を感じた。

 いくつもの人生を歩み、私達は生まれた時とは変わったのだろうか…。

 その問いに答えるものはなく、今はもう波動も気配も感じ取ることはできなかった。

 2006年03月01日UP

 三姉妹の性格がほとんど妄想になってる…。