娘へ
コリアンドル村に長い冬がやってきた。一年中寒いところだが、本当の冬は寒いだけでは済まされない。短い期間に蓄えられるほども手に入れられなかった食料で食いつなぎ、あらゆる隙間から進入を試みてくる冷気と闘わなければならない。
たった一人の娘を亡くした後に過ごす、初めての冬だった。寒さに痛み始める関節を、ボロ衣の上からぎゅっと握り締める。そして、誰も聞いてはいないところで呪いの言葉を吐いた。
あんな娘でも、もう少しで金と食料になるところだったのに。
コリアンドル村は、プラチナの母であるライアが生まれた頃は比較的平和な村だった。短い春には花が咲き、夏と秋には木々や畑が急いで実りをつけた。冬の寒さも、暖炉の火でなんとか凌ぐことができたのだ。
プラチナの母、ということを考えるとその容姿はあまり似てはおらず、恵まれているほうではなかったが、子どもが十分な成長を遂げられるほどの食べ物はあったので、健康的だった。それが、急な寒波によって壊されてしまうまでは。
今年は天候に恵まれなかった。と村の人々は思った。
しかし、次の年も恵まれない。そしてその次も。年々寒さは厳しさを増し、畑はどれだけ努力しても荒地と化してしまう。
ライアが結婚して娘を産む頃には、子どもを売るというのは珍しいことではなくなっていた。
むしろ、子どもが生まれて、その子どもが金になるというのは女性の間では自慢できることだった。井戸端会議で子どもの値段を競い合うのはよそ者から見れば異常だが、そのように明るい話題にしてしまうことで、子どもを失う辛さを誤魔化していたのかもしれない。
プラチナは、ろくな食事も与えてもらえなかったのにも関わらず、それなりに頬がふっくらした健康的で可愛らしい少女に育った。何よりも目をひく銀の髪は、くせもなくさらりと流れている。
『羨ましいわ。うちの娘はこれくらいにしかならなかったから』
指でその値段を表す。プラチナなら当然もっと値を上げてくれるだろう。けれど、ライアはあまり嬉しくなかった。むしろ、娘を見ると苛立ちや怒りしか湧いてこない。
冷たい川の水と氷で血を流す手を見ているだけで、蹴り飛ばしたくなる。
我慢して自分の命令に従い、弱弱しく微笑んでみせるその頬をぶちたくなる。
(どうしてこんなロクデナシが)
酒を飲むだけの夫とはまるで正反対の、誠実な少年と親しくできるのだろう。
(ロクなものも食べてないくせに)
自分から産まれてきたくせに、どうしてこんなに綺麗なのだろう。
戦乙女として転生するまでは、余程のことがない限り娘は死なない…などということは、彼女はもちろん知る由もない。
(こんなグズ…まるで役に立ちゃしない!)
懸命に働く娘を見ては怒鳴りつけ、殴っていたことを彼女は思い出していた。
「…あんなのでも、もし金になっていれば…」
足腰が弱りすぎてベッドで寝たきりに、なんてことにはなっていなかったかもしれないのに。
プラチナが死んだという鈴蘭の草原は、昔に遠くから見たことがあるだけだった。しかし、自分は今こんなに痛く苦しいというのに、娘は毒でころりと痛みもなく死んでいったのだというのだから、それがまた憎らしい。
その娘を家から連れ出した少年は、娘の代わりにと連れて行かれたが、金にはなってくれなかった。途中で逃げてしまったらしい。娘と揃って、どれだけ怨んでも怨みきれなかった。
その二人は、思い出せばいつも笑っている。幸せなんて欠片もないこの村で、些細なことに幸福を感じていた。
目を閉じると、瞼の裏にその光景が蘇る。どうしてこんなことを鮮明に覚えているのだろうと不思議に思ったが、答えが出る前に、彼女の意識は遠ざかっていった。
レナスの足が止まる。彼女に取り込まれているエインフェリア達は皆不思議に思った。この寂れた村は、一通り回ったらすぐに離れるだろうと考えていたのだ。それほど、この町には何もない。人もほとんどいなかった。
『どうかしたのか?』
頭にアリューゼの声が響く。他のエインフェリアが耳を澄ませているのがわかった。
「…死にゆく者がいる」
今にも崩れてしまいそうな色褪せた家へと、彼女はしっかりとした足取りで向かっていった。
『新しいエインフェリアを見つけたのですか?』
答えはそうではないと薄々感づいていながら、ロウファは尋ねずにはいられなかった。
『不死者か?』
次は、どこか嬉しそうなアリューゼの声。レナスは「そうかもしれない」という曖昧な返事をして、家の戸を潜ると同時に甲冑を身に纏った。
家の中はしんと静まり返っていて、物音一つしない。しかし、レナスは気配を頼りに進んだ。至る所に転がされた酒瓶を避け、埃が積もり始めた狭い部屋を横切り、目の前に見えてきた、蝶番の取れかけた木の扉を開いた。
不気味なほどの静寂に、いつ呼び出されるかとエインフェリア達が戦闘の心積もりをする。
しかし、その部屋には小さな箪笥とベッドしかなかった。空だと思っていたが、骨ばかりに痩せてしまった女性が横になっている。空だと思ったのは、その体があまりに薄く生命を感じさせなかったからだろう。
レナスはそっとその傍らに立ち、女性の顔を見つめた。皺だらけのその顔からは、年齢もよくわからない。老婆というにはまだ若いようにも思えるが、そうでないようにも思えた。どちらにしろ、その命の灯火は消えかかっているのだが。
死んだ時、その者が不死者になるか、それとも…と思考を巡らせていた時、もう開くことはないだろうと思われた両の目が細く開かれた。そのことに、少し驚く。
「…看取りにでもきたのかい」
掠れた小さな声だった。その声には少なからず憎悪のようなものが感じられて、レナスはそっと剣の柄に手をやる。
「その格好…結構、似合ってるよ」
自分が何を言っているのかほとんど自覚もないままに、女性の瞳からは光が失われていた。
レナスの手は剣から離れた。
『ヴァルキリー』
ジェラードの声がする。
「私を誰かと勘違いしたらしいな。娘でもいたのだろうか」
『子を思う親の心は、身分も年齢も性別も関係ないのじゃろうな』
本当にそうだろうか…と一瞬レナスは疑問を感じてしまうが、その疑問はすぐに吸い込まれるように消えてしまう。この者は子を大切に扱わなかったような気がする、などと…なんの根拠もないことを、どうして自分が考えたのかが不思議だった。
「来世で、娘と幸せになってくれ」
ほんの少しだけ上げられていた瞼を手でそっと下ろす。
その場を去る時、もう一度その亡骸を見遣り、そのままにしていくことをどこか申し訳なく感じながらも、彼女は次の死者のもとへと向かっていった。
コリアンドル村は、以前よりさらにひっそりとそこに佇み、ただ崩壊を待っているかのようだった。
2006年09月18日UP
コリアンドル村は寂れすぎだと思います。それにしてはプラチナは元気だと思いました。
ヴァルキリーに転生するまでは死なない云々は勝手な想像ですが、多分そうじゃないかなぁ、みたいな。
資料集買ってないのでなんとも言えませんが。