Polaris

お返しの行方

 セフィーロ城の厨房は、今だかつて見せたことのない光景であった。

 オートザムのファイターが、なぜかエプロンをつけ、腕を組んで皆を取り仕切っている。

 そして、セフィーロの中でも重要な人物である何人かの男達が、剣ではなく、包丁と格闘していた。こちらも、皆エプロンをつけている。

 厨房の中に広がる甘ったるい空気の中で繰り広げられているその戦いは、異様としか言いようがなかった。

「皆して、頑張るわね…」

 プレセアのその声は、どことなく呆れた調子が混じっていた。彼女も、ジェオと並んでお菓子作りの指導に入っている。

 日々の仕事を猛スピードで片付け、彼らはわざわざ空き時間を作ってまでこの作業に取り組んでいた。ただただ、「ホワイトデー」のために、である。

 ホワイトデーは「バレンタインデーのお返しをする日」という風に一般的には知られているのだが、彼らはというと、その「お返し」の程度がよくわからないのだ。だからこそ、躍起になって素晴らしい物を目指して頑張っている。

 アスコットは、当然海のために作っている。それも、カルディナの「アピールや! 攻めて攻めて攻めまくるんや!」というやや強引な応援があったからである。海は甘い物が苦手、ということは、もちろんリサーチ済みだ。

 ラファーガはというと、バレンタインデーには誰からも貰ってはいないのだが(海のケーキは食べたが)、カルディナの「羨ましいなぁ」の一言でこの場にいる。幻惑の術にかかっていなくとも、上手に踊らされている彼であった。

 そして、さも当然のようにこの国の王子も参加していた。周りの必死さなどどこ吹く風といった感じで、ジェオやプレセアに細かい指導を受けながら、着々とお菓子を作っている。

 ジェオについてきたザズは、彼もフェリオと一緒で、必死というよりは楽しんでいるようだった。お菓子もメカも似たようなものなのかもしれない。ウキウキと、ヘラでボウルの中を掻き回していた。

 アスコットやラファーガと比べると見た目は落ち着いているのだが、一番近寄りがたい雰囲気を漂わせているのはランティスとイーグルだ。並んでお菓子作りに励む辺りは仲良しなのだが、無言で牽制しあっている辺りは少しも仲良しではない。

 その上、ランティスはというと、苦手な甘い匂いが充満しているために我慢の限界に近いらしく、いつも以上に近寄りがたい様子だった。眉がくっつきそうなほどに顔をしかめ、時々、その大きな体が危なっかしげに揺れた。平衡感覚が麻痺してきているのかもしれない。

「ランティス」

 イーグルの呼びかけに、ランティスはギロリと睨みながら顔を向けた。その彼の鼻先に、自分の作りかけのお菓子を突きつける。

 ボウルの中に入っているそのドロドロの液体から、バニラエッセンスに似た濃厚な匂いが立ち昇った。

「美味しそうでしょう?」

 そう尋ねたものの、ランティスに聞こえていたかどうかはわからなかった。

 ふっと瞳から光が失われたかと思うと、そのまま仰向けに倒れてしまったのだ。

 その振動で、テーブルの上から材料やら器具やらが落ちてしまう。

「大丈夫ですか?」

 当然、返事はないのだが、それを特別気にする風でもなく、大の字の格好をした親友と、彼の努力の結晶が無残に広がる床から目を離し、イーグルはジェオを呼んでお菓子作りを再開した。

 男達が珍しくも作ったお菓子を前に、人々は茶化したり感嘆したりしている。お返しを受け取った女性達の言動に一喜一憂しているその姿は、平和そのものだ。

 そして、何となくいつも固まっているそのグループでは、今は背の低い者同士がおしゃべりをしていた。

「でも…私、ザズには何もあげてないのに…」

「いいんだって! 好きで作っただけなんだし」

 頭を掻きながら冗談交じりのように明るく言うものの、ザズの耳はほんのり赤かったりする。そんな彼を、心の中でこっそりジェオは応援していた。ランティスやイーグル相手では到底敵わないだろうと思っているからこそ、弟のように思っているザズを応援したくなるらしい。

「ありがとう、ザズ」

 お礼を言われたことに、「いや~」と照れ照れしているザズだが、すぐに「敵わない相手」が出てきた。珍しく一番手を譲っていたイーグルだ。これも、余裕から来ることなのかもしれない。

「ヒカル。これは僕からです」

 はい、と彼が差し出したそれは、何やら湯気のようなものが出ている。ザズのように袋に入れていないので、光もザズも、きょとんと目を丸くした。

「オートザムのお菓子なんですけど、ヒカルが言っていた『アイス』って、これに近いんじゃないかと思ったんです」

 好物の名前が出た途端、光の顔がぱっと輝く。

「アイス? ありがとう、イーグル!」

 湯気だと思っていたものは冷気で、器を受け取ると、それさえもひんやりと冷たかった。季節は冬だが、アイスが一番の好物である光には関係ない。

「溶けてしまうので、どうぞ食べてみてください」

「うん。いただきまーす」

 インパクト負けしてしまったザズのお菓子は膝の上に置いて、光はスプーンを手に取った。さくっとした感触があるかと思ったのだが、何だかプルプルとしている。しかし、中央の方はシャーベットのようになっていた。

「冷凍ゼリーみたいだ」

「レートーゼリー?」

 小学校の給食を懐かしみながら少し口に含むと、食感を感じる暇もなくトロトロと溶けてゆく。

「どうでしょうか?」

「美味しいよ! 本当にありがとう」

 心の底から嬉しそうなその笑顔に、眠い体を引きずりながら作った苦労が消えてゆく。「良かった」とイーグルは笑顔を返した後に、不思議なお菓子を堪能している光にこっそり耳打ちした。

「ヒカル、ランティスなんですが」

「え?」

 今日はいないな、というのは彼女も気付いていたのだが、彼にも仕事があるのでそこまで深く追求しようとは思っていなかった。

「ランティスもお菓子を作っていたんですが、失敗してしまってあなたにプレゼントできなかったんです。きっとどこかで不貞腐れてるんで、会いに行ってあげてください」

 ここにはいないその人を労わるように目を細めるイーグルに、光は素直に頷いた。

 セフィーロ城の玄関ホールには、傾いた日の光でたくさんの長い人影ができていた。

 客人達は、そろそろ帰る時間なのだ。

「イーグルってさぁ…何だかんだで優しいような…でも、そうでもないような…」

 歯切れの悪いザズの言葉は、少し離れた所にいる三人の少女を見ながら発せられた。

 その輪の中で、光は手の中を嬉しそうに見つめている。小さな白い花束が握られていた。

「僕は、状況が違っても、友を大事にする人間ですよ?」

 無残な状態となってしまった菓子の代わりにランティスが手渡したのであろう花束を見ても、イーグルはにこにこと笑みを浮かべている。

 その隣で、ザズは首を捻っていた。

 気を利かせて光をランティスに会いにいかせたのはイーグルだが、ランティスが失敗した原因はイーグルだし、ランティスが倒れてもイーグルはそ知らぬ顔だった。やはり、優しいのかそうでないのかわからない。

「あそこで僕が慌てたって、床に落ちてしまったものはどうにもならないでしょう? あの大きなランティスをどうにかするのだって、僕には無理ですよ」

 自分の考えが読まれていたことに、ザズはぎくりとした。

「そりゃまぁ、そうだが…なんか合理的っつーか…」

 そう呟いたジェオの苦い顔にも笑みを返すと、イーグルは少女達からは視線を逸らした。

 壁にもたれかかり、別段興味のない…というふりをしている男と目が合う。

 青い瞳は、「何だかしてやられた気もするが、怒るに怒れない」と語っていた。

「とりあえず、今回はおあいこですね」

 異世界へと帰っていく少女を見送りながら、イーグルは一人ごちた。

 2007年05月19日UP

 長い間飾ってたホワイトデーネタです。

 一応「チョコは誰のもの?」の続きでした。