迷いの森
未だ療養中の身であるイーグルは、オートザムからわざわざ運ばれてきた書類の山を放り出して城内をぶらぶらと歩いていた。
(根を詰めるとよくないですし)
現在、ここにはオートザムの人間はいないのだが、それでも心の中で言い訳をするのはどこか後ろめたい気持ちがあるからかもしれない。しかし、万全でない状態で終わる様子のない仕事に没頭するのは到底無理な話である。こういう時は、誰かとのんびりおしゃべりをするのがいい。ランティスは今日は城内にいるはずだし、そろそろ異世界からの訪問者も来る頃だ。
中庭に行けば誰かいるだろうと思い歩を進めていると、窓から差し込む光のカーテンの向こうから、足早に誰かが近づいてきた。
「ああ、ランティス―――」
片手を上げて挨拶したところで、ランティスはイーグルには目もくれずに、今にも駆け出しそうなほどの速さで歩いていってしまった。
「……」
これでもかというほど眉間に皺を寄せていた親友の後姿を目で追いながら、イーグルはぽかんとその場に突っ立っていた。
事は、一時間ほど前に始まった。
「あっちゃー…やってもうた」
「どうしたの? カルディナ」
アスコットは、厨房で弁当を包んでいた。これから仕事なのだ。
「プレセアがな、指輪がないない言うててん。明日までの依頼品やねんけどな」
そう言って、カルディナはテーブルの影に隠れていた指輪を手に取った。
プレセアは、城中を探した挙句「家にあるのかもしれない」と言い残して帰ってしまったのだ。きっと、家中ひっくり返している頃だろう。
「アスコット、あんた届けてきてくれへんか?」
「えー! これから仕事だもん。魔獣招喚するから、カルディナが届けてきたらいいだろ」
「ウチも導師に呼ばれてるんや。な、行くついでに頼むわ」
「プレセアの家とは反対方向だって…」
そうしてやいのやいのとしているところへ、ひょっこり顔を覗かせたのは三人の少女だった。
「ちょっと、何騒いでるのよ」
カルディナがアスコットに指輪を押し付けているのに呆れて、海が言葉をかける。
「いや、な。アスコットが、プレセアへの届けモンを嫌や言うから」
「仕事なんだって!」
海の前で嫌な奴だと思われたくないアスコットは、必死で言い訳する。しかし、そうこうしている内に出発の時間が迫ってきていた。
「それなら、私が行ってくるよ。前に一度行ったことあるし」
貸して、と光が手を差し出した。
一度…というのは、初めて招喚された時のことだ。セフィーロは一旦崩壊したものの、地理的にあまり違いはない。海と風も、その点はあまり心配していなかった。何しろ、三人の中ではそういう野生の勘(?)的な部分は光が一番頼りになったのだ。
「じゃ、アスコット、魔獣貸したげてや」
「わかってるよ」
そうして、アスコットと光は二人で厨房を出て行った。カルディナも、クレフに呼ばれているからとその場を後にする。
「では、私達でお茶の準備をいたしましょうか」
「そうね。ケーキも切らなきゃいけないし」
厨房に取り残された二人の少女達は、和気あいあいと作業を始めた。
木の上で昼寝を決め込んでいたランティスは、やっとのことで目を開けた。
(…来た気配はしたが)
いつまで経っても、光が現れない。起こしてくれるのを待っていたのだが、あまりに遅いので自分から会いに行こうと決め、草の上へと着地した。
そして城の中をうろつき始めると、程なく、厨房へと差し掛かる。
「……」
耳慣れた異世界の少女達の話し声に、ランティスはその扉を開けた。
ぬっと現れた彼に先に気付いたのは風だった。
「こんにちは」
風のその言葉に、海もティーカップを取り出しながら声をかける。
「あら、光を探しに来たの?」
図星なので、正直恥ずかしい。ランティスから返事はないものの、海はいつものことと思って親切に教えてくれた。
「光なら、プレセアの家へおつかいに行ったわ」
「…オツカイ?」
「ええ、アスコットさんの魔獣さんをお借りして。一時間ほど前でしょうか?」
「そういえば、遅いわね。プレセアの家で何かご馳走になってるのかしら?」
さあ…と風が首を捻る。しかし、ランティスは最後の最後まで聞いてはいなかった。
「…アスコットの?」
ええ、そうよ。と海が答えると、ランティスは礼も言わずに踵を返し、靴音を高らかに響かせながら急ぎ足でそこを出て行った。
その突然の行動に、手を止めて、二人は呆然と扉を見つめていた。
廊下にまで響く大勢の人間の声に、イーグルは丸くしたままだった目をさらに丸くした。
(今日のセフィーロは、何だか慌しい様子ですね)
先程のランティスといい…と不思議に思いながら、厨房に入る。中には、なぜだか大勢の人が集まっていた。
「どうかしたんですか?」
イーグルが登場した途端、カルディナが胸倉を掴まん勢いで迫ってくる。
「兄ちゃん! あんた、なんやすごい機械持っとるんちゃうか!?」
「…はぁ」
その切羽詰った様子に曖昧な返事をしてしまう。全く状況が飲み込めず、輪の中心にいる導師クレフへと、視線で助けを求めた。
「探知機か、それとも方位を示す物か…そういった高度な物のことだ」
「ああ、それならありますけど」
仕事と一緒に、日常で使うような物はいくつか部屋に持ち込まれている。大量に精神エネルギーを消費するような物ではないが、それでも一応オートザムの技術の結晶である。
「光がね、多分沈黙の森で迷子になってると思うの」
海が、掻い摘んで今までの会話の内容を話して聞かせた。
プレセアの家へ、指輪を届けるために向かったこと。アスコットの魔獣を借りたこと。プレセアの家の周りに生い茂る特殊な森のこと。
「おそらく、アスコットの魔獣なら家に辿り着く前に消えてしまうだろう」
クレフやランティスならともかく、アスコットの魔力ではプレセアの家までもたないのだ。なぜか復活してしまった沈黙の森。魔法が使えないのは相変わらずだ。魔獣は、森の上空に差し掛かった辺りで突然消えてしまったことだろう。
(ああ、それでランティスがあんなに慌てて…)
「って、それって結構危ないんじゃないですか?」
「危ないどころやない! 魔物はウヨウヨしとるし、森に入ってもうたら迷わず出てくるんはめっちゃ難しいんや! ヒカルは剣持ってへんっちゅーのに!あああ…ウチのせいやー…」
頭を抱えて崩れ落ちるカルディナを海と風が慰める。
「ところで、ランティスは大丈夫なんですか?」
そういえば、と親友のことを口にしたイーグルに、クレフは盛大に溜め息をついた。
「あの馬鹿弟子は、何も考えてない」
魔法が何一つ通じない森で、果たして彼はどのようにして探し出すつもりなのか…むしろ、本人が迷っているのではないか…今はまだ、それを確認することはできない。
「じゃあ…とりあえず、用意をしてきます」
一応病人なのに、と思いつつも、イーグルは急ぎ足で自室へと向かった。
決して耳に心地良いとは言えない嫌な音がした。
紙の束を千切るようなその音に、光は無理な姿勢のまま自分の背中を見遣る。
「やっちゃった…」
彼女が好んで身につけるプリーツスカートが、枝に引っかかって破れていた。枝からそっとスカートを解放し、もう一度木から下りることを試みる。
突然魔獣が消えて肝を冷やしたものの、幸か不幸か、落ちたのは木の上だった。細かい枝にあちこちを引っかかれながらもなんとか太い枝にしがみつき、今こうして地面を目指しているのである。
そろそろ暑い時期となり半袖で来たのだが、今になって光はそれを後悔していた。剥き出しの腕にも足にも、顔にも、所々血が滲んでいる。
しかしそれを痛がるわけでもなく、光はというと、どちらかというと海に怒られるのではないかという不安の方が大きかった。
(海ちゃんに見つかる前に、こっそり誰かに魔法を…)
魔法で服まで直るというのは不思議だが、ここはセフィーロ。深くは考えない。
すとんと地面に着地を果たすと、光はあちこちに付いていた葉や小枝を払い落とした。それから、ぐるっと辺りを見回してみる。
どこを見ても緑しかない。プレセアの家は、影も形も見当たらない。
突っ立っていても仕方がないので何となく歩き出してみるが、ふと、光は思い当たって後ろを振り返った。
くるり、と背後を見ると、当然のように今来た道が消えている。
「……」
どこかでぎゃあぎゃあと鳴く鳥の声が聞こえる。その声と、妙に薄暗く見え始めた森のせいで、急に不安が押し寄せてきた。
(沈黙の森だ…)
どうしよう。と思うが、以前森を抜けられたのはモコナのおかげで、当然だが道順などというものは知らない。覚えていても、この森では役に立たない。
仕方がないので、(プレセアの家に着きますように、着きますように…)と必死に願いながら、光は再び歩き始めた。
光が森を彷徨い始めた頃、ランティスはようやく沈黙の森に到着した。のんびり向かった光とは違い、ランティスは可能な限りの速さでここへやってきたので、彼の精獣はヘトヘトである。
プレセアの家を上空から見つけると、アスコットとの魔獣とは違い、ふわりと家の前に降り立つ。ランティスが降りると同時にその馬は消えてしまったが、それは別段問題ではなかった。足早に家の扉へと近づく。
「あーもう!!」
ガシャンと大きな音を立てて、扉が開くと同時に物がいくつか飛んできた。
「……」
鎧があれば、中には剣も混じっている。物騒な物がもう少しで自分に当たるところだったのだと知り、ランティスは歩む足を止めてしまった。
「一体どこに…あら?」
しかし、家へ入る必要もなく、プレセアは現れた。一旦外に放り出して探し物をしようとでも思っていたのだろう。指輪の代わりにランティスの姿を見つけたプレセアは、珍しいものを見るように彼を見つめた。
彼がここを訪れたのは、プレセアが彼専用の特別な武器を創った時だけである。今回も何か特別な依頼があるのだろうかとプレセアは考えた。けれど、次のランティスの言葉に拍子抜けしてしまう。
「ヒカルは来たか」
「…どうしてヒカルがここに来るの?」
しかしその問いには答えず、ランティスはさっさと歩き出してしまった。
「ね、ねぇ、ちょっと…」
もう少し、他人とコミュニケーションとってよ。とプレセアが呆れ返っている内に、ランティスの姿は森の中へと消えていった。
ランティスの謎の行動にすっかり指輪を探す気力を失っていたプレセアだが、遅れて到着したイーグルに全てを話してもらった。
「じゃあ、もうランティスも森に入っちゃったんですね」
「止める間もなかったわよ」
やれやれ、とプレセアは大きく溜め息をつく。
その様子に、イーグルも苦笑してしまった。彼には分かりやすいものなのだが、ランティスは一般の人々にとっては無表情で何を考えているのか全くわからないらしい。
「仕方ないですね。僕が行って探してきましょう」
「そうね、お願いするわ」
気軽な調子でそう答えたプレセアは、イーグルの手のひらにポンと水晶玉をのせた。
「…何ですか?」
「この家に帰ってくるだけなら、それが案内してくれるわ」
「ヒカルやランティスの所へは案内してくれないんですか?」
ころころと手の上で転がしてみても、ただの玉にしか見えない。どうしてこんなものがと、光にかざしてみたりしながらしげしげと眺めていた。
「魔法がきかない森なのよ? そんな高性能なわけないでしょ」
「じゃ、原理は何なんですか?」
「えーっと…同じ素材の石とひかれ合うようになってて…って、そんなことはいいから早く行きなさい!」
のんびりお喋りしている場合ではなかった。
「失くさないでよ! それがなきゃ、私だって生活できないんだから!」
「肝に銘じておきます」
「ランティスはほっといても大丈夫でしょうけど、ヒカルだけは絶対見つけてくるのよ!」
先程のことを根に持っているのか普段からそうなのか、非情なプレセアの言葉を背中で受けつつ、イーグルは森の中へと入っていった。
(これが沈黙の森ですか…)
どこかから気味の悪い鳥の鳴き声が聞こえてくる。木の生い茂った森は薄暗く、あまり遠くまで見通せない。
(きっと心細いでしょうね)
さて、とイーグルは自分の右腕を持ち上げた。そこには、重厚な機械が取り付けられている。
(これを使うのは久しぶりですね)
療養に入る以前は当然のように毎日着けていたものだ。レーザーソードだけではなく、様々な機能がこの機械には付いている。
(ヒカルのデータは、以前の戦いの時に確か取っておいたと思いますが…)
イーグルが少しいじると、程なく宙に画面が浮かび上がり、二つの点が示された。
「何とかなりそうですね」
正直、魔法の使えない森で機械というものが正常に作動してくれるのかどうか不安だったのだ。しかし、魔法と科学は別物ということらしい。
中央の点は自分を示し、もう一つ、点滅しているものは光の居場所を示している。
その二つを注意深く見守りながら、イーグルは歩を進めた。
遠くの方で、何かがどっと倒れ込む音がした。
鳥が飛び立つ音や、木の葉が激しく揺れる音が続いて耳に届いてくる。
(…何だろう)
魔物同士で暴れでもしているのだろうか。そう考えて、自分が今丸腰であることに光は気づいた。今のところ遭遇してはいないものの、いつ木の陰から姿を現すとも限らない。もし遭遇でもしようものなら、全速力で逃げるくらいしか彼女には選択肢がなかった。
ちなみに、今のはランティスが魔物を倒した時の音だったのだが、もちろん彼女はそんなことは知る由もない。
そんな時、視界の端に不自然なものが映った。
驚いてぱっと顔を向けるが、そこにはすでに何もない。しかし、確かに妙なものが見えたのだ。
雪のように真っ白でクッションのような弾力があって、跳ねるようにして移動する生き物…に、それは見えた。
恐る恐る、そちらの方へと近寄ってみる。「それ」が姿を消した方へと木陰から身を乗り出すと、前方の木々の間へと「その白い物体」は姿を消した。
今度は耳まで見えた気がした。
「モコナ?」
まさか、とは思いつつも呼びかけてみる。しかし、戻ってくる気配はなかった。
モコナに見えた「それ」を追いかけて、光は再び駆け出した。
生い茂る木立の間から、僅かにその姿が目に映る。モコナだとはっきり言い切れるわけではなかったが、どうにも気になって光は走り続けた。元々行く当てもなかったのだし。
「モコナ!」
魔物に聞こえるだとか、そこまで考えている余裕はなかった。
「モコ――――」
三度目の呼びかけで、危うく舌を噛みそうになった。何か軟らかいものに足を取られ、勢いよく倒れてしまう。
まさかあの白い体を踏んづけたんじゃ、と慌てて起き上がると、そこにはもっと大きなものが横たわっていた。
「イーグル!?」
両手両足を真っ直ぐ伸ばしたまま横たわっていた彼は、少し土をつけた顔を向けて笑ってみせた。
「ご、ごめんなさい!」
「いいんですよ。寝てた僕が悪いんですし」
「えっと…お昼寝してたのか?」
「まさか。転んでしまっただけです」
転ぶ。
(何だか、想像できない…)
転んでもこの笑顔が崩れる様が想像できず、光はぱちぱちと瞬いた。
「ヒカルこそ、大丈夫でしたか?」
「私は平気だよ。特に痛いところもないし」
「しかし、顔に…」
砂がこびり付いている頬にイーグルの手が伸びる。指先がそっと柔らかな頬から砂を落とした時、さらさらと流れ落ちる砂の音よりも大きく重く、ドスッと地を裂く音がした。
ぎょっとして顔を上げると、木立の間から巨体が現れていた。地面に刺した剣を杖のかわりに、疲労困憊した様子で二人を見下ろしている。
服や顔に所々飛び散っているのは血だろうか。本人のものであろうが魔物のものであろうが、高い位置から二人を見下ろすその姿を恐ろしいものに見せていることは確かだった。
「何をしている」
それは一体何に対して言っているのか。こんな危ない所に来たことに対して言っているのか、自分が必死に戦っている間に光に近づくなと怒っているのか。
(どちらにしろ、怒ってることには変わりないですね)
「ええっと…ヒカルを探しに行ったあなたを探しに来たんですけど」
「ランティス、怪我してるのか?」
ぱっと立ちあがった光が、ランティスに向かって手を伸ばす。これといって傷は見当たらないのだが、それでも血の跡を辿るように、手を出そうとしては引っこめたりを繰り返していた。
「ごめんなさい。私がよく考えないで出掛けちゃったから…」
「お前のせいではない」
城に戻った時、アスコットは無事でいられるだろうかとイーグルは少々不安だった。まさか雷を落としたりはしないだろうが。
「イーグルも、まだちゃんと治ってないのに…」
小動物が耳を下げてしゅんとするように光は縮こまる。そこまで反省する必要もないのだが、その姿を見てようやくランティスも落ち着いてきたようだった。
「ヒカル、こういう時はお礼を言うものです」
「うん…二人共、本当にありがとう」
にこ、とようやく笑みが戻ったのも束の間。背後からの突然の雄叫びに、三人揃って駆け出した。
指輪は無事にプレセアの元へ。
血相を変えて三人を出迎えたカルディナにしつこいくらい謝られ、服を破いてしまったことはあっさり海にばれた。
汚れをさっぱり落としてしまうと、後は何事もなかったようにいつもの様子。ただし、無理をしたイーグルはぐっすりと眠り込んでしまった。
「眠いのか?」
眠ってしまったイーグルの傍で椅子に腰かけていたランティスは、同じく腰かけている光に声をかけた。
うつらうつらと、今にも瞼が閉じてしまいそうになっている。
「ちょっとだけ。大丈夫だよ」
「疲れたのなら、少し眠ったほうがいい」
大丈夫という言葉は受け流される。誰がどう見ても、彼女が眠いのは明白だった。
ふ、と長い睫毛が瞳を覆ったと思うと、そのまま瞼は完全に閉じてしまった。それを見届けて、ランティスも目を閉じる。
無防備に眠るその三人が、神様にお墨付きを貰えるほどの心の強さの持ち主だなんて、到底思えるものではなかった。
2008年02月20日UP
「事情があって、一人で城の外へ出て帰ってこない光を探しにいくランティスとイーグル」というリクでした。
恐ろしいことに、ちょうど一年前にいただいたリクでした…。まだサイトを見ていただけているのかわかりませんが、リクありがとうございました!
こんな感じでひどく遅筆ですが、「それでも良いよネタ提供してやるよ」という方のリクをお待ちしています。