世にも奇妙な
ぽかん、と三人の少女はその場に突っ立ったまま動けなかった。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。何しろ、何度も「行きたい」「訪れたい」と思っていたその願いが唐突に叶ってしまったのだ。
「ここって、あそこよね?」
海の問いに、光も風も少し時間をかけて頷いた。
三人の髪を、ひゅうひゅうと柔らかな風が弄ぶ。眼下に広がる景色は緑一色で、それ自体は見覚えのないものだったが、それとは反対側にある長く延びる廊下は何度も見た光景だった。
崩壊寸前のセフィーロで、彼女達はよくここから魔神を呼んでいた。
「私達…また、セフィーロに来れたのか?」
「そのようですわね…」
「と、とりあえず、皆の所へ行ってみましょ」
そういうわけで、恐る恐る三人は歩き始めた。
見慣れたはずの廊下も、稲光の代わりに陽光が差し込み、雰囲気はがらりと変わっている。人気がないのはあいかわらずのそこを、「平和になったんですね」「お城はまだ残ってたんだね」などと嬉しさを滲ませながら歩いていると、ふと、窓からの光のカーテンの向こうに人影が見えた。
「フェリオ…!」
風はぐっと息を飲み、込み上げてくるものを堪えた。別れる時も必死に涙を堪えたが、再会の時も、泣き顔は見せたくない。
涙と一緒に言葉も出せないでいると、フェリオは何気ない様子で微笑みながら「いつの間に来たんだ?」と話しかけた。
「な、何よ。折角風に会えたんだから、もっと嬉しそうにしてもいいでしょっ」
その言葉こそきついものかもしれないが、海も涙を堪えている。当たり前のようにそこに立っている親友の恋人に、未だに信じられない反面、やはりセフィーロを訪れることができたのだと実感することができた。
「どうしたんだよ? 俺は、フウに会うのはいつだって嬉しいぜ」
不思議そうに三人を見ながら、さりげなくフェリオの手が風の手を包み込む。そのことで風が真っ赤に頬を染めてしまったことにも気付いていないようだった。
「ま、いいわ。光、行きましょ」
「うん。またね、風ちゃん」
そうして、風に手を振りながら、気を利かせて二人は去っていった。
「今日はどうしたんだ?」
潤んだ碧色の瞳を覗き込んで、少々心配した様子でフェリオが微笑む。しかし、ふと、フェリオは自分が握っている風の左手に視線を落とした。
「フウ、リングはどうしたんだ?」
途端に、フェリオの顔色が曇る。風はというと、リングというのが何のことなのかわからず、瞬きを繰り返す。
「持ってない…のか?」
「…? オーブでしたら、持っていますけど」
「オーブ? なんだそれ?」
「…え?」
感動の再会が一変。クエスチョンマークを二人で浮かべながら、しばし相手の瞳を覗き込んでいた。
「いいわよねぇ、風はラブラブで」
「そうだね」
「光も、ランティスに会いに行っていいのよ?」
にやりとしながら言った海に、光は慌てたように首を振った。
「どうして? 会いたくないの?」
「だだ、だって、恥ずかしくて…顔見れない、かも…」
最後の最後に告白してしまったもので、それが今となっては恥ずかしい。たとえ良い返事が貰えたのだとしても、だ。
耳まで赤くしてしまっている光を見て海は困ったように笑ったが、その笑いはすぐに引きつってしまった。
その海の表情を見て、不思議に思った光が視線を上げる。すぐ傍の扉を開けて、二人の人物が現れていた。
クレフに気付いた海が、体を瞬時に強ばらせる。その隣で、光は理解するのに時間がかかった。数瞬の後に、クレフの隣に立つ白い服を着た人物がランティスだということに気付いて目をぱちくりさせる。
「なんだ、来ていたのか?」
クレフの方も少し驚いた様子を見せるが、それにしたって冷静だ。その上、とても元気に見える。海と光が会った頃のクレフは寝込んでしまうくらいに衰弱していたので、その違いが奇妙なものに思えてしまった。
微動だにしない二人の様子にクレフは訝しげに眉を寄せるが、特に気にとめていないのか、ランティスに「例の件、任せたぞ」と仕事上の会話を交わし、やれやれと道の向こうへ歩き出した。
「あ…ク、クレフ!」
去ってしまう彼を追いたいのか追いたくないのか微妙な心境だった海は、思わず呼び止めてしまった。
不思議そうな顔をして、クレフが振り返る。
「あ、あの…私…」
別に何を言うかを決心していたわけではないので、途端に言葉を詰まらせてしまう。そんな海を見て、クレフは再び眉を寄せた。
「どうした、腹でも壊したのか?」
「……は、ら?」
「仕方ない。薬を煎じてやるから、来い」
なぜ。と呆然とする海には気付かずに、クレフはスタスタと歩き始めてしまった。
「どうした? 行かないのか?」
「え?」
歩き出す様子を見せない光に、ランティスは声をかけた。
どこへ、とは思ったが、光はただ何度も頷いて彼に続いて歩き出す。久しぶりに聞いたその低い声が、異様なほど血の巡りを良くしてしまっていた。
「……」
黙々と、廊下に足音だけを響かせる。
(ペンダントのお礼、言わなきゃ)
そう考えるものの、口は閉じたまま開かない。
(あと、あと…)
「ヒカル」
「は、はい!」
名前を呼ばれたことに驚いてしまって直立不動でいる光を、ランティスは訝しげに覗き込んだ。
「何かあったのか?」
口数が少ないが…と、心配されてしまう。しかし、淡い色の瞳に覗き込まれると、余計に何も言えなくなってしまって口をぱくぱくさせるだけだった。
そっと大きな手が光の頬を包む。すると途端にその頬に赤みがさし、ランティスは少々首を傾げてしまう。熱でもあるのかと、空いた方の手がぴったりと額に押し当てられた。
頬と額から伝わる体温に、飛び出してしまいそうなほどに心臓が脈を打つ。近い位置で顔を見つめられ、限りを知らないかのように顔に熱がどんどん集まってきてしまう。不自然なほどに顔が赤くなっているだろうとは分かっているものの、全身が金縛りにあったように動けなかった。動くのが勿体ない、というのも考えていたのかもしれないが。
「あ、あの…」
ようやく小さな口から言葉が発せられようとしていたその時、やってくる気配など微塵も感じさせずに、突然背後から声が聞こえた。
「ランティス、苛めちゃダメですよ」
「…苛めてなどいない」
「本当ですか? ヒカル、怖がってるじゃないですか」
大丈夫ですか? とにこりと微笑んできた人物を目の当たりにして、光は今度は頭の中が真っ白になってしまった。
「…イーグル…?」
「こんにちは。お久しぶりです」
久しぶりと言っても数日しか経っていないじゃないか、というランティスの言葉は光には聞こえず、気がつけば彼に抱きついていた。
「どうしたんですか?」
痛いほどにぎゅっと抱きしめてくる光の背をぽんぽんと優しく叩きながら、イーグルは受け入れる。
まるで当たり前のようにここにいてくれる驚きと嬉しさで、光は答える余裕もなかった。あの時、機体と共に跡形もなくなってしまったと思っていた人物が、こうして抱きしめても消えることなく存在してくれているのだ。
嬉しいという気持ちとごめんなさいという気持ちがない交ぜになり、やがて堪えようもない涙が溢れてきてしまった。
「…本当に大丈夫ですか? もしかして、具合でも…」
本気で心配し始めた二人をよそに、光は首を振るだけである。何か言おうとしても、その口からは嗚咽しか出てこない。
ランティスとイーグルは顔を見合わせたが、とりあえず気が済むまで…と考えたのだろう。子どもをあやすように、イーグルはそっと両腕で光を包み込んだ。
「……ランティス」
次第に困った顔へと変化していくイーグルの顔。
「何だかその…この子は、僕達の知ってるヒカルですよね?」
何のことかと、ランティスも光もイーグルを見た。
「何か違うのか?」
「何ていうか、抱きしめた感じがいつもと違うな、なんて」
「……」
「お、怒らないでくださいよ! ただ、いつもよりちょっとふくよかかなと思っただけです!」
「…今すぐ離れろ」
今にも剣を取り出さんという雰囲気のランティスから、イーグルがじりじりと後退を始める。
そうして、それなりに危機感のあるじゃれ合いを始める二人の傍で、光は一人きょとんとしていた。
(いつもよりって…慰めてもらったのは一度だけだったような気がするけど…)
気のせいかな? と首を傾げる光を中心に、男二人はぐるぐると円を描いていた。
「つまり、別の次元に、そっくりでも多少違いのある世界が存在する…というわけですわね」
「で、『道』を開いた時に、私達が間違っちゃった、と」
『そういうことだ』
モコナは、どこから発したともわからない声で肯定した。
彼(彼女?)が言うには、こちらの世界の三人が『道』を開こうとしていた時に向こうの世界の三人もセフィーロに行こうと試みたことによって起こった事故なのだそうだ。
「でも、帰ってこれてほっとしたわ。向こうでモコナを見た時にはびっくりしたもの」
海は、見慣れたセフィーロの中庭を見回して息を大きく吐き出した。城内の様子も、向こうとこちらでは多少の違いがある。そして、何より人間関係が違うようだった。
「風は、割とすぐに気がついたみたいけど」
「ええ、フェリオがリングを二つつけていらっしゃったので」
お熱いことで、とからかう海に、風はにこりと笑みを返した。その隣では、フェリオが安堵の息を吐いている。リングを持っていない風を見たとき、てっきり嫌われたのかと思ってしまったのだ。
中庭にはモコナが開いた『道』があり、興味津々で向こうの人々がぞろぞろと出てきていた。クレフが二人、プレセアが二人、その他にも…といった具合に、そこには奇妙な光景が広がっている。
木陰では、二人のアスコットが肩を寄せ合っていた。海に関する情報交換でもしているのだろう。
その二人より少し離れたところでは、向こうの世界のフェリオと風が再会の一時を味わっている。
そして、その二人より少し離れたところでは…。
「イーグル!!」
本日二度目。突然飛び込んでくる光を受け止めながら、イーグルは苦笑した。
「あなたも泣いているんですか?」
「だって、だって…ランティスが、イーグルが死んじゃったって言うから…」
「僕はちゃんと生きてますよ」
優しく諭すイーグルの後ろでランティスは眉間に皺を寄せていたが、光に続いて『道』の向こうから現れた人物に目を見張った。自分が歩いてやってくる。
「…ヒカル」
瞳の色と服装を除けば寸分違わぬ姿をした向こうの世界のランティスは、こちらの世界のランティスとイーグルを見遣った後、迷わず光の名を呼んだ。イーグルは内心「変わらないですねぇ」などと思ったが、それもここまでだった。
「少し、いいか?」
こちらの世界のランティスの後ろに半ば隠れるようにして立っていた光が、黙って頷いた。元気がないのは見知らぬ世界に迷い込んだからだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。何とも言い難い、歯痒いような、少し緊張しているというか、見ているこっちが恥ずかしくなるような空気を漂わせながら、向こうの世界の二人は三人から離れていった。
「…何ですかあれは」
「知らん」
まだ泣きじゃくっている光をあやしながら、イーグルもランティスも目を疑うような光景を凝視していた。遠くからでも、所謂「いい雰囲気」なのが伝わってくる。それは「どうやってもヒカル相手には作れない」とランティスとイーグルが落胆してしまっていたものだった。
「何? どうしたの?」
涙を拭いて顔を上げた光の目を、イーグルはすかさず手のひらで覆った。
「え? イーグル?」
「駄目です。しばらくそのままいてください」
「別に見てもかまわないだろう」
「駄目です。ヒカルはもうしばらく今のヒカルでいいんです」
「イーグル―――」
光に見せる見せないで再びじゃれ合いを始めようとした時、目を疑うを通り越してしまう信じ難い光景が目に映り、二人とも動きを止めた。
木の陰に隠れている上に、光がこちらに背を向けているのではっきりと確認はできないものの、あの位置は絶対にそういう位置だった。
「イーグル? ランティス?」
動きも喋りもしない二人に光が呼びかけるものの、しばらくの間返事はなかった。
創造主と聖獣が互いにぷにぷにし合っている横で、人々はお茶を楽しんでいた。少し落ち着いたらしく、散り散りになって話し込んでいた者もテーブルの傍に集まっている。
「あのね、さっきから気になってたんだけど」
紅茶をぐっと飲み干してから、光は隣に座っているもう一人の自分を見た。
「久しぶりに会ったのに、あんまりお喋りしてないね」
「え?」
同じ赤い三つ編みを揺らしながら、光は少し困ったように眉尻を下げた。
イーグルとランティスは先程目撃してしまったキスシーンを思い出していたが、もう何と言っていいやらわからない。一緒にいればいるほど違いを感じてしまって仕方がない。
「向こうの世界の私は、ランティスのこと好きじゃないのか?」
「…え?」
「ランティスのこと、好きじゃないの?」
もう一度問い直してくる自分を、目をパチパチさせながら見つめる向こうの世界の光の顔は、あっという間に赤く染まってしまった。
「意外ね。向こうの世界だと光がちょっぴり大人だわ」
「光さん、光さんが困ってらっしゃいますから、あまりお尋ねしてはいけませんわ」
「どうして困るんだ?」
やれやれ、といった様子で肩を竦める海の隣で、風とフェリオは忍び笑いをしていた。
「それより光、向こうの世界の私に会った?」
「え?」
そういえば…と考えてみると、確かに見かけていない。
「こっちの世界に来た時に、クレフと話してたみたいだけど」
首を傾げる光の隣にいる光が言った。
「クレフ? 二人ともそこに座ってるじゃない」
今も話し込んでいるというわけではないようだ。少し服装が違う二人のクレフは、熱めに入れてもらった紅茶を揃って飲んでいた。
「ウミなら、薬を煎じてやっている間にどこかへ行ってしまったぞ」
どこかムスっとした様子で答えたのはこちらの世界のクレフだった。
「海さん、どこか具合でも…?」
「東京タワーではお元気なようでしたけど…」
二人の風が小さな顎に手を当てて考えている間に、ムスっとしていない方のクレフが席を立った。遠ざかっていくその後姿を見つめてから、向こうの世界の風と光は意味ありげに視線を交わしたものの、誰もそれに気づくことはなかった。
程なくして、突然現れた想い人に少女が発した盛大な悲鳴が、普段は静かなセフィーロ城の中庭に響き渡った。
2008年04月29日UP
去年の9月に中途半端にブログにUPしたものに追記しました。
海ちゃんだけ可哀想なことに。