Polaris

当たり前のように二人は

「あ、イーグル! 来れたんだね」

 窓の外に、オートザムの船が空を漂う様子が見えた。当然ながら人の姿など見えない。が、それに向かって光は手を振っている。

「今日は来れないって話じゃなかったか?」

 怪訝そうなフェリオに、しかしクレフは首を振った。

「確かにイーグルの気を感じる。しかし、よく分かったな」

 不思議そうな目が向けられるのを感じて、光ははたと手を止めた。自分のやっていることが普通のことではないと、その時になって漸く気付いたのだ。

 気を感じる、というのとは少し違うのだろう。むしろ、間にある障害物を全て取っ払ってすぐそこにいるように思えるのだ。ただ、ジェオやザズの姿は見えない。

 柱の試練を行う前から、気がつけばこれが当たり前になっていたような気がする。

「そう…だよね。どうして分かるんだろう」

 改めて考えたこともなかった。ただ、今もイーグルは自分に気付いて手を振ってくれていた。それは…どうしてなのだろう?

「導師クレフが? セフィーロではよくあることだと思ってましたよ」

 クレフとの話をすると、イーグルも意外そうな声をあげた。

 中庭の奥へ奥へと、特に当てもなく二人は歩いていた。日の光をいっぱいに浴びて、木も草も鬱蒼と生い茂っている。たくさんの花の芳香でむっとするほどだ。ここの植物達にとっては、この中庭は少し狭くなってきたのかもしれない。

「私もなんだ。あんまり深く考えたことなくて……イーグル?」

 そっと背中を押されて、光はイーグルの方へ振り返った。イーグルの求める方向には何もない。人一人入れれば十分という程度の、木と木の間。思い思いに伸ばされた枝葉のせいで、見通しも悪かった。

 イーグルはにこりと笑ったが、その口が何かを告げるために動く様子はなかった。

 この先にあるものを感じ取って、光の頬にさっと赤みが差した。

「…あの、イーグル…」

 向き直った光は、少し居心地が悪そうにイーグルを見上げた。手の指がもじもじと絡み合っている。

「いけませんか?」

「ううん。いけないなんてないけど…」

「すみません。たまにはゼロにしてあげないと、気が付いたら距離が近くなってしまうものですから」

「そう…だよね。私もそうなんだけど…」

 いつも無意識に、光はイーグルに手を伸ばしていた。それはイーグルがまだ眠りについている時からで、その時はまだイーグルが動かなかったため何も問題はなかった。せいぜい、光がイーグルの手に手を重ねるくらいで。

 それがどうも、イーグルが目を覚ましてから様子が変わってきた。一方通行でなくなったものだから、ぐんぐん距離が縮まってしまう。気がつけば手を取り合い、体が触れ合う。無意識なのだから、人前でもそれは変わらなかった。何かの拍子に気付いて慌てて距離を取る時もあるが、大抵はイーグルがランティスにぐいと引っ張られて終わっていた―――人前では。

 片手の距離がゼロになる。

 残った手が、光の腰を引き寄せる。体の距離もゼロになる。

 金色の瞳が近づいてきて、光はぎゅっと目を閉じた。

 そっと、唇の距離がゼロになった。

 ほんの少し離れて、またゼロになる。

 何度も何度も、それを繰り返す。

 息苦しくて、余った光の手がイーグルの服を掴んだ。でもまだ終わらない。

 皆の前で縮まりきらなかった分、それを取り戻すかのように繰り返す。今は誰もいない。鳥の声しかしない。周りだって木に覆われている。けれど、それでも誰かに見られるんじゃないかと、光の頭の一部だけは距離を縮めないものだから、それが余計に胸の奥を苦しくしていた。

 漸く唇が離れて、光は速くなった鼓動の分だけ勢いよく息を吸った。

「ヒカル…」

 いつもそうだ。顔が離れた時のイーグルの瞳は、いつもと違う。優しいままのはずなのに、その奥に何かが蠢いている。ただ、それが何か光には見えなかった。

「イ、イーグル…あの…」

 唇が再び、今度は頬に下りてくる。

「ん……」

 啄ばみながら、少しずつ移動する。耳へ。

「…あっ」

 首筋へ。

「あ、イー…グル…」

 胸元を飾る大きなリボンまできて、イーグルはやっと顔を上げた。ぎゅっと小さな体を抱き締める。

 イーグルの胸の中でほっと息をつきながら、全身から力が抜けているのを光は感じていた。

「…すみません。分かってはいるんですが…」

 ううん、と光は首を振った。いつも、彼が抑えていてくれるのを感じる。それが優しさから来るものだと分かっているから、彼女は嬉しい気持ちもあった。

「あの…ね、イーグル。どうしていつも外でするんだ? 部屋の中なら、その…」

 我慢しなくても良いのでは、と思うのだ。人の目が絶対にないのだから。

「それは…貴方が、分かって言ってくれているなら良いんですが」

 見上げると、イーグルは困ったように笑っていた。

 最後に、イーグルはもう一度強く光を抱き締めると、彼女の手を引いて元来た方へと歩き出した。

 当たり前のように触れ合っていた。柱の試練のあの時から。

 ただ、ゼロに近付いて、ゼロになってしまってから理由を探すようになってしまった。近づいていってしまうのはなぜだろう?

「…ね、光」

 月明かりの中で声がして、びくりとして光は目を凝らした。同じベッドの中。既に眠ったと思っていた海の目はぱっちりと開いていた。海の声に反応して、風も身動ぎする。こちらも、眠っていたわけではないようだ。

 三人一緒のベッドで過ごすセフィーロの夜は、もう大分更けていた。

「言いにくいことなんだけど…その…」

 もごもごと、海の言葉はそのままシーツの中に吸い込まれていった。

「光さん、昼間にイーグルさんと木の陰にいらっしゃったでしょう? すみません。偶然目に入ってしまったんです」

「えっと……」

 ぐんぐん顔に血が上ってくるのが分かる。風が言ったのは、つまり。謝ったということは、やはり…。

「キスしていらっしゃったようですが、お付き合いされているんですか?」

「はっきり訊くわね、風」

 見られた。その可能性を考えなかったわけじゃない。昼間のようなことだって、一度や二度じゃないのだから。けれど、それとやっぱり恥ずかしいのとは話が別だ。

 改めて「キス」と言われると、恥ずかしさはさらに倍になったような気がした。

「ごめんなさい、でも、黙ってるのも悪いと思ったのよ。それに、付き合ってるならなるべく二人で居たいとかあるだろうから、知ってる方が協力だってできると思って」

「え…と、見られたのが嫌とかは、ないんだけど…海ちゃんと風ちゃんだし…。でも、付き合ってる…のかな? よく分からないかも…」

 そうだ。自分がしているあれは「キス」だ。恋人同士がするものだ。正直、そこまで意識していなかった。

「付き合ってるわけじゃないの? …まさか、無理矢理っていうわけじゃないわよね」

 海の剣呑な声色に、光は慌てて首を振った。

「違う、違うよ。そうじゃないけど」

 初めての時もそうだ。今からキスをしよう、という言葉があったわけじゃない。けれど、イーグルが何をするのか分かっていて、光は目を閉じたのを覚えている。そうするのが自然で、拒否しようなんて微塵も考えなかった。

「お付き合いしようって話をしたことはなくて…風ちゃんは、そういうのあったのか?」

「直接的な言葉ではありませんが、言外にはありましたわ。光さん達の場合とは、少し違うでしょうね」

「そうね、フェリオと風とは違うわよね」

 恋愛や、その先にあるものとは違うと二人は言うのだ。しかし、「では何か?」と訊かれると、海と風にも分からなかった。

「ランティスさんは、このことは?」

 その名前に、なぜだか分からず光はぎくりとした。

「知らない…と、思う。私は言ってないし、イーグルも、多分…」

 言わないといけないことだろうか? それとも、言わない方が良いことなのだろうか?

「…そうよね。あ、私も、別に口外したりしないから、安心してね」

「私もですわ」

 二人の言葉に、心の底から安堵した。理由はよく分からない。ただ、何となく、ランティスは知らない方が良いのではないか―――という思いはあった。けれど、何も言わないのも騙しているような罪悪感があった。

 二人の距離がゼロになる。

 繰り返せば繰り返すほど、それが当たり前のことになっていく。

「イ、イーグル…」

「…少しだけ、ですから…」

 指先に、手のひら、うなじ、首筋―――イーグルの唇が、ゼロになった後も止まらない。

 かかる熱い吐息に、落とされる口付けに。体がぴくりと震えて、抑えきれずに声が漏れる。

(ゼロの、先が…あるのかな?)

 イーグルが堪えているものが、そこにある気がする。それはただの予感だ。

「ヒカル…」

 ほぼゼロの距離で、目を合わせた。きらきら輝く金色の瞳。

 その奥にあるものも、距離を縮めてきているような気がした。

 まだ見えないそれが見えた時は、きっと、ゼロの先へ進んでしまった時。

 それはそう遠くない未来だと、言葉にはしないけれど二人共分かっていた。

 ただ今は瞳を閉じて、もう一度キスをする。

 2014年08月24日UP

「イー光の切ないというか甘というかな作品。ちょっと大人な感じになっても」なリクを頂きました。

 切ないような甘いような感じにできてればいいんですが……リクありがとうございました!

 原作を読むと、イーグルも光ちゃんもさり気なく手を伸ばしてるのが個人的にツボです。

お題配布元:「確かに恋だった」