Polaris

でも本当は、できるなら僕は、貴方の隣で笑いたい

 初めて顔を合わせた時、ああ、お人好しなんだな、と思った。

 敵を前にしてコクピットから出てくるなんて、自殺行為だ。だからイーグルはそう思った。

「すみません、ザズ。少し壊してしまいました」

 そう告げると、モニターの向こうでザズが頭を抱えながら悲鳴をあげる。

『手こずったのか?』

 心配そうに眉を寄せるジェオの姿が見える。赤い魔神との戦闘はセフィーロの地上付近で行ったため、NSXからはあまり確認できなかったのだろう。機体が破損した状態で帰艦すると聞けば、不安に思わないわけはない。

「まぁ、少し。でも戦利品がありますよ」

 伝説級の戦利品だ。上手く使えば、今後の戦いは有利に進めるだろう。捕獲バリアーをうっかりぶつけないようにNSXに乗り込む。所定の位置に降りると、イーグルはコクピットを開けた。

「FTOの腕が! 腕がない!!」

 少しじゃないじゃん! と泣きべそをかくザズに重ねて謝りながら、コクピットを降りてジェオの隣に立った。周囲を、複数の兵士が銃を構えて待機している。

「おかしいな。魔神ごと拾ってきたつもりだったんですが」

 円を描くようにして兵士が取り囲む中、捕獲バリアーが解除される。中にいたのは、巨大な赤い魔神――ではなく、小さな女の子一人だった。

「またえらいもんを拾ってきたな――って、おい!」

 武器も構えずに歩を進めるイーグルに、ジェオは慌てて後に続いた。

 気絶している少女は、確かに、以前魔神から出てきた少女の内の一人だった。ただ、あの時とは違い、鎧の類は身に着けていないようだ。リボンが可愛らしい赤い服に、左手にグローブをはめているだけ。魔神はどこへ消えたのだろうか。

「この子が、伝説の魔法騎士だって?」

「ええ」

「嘘だろ? どう見たって子どもだ。せいぜい、ザズとどっこいどっこいってとこだ」

 セフィーロでは、見た目と年齢は必ずしも一致しないと聞く。しかし、彼女の言動には年齢を重ねた者が持つ雰囲気は感じられなかったが……。

「とにかく、一度拘束しましょう。ここでこうしていても仕方がないですし」

「分かった」

 ジェオが少女を抱き上げる。けれど、少女は呻き声一つ漏らすことなく、完全に気を失っているようだった。

(少しやりすぎましたか)

 ちらりと罪悪感が顔を出すが、戦いの場で手加減など無用だろう。あそこでそんなことをすれば、きっとランティスにまで手を出されていた。彼を振り切れたのはイーグルにとっては有り難いことだ。

 この場の検分を兵士に任せ、イーグルはジェオと共にそこを後にした。手にしたモニターをいじりながら、部下に指示を出しているザズへと近付く。

「ザズ、本当にすみませんでした。いつ頃動かせそうですか?」

「今調べた感じだと、今日一日は貰いたいな。エンジン周りが無事だから、動かすだけなら今からでも一応いけるけど……」

 眉を八の字にしたまま顔を上げたザズは、ジェオの腕の中にいる少女を見つけて目の色を変えた。チーフメカニックから、年相応の少年に、だ。

「何、その子! どうしたんだよ!?」

「捕虜ですよ」

「可愛いじゃん! ね、ね、どうせその子の装備も検査するんだろ? だったら俺が服作ってあげてもいい?」

 呆れた、といった風にジェオは肩を落とした。メカニックとしての腕前は確かだが、進軍中だというのにいまいち緊張感がない。

「お前、今FTOの修理に一日かかるっつってなかったか?」

「どうせ途中で待ちが出るんだから、服の一着や二着作れるさ」

「じゃあ、お任せします」

 上官の許可が下りたことに、ザズは両手をあげて喜んだ。

 ザズの惚れっぽさ(本当に惚れているのか首を捻るところではあるが)は、イーグルには羨ましくもあった。彼の中で、恋愛の占める位置というのは非常に低い。軍人としても、オートザムの未来のためにも、決して必要ではないもの。むしろ、足を引っ張りかねないものだからかもしれない。

 けれど今になって思うのだ。国のためにと突き進んできた。人が羨む速さでこの地位に登り詰めた。

(それで、最後には一体何が残るんでしょうね)

 歴史に名を残す? そんな、自分が死んだ後のことなど無意味だ。

 死を前にして、振り返るべき過去がない。まだ生きているのに、ザズのような生き生きとした感情が欠落してしまっているようだった。他人が考えるような価値が、はたして自分にあるのか。

「で、どうするんだ?」

 その声に、イーグルは思考を戻した。ジェオがミーティングルームに入ってくるところだった。先程の少女を軍医に任せてきたらしい。

「お前が非人道的なことをするとは思ってないが、このままずっと拘束しとくっつーのも可哀想だろ」

「これから侵略しようというのに、副司令官とは思えない発言ですね」

「いや、そりゃあ……同じ軍人ならともかく、あんな小さいお嬢ちゃん相手じゃなぁ」

「セフィーロの人を見た目で判断しちゃいけませんよ。機体を傷付けて帰ってきた僕が言うのも何ですが」

 もし、ランティスに聞いた伝説どおりなら――彼女は、前の柱を消滅させるだけの力がある人間ということになる。もちろん彼女一人で成し遂げたことではないが、それでも並大抵の人間では果たせないことだろう。

「なるべくあちらの情報を引き出して、その後は人質として交渉の材料に使うというのが妥当な線でしょうか」

 その言葉に、ジェオは目に見えて安堵した。肩からふっと力が抜ける。その様子に少し笑みが零れてしまった。

 内心では、酷い扱いをする可能性を捨てきれていなかったのだろう。確かにこちらはあまり猶予がないので、同じ状況なら、より手っ取り早い手段をとる上官もいただろうけれど。

 かかってきた内線にジェオが出る。軍医が呼んでいるというので、彼を残してイーグルは一人で部屋を出た。

(さて、どうしたものでしょうね)

 ジェオと会話した内容に嘘はないが、素直に応じてくれる相手だろうか。

 医務室の扉を潜ると、軍医が頭を下げた。ベッドの上には少女が拘束された状態で横たわっている。

「どうしました?」

「一通りの検査が終わりました。捕獲時の精神ショックの影響がある程度ですが、尋問はどうなさいますか?」

「自然に目が覚めるまで待ちます。所持品の検査は少し待ってもらえますか? ザズがかわりの衣服を用意してくるそうなので」

 ザズのことは深く追求せず、軍医は検査結果をモニターに映し出すと、そそくさとその場を立ち去った。

(相手が女の子とはいえ、やはりセフィーロの人が恐いですか)

 セフィーロは、オートザムでは御伽の国のようなものだ。科学とは相容れない、未知の力を持つ人達だ。ザズのように好感を持つ者の方が少ない。身近にいたセフィーロの人間があのランティスだけだったのだから、余計にミステリアスに感じもするだろう。

 イーグルはモニターを眺めた。彼女の身体能力が数値化して表されている。多少運動神経は良いのかもしれないが、目立つ点は特にない。訓練を受けた軍人とは比べるまでもない、至って平凡な数値だった。

 魔神を操る上では身体能力は関係がないのか。それとも、魔法の力で底上げできるものなのか。

 眠っている少女には、年相応の幼さが垣間見える。魔法騎士になれるのは、異世界の者だけだとランティスが言っていた。とはいえ、ランティス自身、初めて出会った魔法騎士は彼女達が初めてだろう。伝説が本当かどうかはまだ分からない。

 ふと、左手にはめられたグローブが目に入った。

(最低限、武器になりそうなものは取り上げるべきでしょうね)

 あの宝玉から剣を取り出しているところを見た。起きた途端に抵抗されてはたまらない。

 慎重に、イーグルはグローブを外しにかかった。魔法の妨害を受けるかと身構えてはいたものの、特に何の抵抗もなくするりと外れる。グローブの下にあったのは、自分のものと比べて一回り小さな手だった。

 起こさないようにとゆっくり手を戻そうとした時、少女が小さく呻いた。ぎくりとして動きを止める。

 悪い夢でも見ているのだろうか? いや、そういった類の呻きには聞こえなかった。原因は、自分が手を動かしたからだ。

 拘束具が痛いのかと視線を滑らせて、ふと、少女の服に染みができているのを見つけた。赤い服なので分かり辛いが、腕の部分に血が滲んでいる。

 袖をたくし上げると、意外と深い傷が顔を出した。

(……こういうことは、軍医の仕事でしょう)

 捕虜とはいえ、傷の手当をしないわけにもいかない。魔法の国の住人でも、放っておけば治るというものでもないだろう。

 備え付けの医療キットを取り出しながら、ふとイーグルの頭に疑問が過ぎった。

 生身で戦ったわけではないのに、傷がつくものだろうか?

 魔神の内部がどうなっているのかは知らないが、戦闘中にぶつけでもしたのだろうか。だが、切り傷のように見える。丁度、自分が魔神の盾を切り裂いた部分だ。

(ジェオのこと、言えないですね)

 動揺してどうする。生身であろうがなかろうが、目の前に立ち塞がるなら倒すべき敵だ。魔法騎士でも他の誰でもそれは変わらない。残された僅かな時間でやり遂げようと心に決めたのだ。

 手早く傷の手当をすると、イーグルは足早にその場を後にした。

「私は、今年で十四歳だ」

 彼女の語る内容は、ランティスが言った伝説のとおりだった。セフィーロではなく、異世界から来た者が魔法騎士になる。

 そして面と向かって話してみると、身構えていたのが馬鹿に思えるほど、素直な年相応の少女だった。ミーティングルームに入ってきた時こそ警戒している様子だったが、ジェオとザズのおかげか、それもすっかりなくなってしまっている。

 ランティスと出会った頃を思い出した。彼の時も身構えていたのはこちらだけで、外見とは裏腹に、意外と裏表のない率直さだった。

 正直、尋問すべき内容も特にない。侵略に関しては、ランティスから得た情報で十分だった。異世界の住人である彼女が、内部事情に詳しいとも思えない。

 だから、会話は他愛ない方向へと流れた。

「これは市販のものですが、ジェオは自分でもお菓子を作るんですよ」

「自分で作れるのか? すごい! 私、料理は全然できないんだ。母様のお手伝いで精一杯で」

 光が話す異世界は、セフィーロよりはむしろオートザムに近いようだった。魔法は存在せず機械があり、精神エネルギーではないが、様々なエネルギーを用いて動いている。

 彼女の通う教育機関、剣術の鍛錬の場、家族や愛犬の話。母国の女学生と大した差はなかった。こんな少女を戦いの場に引き摺り込むのだから、御伽の国の制度も中々残酷だと思う。

 イーグルは専ら聞き役に徹していたが、無自覚の内に肩の力は抜けていた。軍や政府の関係者以外と話をするのは久しぶりだった。

 何の含みもない笑顔は、こちらから同様のものを引き出す。それは彼にはできないことで、無意識に求めているものでもあった。

「そういえば、腕の怪我は大丈夫ですか?」

 そう言われて初めて、光は腕の怪我を認識したようだった。

「これくらい大丈夫だよ。少しだけだし」

 何気ない言葉だったが、それは、彼女がただの女学生ではないことの証明だった。セフィーロで最も強い意志を持つ柱と、それを守ろうとしたランティスの兄をその手にかけたのだ。無傷では済まなかっただろう。

 さりげなく聞き出すと、やはり彼の予想どおり、魔神の負傷はそのまま搭乗者に反映されるようだ。つまり、コクピットさえ無事なら何とでもなるファイターメカと違い、魔神の急所は人体の急所と同じ。良い収穫があったと思うと同時に、罪悪感が胸の内を掠めた。

「手当してくれたんだね、ありがとう」

 その笑顔に、胸の奥が少し痛んだ。

「お前! 全部食ったのか、これ!?」

 箱の中にあったはずのお菓子が姿を消しているのを見て、ジェオは信じられないという顔でイーグルを見た。

「やだなぁ。さすがに、僕一人では食べられませんよ」

「じゃあ他に誰が食べるってんだ!? ここは俺達三人くらいしか滅多に出入りしねえだろ!」

「ヒカルです。ヒカルと一緒に食べたんですよ」

「……暢気にお菓子食ってたのか、揃いも揃って……」

 大きな溜息をつきながら、ジェオはランティスが去っていた先を見つめた。彼が開けた穴は、既に修繕が終わっている。まるで何事もなかったかのようだった。

「お菓子があった方がお喋りが弾むじゃないですか」

「おーおー、楽しそうなこって」

「異世界の話も色々聞きましたが、面白かったですよ。オートザムともセフィーロとも違っていて」

 こちらからあちらの世界へ行くことはできない。そう考えると、セフィーロよりも御伽の国だった。

「でも、どちらかというとオートザム寄りみたいでしたね。こちらで使用している魔法は戻れば使えなくなるみたいですし、セフィーロと違って教育機関も娯楽施設もあるようですし――ジェオ?」

 ジェオの頬が緩んでいるのを見て、イーグルは「どうしました?」と問いかけた。可笑しな話だっただろうか。

「そういう顔を見るのは、ランティスがいた時以来だな。あのお嬢ちゃんのこと、気に入ったんだろ」

 不覚にもぎくりとした。そして、自分の心がそう反応したことに驚いた。

「何言ってるんですか。あんな、年端もいかない女の子なのに……」

 恋愛対象になるわけがない。そう言おうとして、イーグルは言葉の続きを飲み込んだ。

 いや、違う。ジェオが言っているのはそういう意味ではない。

 ジェオは、友情だとか、親愛の情であるとか――そういった意味で言っているのだ。それだって、敵であることを考えれば排除すべき感情ではあったが。

(……疲れてるんですね、僕も)

 自分に言い聞かせるように、心の中で一人ごちた。しかし、一度速度をあげた心臓は、落ち着いてはくれそうになかった。

「……魔神の弱点を聞き出しました。次に向けて、作戦会議をしましょうか」

 ジェオの表情が固まるのが見てとれた。

「本気で、戦う気なのか」

「本気でなくて、どうして僕達がここにいると思うんですか?」

 自分の目的を思い出せ。今、最優先にしなければならないのは何か。

 時間がないのだ。国も、自分も。

 芽生えたかもしれない感情など切り捨ててしまえばいい。彼女と一緒に。

 死ぬことは恐くない。道の終わりが見えた時に、覚悟は決めたのだ。

(こんな時に、なんて。僕も呑気なものですね)

 切り捨てさせてくれるほど、弱くはなかった。彼女も、この気持ちも。

 どうせもうすぐ終わるのだと思うと、自分の手は彼女に伸びた。

 慰めたかったから? 相手が他の誰かならしないくせに。

 だが、胸の内に燻るこの想いは、決して喉より先へは出ていかない。

「イーグル?」

「大丈夫ですよ」

 そう言ったところで、光の顔から不安の色は消えなかった。目の前で血を吐かれれば、当たり前だろう。

 一つ一つ装備を手渡されながら、その度に、言葉が喉元まで上ってくる。

 こんな状況で、何を言おうというのか。

 ただでさえ、彼女の心は、ランティスへの気持ちでひどく動揺しているのに。先のない人間の想いなどぶつけられても、受け止めきれないだろう。

 直感だが、イーグルには分かっていた。光は柱になるだろう。そして、愛する者と笑って手を取り合える世界を築いていけるだろう。

 彼女が笑う未来に、きっと自分はいない。

 だから、せめて貴方を抱き締めた時の温もりを、もう少しだけ覚えていてもいいですか?

 2015年05月17日UP

 アニメ29話(イーグルと捕らわれた光)のシチュで、話をしているうちに恋心が芽生えるというリクでした。

 も、もっとこう甘いのとかほのぼの系を求めておられたんだったら申し訳ないです。切ない系に走ってしまいました……。

 リクエストありがとうございました!

お題配布元:「確かに恋だった」