見てはいけない
濃厚な香りを漂わせるお茶と、しっとりとしたパウンドケーキ。甘い中にも、どこか洗練された大人のような雰囲気を感じさせたその日のお茶会の帰り、光とイーグルは並んでエントランスへと歩いていた。
夕陽の赤い光が差し込み、城内はいつにも増して閑散として見える。まるで、他には誰もいないかのようだった。
「今日の会議、とっても長かったね」
「ええ。一つの区切り目でしたから」
オートザムとセフィーロの間で行われた会議には、光と海、風も参席していた。専門用語が飛び交えばたちまち理解できなくなってしまうのだが、それでも他人事とは思えないオートザムの環境問題に、部屋の外で待つなどという真似は到底できなかったのだ。
今回の会議で、とりあえず慌しい調査や研究は一区切りし、慎重に動き始めることが決まった。
「これからしばらくは、定期報告が主になるでしょうね。今回の案では不具合はあまり出ないでしょうし…こちらにも、当分は来れなくなってしまいますね」
斜めに差し込む夕陽で、眩しい割に影の濃いイーグルの顔が、とても寂しげに見えてしまう。光はそれが儚げに映り、思わず彼のマントをぎゅっと握り締めた。
「でも…でも、疲れたらすぐに来てね。病気、ちゃんと治ったわけじゃないんだし」
すでにオートザムで多忙な日々を送っているものの、イーグルの病は完治したわけではなかった。元より完治はまず無理だと、導師クレフは最初に告げていた。底をついた精神エネルギーを完全に回復することなど、何年、何十年とセフィーロに留まっていたとしても難しいものなのだ。仕事のあるイーグルは、そんなにのんびりしている余裕はない。
心配そうな光を見て、今度はころっと笑ってみせる。
「大丈夫ですよ。ジェオやザズが健康にはうるさく言ってきますし、こうして時々セフィーロに来ていますから」
それに…と、イーグルの手が、マントを掴む光の手を包み込んだ。
「ヒカルに、こうやって元気を分けてもらってますから」
その言葉と笑顔に、つられて光も笑みを零した。
「本当ですよ? ヒカルがいない時にこちらへ来ても、あまり元気にはなりません」
代わりに、ちょっと無口になるんですけど。と、今は姿の見えない親友を匂わせる冗談を言ってみせると、次は二人で声をあげて笑った。
「そういえば、ランティス遅いね」
「彼のことですから、てこずっている訳ではないと思いますけど…」
急な任務で城を飛び出していったランティスは、会議にも姿を見せなかった。二人共彼の実力は知っているものの、それでも不安というのは中々拭えないものである。
しかし、だからといってどうすることもできないわけで、結局二人は目的地へと歩を進めていく。光は東京へ、イーグルはオートザムへと帰るために。
「どうしたの?」
急に足を止めてしまったイーグルに、光も歩くのを止める。イーグルは人差し指をそっと唇に当てると、緩くカーブを描いている廊下の向こうに耳を澄ませた。
声はしないが、人の気配がある。
光が地面に視線を下ろすと、差し込む夕陽で長い一つの影が伸びていた。一人分にしてはやや大きい影に、ランティスが帰ってきたのかと思い、首を伸ばして廊下の先を覗いた。
「ヒカル」
イーグルがそれを制止するよう囁くが、光の目に映る方が早かった。
「あっ」と思わず漏れそうになってしまう声を両手で押し戻し、ぱっと後ろを向いてしまう。すると、苦笑しているイーグルと目が合った。
数歩後戻りし、二人で壁に寄りかかる。
「せめて、一本道でないところでお別れをしてほしいですね」
溜め息混じりのイーグルに、光もこくりと頷きを返した。
廊下の先にいたのは実は二人で、二人の距離がゼロだったために大きな一つの影に見えていたのだ。
(風ちゃん、ごめん…)
親友のささやかな逢瀬を覗き見てしまったことに、光はひどく罪悪感を感じてしまう。二人の関係は当然以前から知ってはいたけれども、男女の関係というものが具体的にどうであるのか、彼女はまだ知らなかったのだ。というより、言葉だけで知っているつもりになっていた。
まさか、あんな…と戸惑ってしまっていると、不意に隣からの視線を強く感じて仰ぎ見た。
見られている。
別に覗き見をされているわけでもなく、普段であれば大したことではない。
けれど、いつもなら彼は穏やかな笑みを浮かべていて、楽しいだとか、眠いだとか、何となくその表情の中にあるものに気付くのだ。それなのに、微笑んでいるわけでも怒っているわけでもなく、戦いの中で見せた真剣な顔でもなく、悲しそうな顔でもなく無表情というわけでもなく…そんな今の彼の表情を見ていると「どうしてそんな顔をしているのか」という疑問ばかりが頭を占めてしまい、先程よりもさらに速く心臓は脈打った。
「イーグル?」と言いたかったはずが、掠れて声は出なかった。
ふわりと前髪が触れ合う。夕陽が逆光になっていて、その表情はよくわからない。ただ、心臓は、先程の親友の姿を思い出してか恥ずかしいほど早鐘のように鳴っていた。
自分と彼は、別にそういう仲ではない。一方的に恋焦がれたことがあるわけでもない。それならどうして、と自問自答するものの答えが出るわけもなく、一瞬のようで長いような気もするその時間は、普段とは少し違ったイーグルの笑みで終わった。
いつものように―――けれど控えめにその腕の中におさめられる。
燃えているかのように熱く火照った頬を彼のマントに埋めたままで、思考はぐるぐると渦を巻く。
抱擁なんて挨拶のようなもので、特別なことではない。けれど自分はどうしてか緊張してしまっていて。
自分は彼を、彼は自分を、どのように思っているのか。そんな疑問が、初めて光の中に浮かんだ。
そんな時に廊下の先で音がして、抱きしめられたまま光はびくりとしてしまった。
二人がエントランスへと向かったのかと思っていると、去ったと思った足音がこちらに近づいてくる気配がして、いよいよ混乱してしまう。
悪いことをしているわけでもないのに、見られてしまうと思うと動揺してしまう。しかし慌てる気持ちとは裏腹に、体は動こうとしなかった。
「ヒカル」
囁く声が耳元でして、余計に体が固くなる。
「また来ます」
イーグルはそっと光を解放すると、返事も待たずにその場を後にした。
「……」
靴音が遠ざかると、急に力が抜けて壁に寄りかかってしまう。
(違う。私がなんか変なんだ…)
イーグルがいつもと違うわけじゃない。とは思うものの、奇妙な感情の理由にはならず、もやもやとした気持ちが残ってしまう。
(と、とにかく、今日はもう東京に帰らなきゃ)
「ヒカル、もう帰るのか?」
無理矢理別のことを考えて気を紛らわせようとしたところに声をかけられて、過剰に驚いて光は振り返った。
そこには普段どおりのランティスが立っていた。慌てて何度も頷くものの、なぜだか目を合わせることができず、視線は下を向いてしまう。
「さ、さよなら」
それだけ言うのが精一杯で、急いで彼の脇を通り過ぎてしまう。
任務はどうだったかとか、会議がこうだったとか、いつもならいくらでも思いつく会話の種は、今日は何一つ出てこなかった。
ただ、先程のことはランティスに知られたくないと思っただけで。
気持ちの整理もつかぬまま、光は夕陽色の廊下を駆けていった。
2007年06月22日UP
光ちゃん視点でイーグル×光。
あと、いつもナチュラルにフェリオ×風が出てきたり。この二人は公式だしね。