Polaris

彼がのこしたもの

 夕日に赤く染まるセフィーロの景色を、イーグルはぐるりと見渡した。視界いっぱいに広がる木々の緑に、紅色の空。大地に長く影を落としながら太陽が沈んでいく。眩しいほどの光が自分から遠ざかってしまう。

「しばらくは、この景色も見られないんですね」

 彼の療養は、長いようで案外短いものだった。祖国では不治の病とされているはずが、完治ではないにしろ、こうして立ち上がって物を見れるまでに回復できたのだ。セフィーロの『心』の力とオートザムの『精神エネルギー』は、元が同じなのに随分違う。前者には出来ることの限界はなく、使い過ぎということもない。

 柱候補になるほどの心の強さを彼が有していたからか、それとも、回復を願う人々の心が強かったからか。なぜ回復できたのかを、この国の人々は詳しく調べようとはしない。心の力だと、それこそ『信じて』いるのかもしれない。

 滞在中に少しずつ増えていった荷物が、オートザムから迎えに来た船へと積み込まれていく。もう少しで準備も終わってしまうだろう。

 憧れる空と大地から目を離すと、イーグルは見送りに来た人々の方へと向き直った。

「長い間、お世話になりました」

「まだ完治したわけではない。定期的にこの国に来るように」

「導師クレフにそう言っていただけると有り難いですね。仕事から抜け出すお墨付きを貰ったようなものですから」

 その言葉に、クレフは困ったように微笑んだ。クレフとしては、完治していない人間を帰すのは納得できないことだったが、他国の重要人物を自分の一言で引き止めることができないのも重々承知していた。

 セフィーロ侵攻の最高責任者が、そのままセフィーロに居座ってしまったのだ。やらねばならないことはたくさん残っているだろう。

 クレフをすっぽり覆ってしまう影ができ、二人は顔をあげた。夕焼けを背にランティスとジェオが立っている。

「準備できたぞ」

「ありがとうございます。ランティスも」

 眩しい光の中で笑みを向けるが、逆光の中でランティスの表情は分からない。彼とも、オートザムに居た時以上にたくさんの話ができた。それも、他愛もない話ばかり。以前お互いが抱えていた重い問題は今はなく、セフィーロで咲いた花の話や、誰かが可笑しなことをした話―――後は、無言の中での鍔迫り合いだけ。何も気付かない少女を挟んで。

 その少女を含む異世界の三人は、この場にいなかった。今日は彼女らの世界ではガッコウがある日らしく、本来ならばこの世界を訪れる日ではない。それでも、必ず見送りに来ると言っていたが。

「それでは、また」

 失礼します、と頭を下げて、イーグルはジェオに続いて船へと向かった。

「イーグル!」

「ちょっと待って、まだ!」

「何とか間に合いましたわね!」

 城の方からバタバタと大きな足音をさせて駆け寄ってくる三人の少女に、イーグルは笑みを浮かべた。船に乗り込みかけていたジェオも振り返り、「間一髪だな」と笑う。

 いつもより荷物の多い彼女達は、ガッコウから直接ここに訪れたのだろう。鞄を放り出して肩で息をしている。二人に比べて体力がない風などは、膝に手をついて随分苦しそうだった。

「良かった、間に合って。約束したのに、もう行ってしまってたらどうしようって思ったんだ」

 夕日を受けて眩しそうに笑う光は、ぐいと制服の袖で汗を拭った。

「光ったら、全速力で走るんだから。大丈夫? 風」

「ええ、大丈夫ですわ…。イーグルさん、お体にお気をつけくださいね」

 まだ苦しそうな風は、それでもイーグルに向けて小さな包みを差し出した。

「私達の世界の茶葉なんです。甘い物がお好きなそうなので、それに合うと思って選んだのですが」

「ありがとうございます。でも、フウから頂いてしまうと、フェリオに怒られそうですね」

 初対面で早々に、「フウは俺のだからな」と釘を刺したフェリオを思い出した。そのフェリオの方へ顔を向けると、彼は肩を竦めてみせる。「今回だけは仕方ない」という風に。

「こっちは、私が焼いたクッキーよ。たくさん入れてあるから」

「ありがとうございます。船の中でジェオと食べますよ」

「お菓子を食べさせる人間が一人減るのは、私としてはちょっと不満なんだけど」

「僕の分は、きっとアスコットが頑張って食べてくれますよ」

 そう言うと、海は「なんでアスコット?」と首を傾げた。彼女も相当鈍感だ。世話焼きでよく光のことを言っているが、正直彼女が言える立場ではない。

 二人から包みを受け取って光を見ると、彼女はわたわたと制服のポケットをひっくり返していた。

「わ、私、何も用意してなくて…ごめんね、イーグル。飴も今日は持ってないみたいだ…」

「いいんですよ、ヒカル。その気持ちだけで十分です」

 しゅんと俯いた光だったが、持ち前の元気の良さを発揮してすぐに顔をあげた。その顔には、今度は決意の色が浮かんでいる。

「じゃあ…私、イーグルがオートザムでも元気でいますようにって、いっぱいいっぱい祈ってる! だから、また元気で会おうね!」

 祈っている、という言葉に、不意に胸の奥が震えた。信じる心が力になるこの国で、彼女が祈る。病からの回復を祈ってくれた時のように。その力強い瞳は、真っ直ぐに彼を見つめていた。一点の曇りもない。彼女の名は、彼女自身をよく表している。

 オートザムへ戻るということは、彼女から離れることだと思っていた。自分の手の届かない所で、光は時を過ごす。…ランティスと一緒に。イーグルにとっては、とても不利な状況だ。

 でも、まだこの時なら、ぎりぎりイーブン。目の前の少女の心は、まだどちらにも傾いていない。

「はい、またセフィーロに来ますよ」

 親友の少女二人に挟まれて自分を見上げる光の肩に手を置き、イーグルはそっと引き寄せた。普段と同じ抱擁だと思って心の準備をした彼女を、しかし抱き寄せることはせず、そっとその頬に唇を落とす。

「ヒカル、貴方に会いに来ます」

 限界まで見開かれた紅い瞳は、ただ真っ直ぐにイーグルを見つめていた。驚いて微動だにしないまま、彼女の頬だけがぐんぐんと赤みを増していく。

 その様に一つ笑みを零すと、ぎょっとして固まっている海と風に軽く会釈をしてイーグルは踵を返した。

 船の入り口で、こちらも固まっているジェオの横をすり抜けて乗船する。入り口が閉まると、船はすぐに離陸を開始した。

 船が出す風に煽られながらも、光の目はまだ真っ直ぐにイーグルに向けられていた。魔神越しでも、FTOやNSXに乗っていても届いてくる真っ直ぐな視線。その視線を向けられると目が離せなくなるのは、あの時から変わらない。

「お前、最後の最後で……とんでもねぇ爆弾残してったな」

「いいじゃないですか。これから先は、しばらくランティスが有利なんですから」

 自分は先手を打っただけのこと。その機会は、お互いに山ほどあった。ただ、決意したのはイーグルが先だったというだけのこと。

 雲が間に入っても、イーグルはまだしばらく、光へとその瞳を向けていた。

 2014年06月28日UP

 爆弾を残していかれた側はたまったもんじゃないと思います。