28 再び旅立ち
眩しい光の収束と共に全速力で駆け寄ってきたかと思うと、彼女は押し倒さんばかりの勢いで光を抱き締めた。
「遅い! 昨日は待ちぼうけだったのよ!」
第一声を上げる海とは違い、こちらはゆっくりと近付いてきた風は、光に向かってにっこり微笑んでみせた。
「ごめんね、海ちゃん。怪我とか大丈夫? 風ちゃんも」
「こちらは大丈夫ですわ。光さんも、とりあえずはお元気そうで何よりです」
海が漸く光を解放したところで、三人はその場に集っていた者達へと向き直った。大広間には、いつものセフィーロの面々が顔を揃えている。
「そういえば、今回は空から落ちてこなかったわね」
「あれは、セフィーロ全体を紹介してくださっているのでは?」
「そんな乱暴な紹介いらないわよ!」
放っておけばいつまでもお喋りを続ける勢いの彼女達に、クレフは咳払いをしつつ割って入った。
「積もる話があるのは分かるが、私達からも話がある。こちらに座ってはくれないか」
全員が円卓を囲んで腰掛けたのを見てから、クレフはもう一度口を開いた。
「まずは、お前達の無事が確認できて良かった。送り出した時に予想できたこととはいえ、危険な目に遭わせてしまって本当にすまない」
「私達の意志で決めたことです。危険も承知の上でしたし……それよりも、そちらの状況をお伺いしたいですわ。まず、私と海さんを招喚なさったのは光さんということでよろしいですか?」
風の言葉に、光は頷いた。
「柱になってしまった以上、前みたいに自力でセフィーロに来るのは無理だと思ったんだ。それで……」
「それでは、光さんが柱になられたのは確かですのね。では、コルティナに出向いた他の方々はどちらに?」
「皆、お前達が異世界へ戻ったすぐ後に無事こちらに戻ってきている」
クレフのその返事に、風と海は胸を撫で下ろした。戦いを放り出す形になってしまったのだから、彼らの安否が心配だったのだ。
「不本意ではあるが、柱が復活したことで国は安定している。ヒカルが連れて戻ってきたコルティナの王子は拘束しているが、現在向こうからの接触はない。今の内にこちらから手を打てればいいのだが……向こうが何を望んでいるのか、まだ分からないのだ」
捕らえている王子のこと。夢のこと。発見された日記のこと。過去を探っていること。クレフが話してくれるのを、皆一様に黙って耳を傾けていた。
コルティナに出向いた時の状況と比べると、今この国は落ち着いている。それは、風が東京でずっと頭に描いていた自らの考えを実行に移すには、良い機会だった。
「クレフさんにお願いがあるんです。少し遠出になりますから、旅の支度をさせていただけませんか?」
「またコルティナに向かうというのか?」
眉を寄せたクレフに、風は首を振った。
コルティナの様子は確かに気になる。今は何もなくても、ずっとこのままでいるはずはないだろう。
「東京に戻ってから……風と、ずっと話していたのよ。戦いになるのなら、私達、魔神の力を借りなきゃならないって」
「もし戦いにならないとしても、今お調べになっている『ソアラ』と『ソニカ』という方々のことを、魔神なら、何かご存じかもしれませんわ」
二人の提案に、クレフは腕を組んで思案していた。魔神は元々、柱を抹殺するために存在するはずなのだ。果たして協力してもらえるのかという問題もある。それに、城外に出ることでどんな危険があるのか分からなかった。
「導師、うちはお嬢様方の話に賛成や」
思いもよらぬ方向からの援護に、二人は目を丸くした。まさかカルディナがそう言ってくれるとは思っていなかったのだ。
「本の中から探すんも大事やけど、それができる人間も限られとる。残った人間でできることがあるなら手を尽くすべきや。但し――」
ここは外せへん、とカルディナは人差し指を振って念を押した。
「お嬢様方だけで行くのは危険や。新しいセフィーロのことはうちらの方がよう知っとるさかい、うちらの中からも誰かついていくべきや」
その提案に、クレフは頷いてみせた。彼としても、できる手は全て打っておきたい。
「それであれば、三人分かれて、それぞれの神殿に向かっても良いでしょうか? 一つずつ回るのでは時間がかかると思っていたんです」
海、空に浮かんだ山、火山の三箇所は、昔も今も、近い位置に存在するわけではない。以前のようにザガートの手の者が邪魔をするわけではなかったが、いくら飛行手段があると言えどそう短時間で回れるものではなかった。
「それなら、海の神殿へは僕がついていくよ。前に行ったことがあるし、友達の力を借りれば海の中に入れるから」
名乗り出たアスコットに、海は「ありがとう、よろしくね」と笑顔を向けた。
「ならば、炎の神殿へは私が行こう」
その声をあげたのはラファーガだった。彼も、炎の神殿は初めてではない。そして残った空の神殿へは、カルディナが同伴することになった。
「ウミとアスコットはともかく、他は私の精獣を使うといい。だが、決して無理はしないように」
まずは自身の安全を最優先すること。それが、彼の出した条件だった。
「ひととおりの指示は出してあるが、何かあればお前を頼るように伝えてある。もしもの時は、隊を頼む」
嫌いだから、苦手だからという理由で最低限のコミュニケーションを怠るような子ども染みた真似はしないラファーガではあったが、相変わらず、この男は苦手だった。他の者に話しかける時とは違い、一瞬にして表情が凍るのが自分でも分かる。
「ああ」
ランティスの返事は、たったそれだけだった。本当にそれだけだった。
こちらに一瞥をくれたかと思うと、すぐにそっぽを向いて歩き出してしまった。
もっと、他に言うことがあるだろう。
こちらは心配するな、だとか、光のことを頼む、だとか。せめて「分かった」くらいは言ってくれないものか。
「ごめんなさい、ラファーガだって忙しいのに」
その声に、ラファーガは数刻前の過去から現実へと目を向けた。彼より大分低い位置から、眉尻を下げた光がこちらを見上げている。風に煩くはためいている外套の音に負けない、しっかりした声だった。
「お前が気にすることはない。私が自分で名乗り出たのだから」
光から眼前へと視線を移すと、背中を借りている精獣の頭の向こうに、広大なセフィーロの大地が見えた。噴煙を上げている火山はまだ先だ。いくら導師クレフの精獣といえど、今日中に城に戻るのは難しいかもしれない。
それぞれの距離からすると、空の神殿へ向かったカルディナと風が一番早いだろうか。
天候が荒れる気配はない。つい最近までは、空へ逃れていたとしても翼を持つ魔物の気配に怯えていたが、そちらもどうやら心配なさそうだった。
魔神の眠る神殿へ赴く話が出た時、彼は自分が名乗り出るべきだと咄嗟に思った。
海や空に浮かんだ山とは違い、火山は唯一地続きで、誰でも簡単に出入りができる。襲ってくるのが魔物にしろ人にしろ、数で攻められた場合に対処できる人間がついていくべきなのだ。
あの男も十二分にその能力は持っている。それはラファーガも良く分かっていたが、今二人を共に行動させて良いことは何もないだろう。この国を支えているだろう心に余計な負担を強いるだけだ。
だからラファーガは名乗り出た。そして、隊を離れてついていくと言ったラファーガを拒まなかった光も、恐らくその意図は理解しているのだろう。
(……ヒカルは、再び柱をなくすだろうか)
その時自分は、心の底から喜ぶことができるだろうか。
柱になった者に待つ未来。それを良しとすることはできない。けれど柱のいないセフィーロは、決して平和と言える状態ではなかった。
自分と縁遠いどこかの誰かの幸福と、身近にいる愛する者の幸福と、どちらがより重要か――後者を選ぶ者達がいることは分かっている。そして、その者達を攻める気にはなれなかった。彼らは彼らなりに、自分の大切な者達を守ろうとしているのだから。
あの時のカルディナとの会話を幾度も反芻していたが、まだラファーガは己の考えを見出せずにいた。
2015年11月01日UP