野ばら 1
隣国との戦争が終わり、この国は一時の平穏の中にあった。以前は戦場で仕事をしていた彼も、最近は護衛の仕事ばかりである。
しかし、ランティスの口からは、重い溜め息が出た。
傭兵として生計を立てている彼は、人殺しの仕事から解放され、彼なりに「平和になったのだ」と思っていた。しかし、戦争が終わったところで人々の暮らしが楽になるわけではない。
戦争のために浪費した金を、国は税金として民から取り立てる。兵士として男手を取り上げられた人々の肩に、それは重く圧し掛かるのだ。他人のことなど思いやれないほどに。
商人の道中の護衛ということなのに、依頼主の名を聞かされていないと思えば、相手は人身売買を生業としている男だった。人を殺して金を貰う彼も人のことは言えないが、やはり気持ちの良い仕事とは言えない。
今までどんな人間を商品にしてきたのかをつらつらと自慢げに語る男を受け流しながら、ランティスは早く仕事が終わってくれることを願った。
辿り着いたのは小さな村だった。比較的温暖なこの地域では、農業も盛んだと聞いている。しかし、やはり女と子どもだけでは辛い仕事らしく、道行く人々の顔には生気がない。畑も、少々荒れた様子だった。
奴隷商人の後に続いて、村長の屋敷に向かった。
他と比べると幾分か大きなその家の前に、小さな人だかりができていた。その中から、村長と思われる歳を取った男が歩み寄ってくる。
商人の男がそれに応じている間に、ランティスは通りの向こうに目をやった。一軒の家…だったのだろう。焼失して炭と化したそこに、わずかに柱のようなものが立っていた。
村長の話を聞かずとも、売られる少女がその家に住んでいた者だということは察しがついた。家族は他にいなかったのか、もしくは焼け死んでしまったのだろう。火のように赤い赤毛は先が焦げ、服の裾にも焼けた跡が見られた。その髪よりも深く鮮やかな紅い瞳は今は虚ろで、周りの人々の励ましも聞こえていない様子だった。村長が商人から巾着を受け取ると、さらに頭を垂れてしまう。ジャラリという金貨の音が、どうにも不愉快だった。
「よし、行くぞ」
ランティスに向かって言ったのか、それとも、手に入れたばかりの商品に言ったのか。男の声に、今来たばかりの道を引き返し始める。背中に、村人の視線が痛いほど突き刺さっていた。
戦後の平和などというのが幻想ならば、小さな村だからこそ、助け合って…というのも、戯言に過ぎないのだと、ランティスは空虚な気持ちを抱いていた。
次は大きな町へと向かいながら、誰かとすれ違うこともない、整備されていない道を進む。
その中を、まるで家畜か何かのように、両手を縄で縛って、商人は少女を繋いでいた。人通りが少ないことは、不幸中の幸いなのかもしれない。
「歳は?」
普通、会って初めに聞くのは名前なのだが、どうせすぐに自分の手を離れる商品の名前など、興味はないらしい。
「…15」
商人が、ちょっと驚いたように目を丸くした。せいぜい11・2だろうと考えていたランティスも、内心驚く。
「でも、そのナリじゃ、まだ男も知らんだろ?」
不躾な質問に、少女は赤くなって睨み返しただけだった。それを見て、男はニヤニヤと笑う。
「ま、その方が高く売れるしな」
売られる先を決めるのはこの男ではないが、その行き先は大体決まっているようなものだ。どちらにせよ、少女の側に選択権などないが。
その後は、商人がぶつぶつと独り言を言うだけで、少女もランティスも黙って歩き続けた。時々、少女は不思議そうな瞳をランティスへと向けるが、それは彼が居る理由がわからないからだろう。ただ、彼が腰に下げている剣が目に入っても、特に恐がる様子はなかった。
やがて日は落ち、外灯もない野道は暗闇の中で見えなくなった。今日は月も出ていない。
旅人や商人相手に商売をしている小さな宿を見つけ、今夜はそこで夜を明かすことになった。
「すみません、今日は一部屋しか空いてなくて…」
宿の主人が、困ったように眉を寄せた。一部屋につきベッドが二つ。こんな小さなところだと、せいぜい十部屋しかない。普段から満室になりやすいのだろう。主人はすぐに妥協案を出してきた。
「倉庫でよろしければ、寝る分には困らないと思いますが…」
野宿よりはマシでしょう? とランティスに振る。商人が部屋を使うことは、宿の主人からしても一目瞭然だ。
「ま、いいだろ、それで」
商人は金をカウンターに放り出すと、少女に繋いだ縄を引っ張って中へと入り込もうとする。しかし、主人は再び声をかけた。
「あの、うちはそういった店じゃないんで、できれば…」
主人の視線が、商人の顔と少女の顔を行き来する。すると、商人は縄をぐいとランティスに差し出した。
「お前、ちゃんと見張っておけよ」
それだけ言うと、自分はさっさと部屋へと向かってしまう。金で雇ったとはいえ、信頼しすぎではないだろうかという疑問もあった。ここで仕事を放棄すれば傭兵としての仕事は激減するだろうが、商人のあの態度を快くは思わない。「そうしてみるのも有りかもしれないな」と、心のどこかでは思っていた。
主人に言われたとおりに裏口から出ると、確かに倉庫があった。小さいが、煉瓦造りなので一晩ぐらいなら耐えられるだろう。
暗い中では取っ手の場所もわからないので、自分のランタンに灯りを灯し、戸を開けた。
ひんやりと冷たい石の床だった。ガラクタや掃除用具が無造作に置かれているだけで、シーツ代わりになるような布の一枚もない。小さいわりに、がらんとして広かった。
振り向くと、小さな光に照らされた少女の顔には、「こんな所で?」と書かれていた。今まで普通の娘として育ってきたのだから、無理もない。
「早く入れ」
そう言っても躊躇っているので、ランティスはそっと背中を押した。もう片方の手に持っている縄を引っ張る気には、到底なれなかった。
戸を閉めると、夜風が遮られ、無音の空間ができあがる。その中で、少女は静かに座り込んだ。
見張っておけ…という、先程の言葉が蘇る。しかし、彼女に逃げ出す気配はない。ランティスは、縄の結び目に手をかけた。
何度も引っ張られたために固くなっていたが、するりと縄は落ちた。橙色の光で、縄の模様に赤くなった皮膚が見えた。どれほどきつく縛られていたのか、ところどころ血が滲んでいる。
「…ありがとう」
少し驚いた様子だった。
ランタンの燃える火の音さえ聞こえそうな倉庫の中は、風こそ通さないものの空気は冷えている。
彼は鎧を着ているが、着の身着のままの彼女は寒いのではと、ランティスは羽織っていた外套を脱いだ。あまり会話もしたくない彼は、それを黙って少女に差し出した…のだが。
(疲れたのか)
少しの間だったというのに、少女は抱えた膝の上に頭を預けて、小さく寝息を吐いていた。
起こさないようにと外套をその肩にかけると、ランティスは自分も眠ろうと目を閉じた。
自分が優しいのかそうでないのかわからない。今逃がしてやることもできるのだ。しかし、一人で逃がしても行く当てもないだろうし、傭兵である自分と共に逃げても穏やかな暮らしとは程遠い。
そうして、結局はそのまま朝を迎えてしまった。
2007年07月08日UP