野ばら 5
「飯を作れって? どうして急に」
イーグルの家には二人も女中がいる。それを知っているジェオの疑問は尤もだった。
「父がしばらく家を空けるんです。母もシティも連れて行くらしくて……ヒカルだけだと、まだ危なっかしいんですよ」
ドジを踏むということはないのだが、刃物や火を扱っているのを端で眺めていると、どうにも落ち着かないらしい。
無理をさせるよりは…と、結局イーグルはジェオを頼ることにしたのだ。彼は菓子作りが趣味なのだが、その延長で料理も作る。男が趣味で厨房に立つなんて…と蔑む者もいるが、その辺りの店よりも彼の料理は美味しい。第一、臨時で誰かを雇うよりは、余程気が楽だ。
「ま、いいぜ。いくらでも作ってやる」
「恩に着ます」
「どうせなら、ザズのやつも誘ってやるか」
「ザズ…ですか?」
どうして急に、ときょとんとしたイーグルに、逆にジェオは不思議そうな顔を向けた。
「なんだ? アイツが気があるのに気付いてないのなんて、ヒカル本人だけだと思ってたがな」
分かりやすいもんだろ? とジェオは言うが、イーグルはというと、今この瞬間まで全く気付かなかった。「もしや」とすら思わなかったのだ。
しかし、確かに二人は歳も近いのだし、背の低さが悩みの種であるザズが「自分より背の低い子が好み」と言っていたのを聞いたこともある。ただ、彼は誰とでも親しく話をする人柄なので、ヒカルを特別視しているのではないと勝手に思い込んでいた。
「まぁ……大人数の方が賑やかで楽しいですから」
当たり障りのない言葉に、ジェオは特に注目せず、頭の中はすでに料理の内容へと移ったようだった。
ふと、街角の服飾店がイーグルの目に入る。窓硝子の向こうには、相変わらず同じ服が飾ってあった。
「なぁ、なんかリクエストあるか?」
「いえ、何が出てくるのか、楽しみにとっておきますよ」
店の窓から目を逸らし、彼らは大通りを逸れていった。
「ウミ、ちょっと一息つきましょうか」
「ありがとう」
プレセアから湯気の立ち上るカップを受け取り、ウミは手近な椅子を引き寄せた。ちらり、ともう一度窓の外を見る。
「疲れたの?」
長時間店を任せていたので、プレセアはてっきりウミに負担をかけたのかと思ったが、ウミは慌てて首を振った。
「そうじゃないのよ。知ってる人が通ったから」
プレセアがウミと同じく窓の外、大通りへと目をやると、二人の男が角を曲がって消えていくところだった。
「ああ、この間会ったお友達の。ビジョン家の方ね」
「プレセア、知ってるの?」
「ええ、よくお店に来られるから」
この服飾店では、商人から貴族に至るまで、幅広い層の客に服を売っている。先程も、プレセアは貴族からの依頼でドレスを一着縫っていた。
「この間も買っていかれたわ」
プレセアは、店のマネキンに着せたドレスに目を遣った。贅沢なほどに刺繍を施した白いドレスだ。まるで花が散っているかのような可愛らしい模様だ。同じ柄でハンカチとリボンも作ったのだが、そのリボンだけを彼は買っていった。
セットで作ったのに……と、職人魂が許さないのか、プレセアが後でぼやいていたことはウミも覚えている。
それらのピースを合わせると、自然と、そのリボンの行き先がどこか見当がついた。ヒカルが照れた様子で身に着けていた、あれだ。
(あの子、元気にしてるかしら)
ぼんやりとウミは考えた。
それほど長い時間を共にしたわけではなかったが、あの辛い状況下で二人はすぐに打ち解けあうことができた。きっとこれからも長い付き合いになるだろうとぼんやり考えながら、温かい紅茶で喉を潤した。
職人の手を離れたリボンは、少女の手によってするりと髪の先から外れていった。
とても綺麗だし、折角結んでもらったのに、勿体無いとは思ったけれど……。
(汚したら大変だもんね)
皺がつかないように丁寧に折り畳み、貰った箱の中へと入れる。少し考えた後、彼女はそれをベッドの隅のシーツの下に隠した。
「ヒカル?」
ドアの向こうから呼ぶシティの声に、ヒカルは慌てて寝室を出た。
「説明も兼ねて、ちょっと手伝ってもらっていいかしら?」
明日から屋敷を離れるシティに代わって、ある程度のことは彼女一人でこなさなければならなかった。普段はシティが担当していることも、当然ヒカルがすることになる。
てきぱきと、各部屋を訪れてはシティは説明する。この部屋は午前中に窓を開けて光を入れること。ここは念入りに拭いておくこと―――漸く部屋の配置も覚えてきていたので、ヒカルも頷きながら頭に叩き込む。この屋敷は、貴族の屋敷にしてはあまり大きくないのが幸いだった。たった二人の使用人では、この広さでも手入れするのは限界に近かったが。
「ルノー様のお部屋は、昼過ぎから夕方の間に掃除してね。朝は遅い方だし、食事は勝手になさる方だから気にしなくて大丈夫よ」
ヒカルが少し体を強張らせたのに気付いて、シティは苦笑した。
「そんな顔しないで。ヒカルが思っているより、ルノー様は良い方よ」
ヒカルは小さく頷いた。
イーグルの兄であるルノーと、ヒカルはあまり関わる機会がなかった。彼の身の回りの世話はシティの担当だったし、偶に顔を合わせても挨拶をするくらいで、大した会話もしない。だから、ヒカル自身も彼が悪い人だとは思っていなかった。
ただ、自分に良くしてくれているイーグルが、ルノーを良く思っていない。そのイーグルの態度に引き摺られているところはあった。彼女自身、それが良くないことだとは分かっているのだけれど。
そしてシティも、それには気付いていた。
「ルノー様とイーグル様は、昔からあまり仲が良くないの」
ヒカルより幼い頃からこの家の使用人をしているシティは、まだ兄弟が小さな内から二人を見てきていた。
ルノーの生活が荒れ出したのは戦の後からで、それまではごく普通に生活していた。ただ、馬が合わないのか、昔から二人は歩み寄る様子はなかったそうだ。
弟であるイーグルが優秀すぎたことも一因かもしれない。今では誰も、後継ぎがイーグルになることを疑うものなどいなかった。兄としては当然面白くないだろう。
「でも、優しい人なの。だから、貴方もそんなに恐がらないで」
シティの言葉に、今度は少し力強く頷いた。
(イーグルの兄様だもの。きっと悪い人じゃないよね)
尻ごみしていては駄目だと、ヒカルは自身に強く言い聞かせた。
屋敷の中がたったの三人になってから、早くも一週間が過ぎた。
初日こそジェオとザズが来てくれて非日常感があったものの、それ以外は案外いつもと変わりない毎日が続いている。料理に関しては、ジェオが日持ちのするものを作っていってくれたり、ヒカルでも作れそうなものを教えてくれたりして、何とか食べられる状態にはなっていた。
(ちゃんと母様に習っておけば良かったな……)
今は生きているかどうかすら分からない母の、キッチンに立つ後ろ姿を思い出した。彼女の家も女中を雇っていたが、貴族のように住み込みではなく、食事の用意や掃除の時など、忙しい時間に手伝ってもらうくらいで、母自身が料理を作ることも多かった。ヒカルも多少は手伝ったことがあるが、せいぜい皮むき程度だ。しっかり料理を教わるのはまだ先だと、その頃は考えていたのだ。
家族と一緒に何の不安もなく生活していたあの頃は、今の自分の姿など想像もしていなかった。
少し感傷的になりすぎだと、ヒカルは首を振って現実に戻ろうとした。
(今だってまともな暮らしをさせてもらえてる。もしあの時来てくれたのがイーグルじゃなかったら、今頃どうなってたか分からないじゃないか)
悪条件で重労働をさせられて、死んでしまう奴隷も多いと聞く。それを考えれば、今の自分の状況は幸せすぎるほどだ。
(料理も、もっとちゃんとできるようになろう。シティが帰ってきたら教えてもらわなくちゃ……)
これからも、自分はずっとここで働くのだ。
この国では、住み込みの女中として雇われた者はそのまま雇われた家で生涯を終えるのが普通だった。賃金は貰えないが、その代わり衣食住は保障してもらえる。
自分も、この屋敷の主が代替わりしても働き続けることになるのだろう。
(やっぱり、イーグルが後継ぎになるのかな)
シティとの会話を思い出す。
現時点では、それが現実的に思えた。
イーグルが継げば、このままこの屋敷に残り、どこかの令嬢を嫁に貰うのだろう。その未来を思い描いて、胸の奥がちくりと痛んだ。
そんなことを考えながらぼんやり鍋の中身をかき回していたヒカルは、背後からのガタンという音に心底驚いて振り返った。
キッチンの隣のダイニングルーム。先程まで無人だったそこに、頬杖をついて腰掛けている者がいた。イーグルの兄であるルノーだ。目が合うと、ぶっきらぼうに「食事は?」と言われてしまった。
(ど、どうしよう。用意しなくて良いってシティが言ってたのに……)
彼の分など、当然何の用意もなかった。
何日か前からイーグルは忙しくて、夜更けにならないと帰ってこない。だから屋敷では夕食を食べておらず、軽い夜食を摘まむくらいだ。
つまり、貴族に出すようなものがそもそもないのだ。彼女一人分の夕食は、切れ端や痛み始めた食材をごった煮にしただけのものだ。こんなものを出せるわけがない。優しいイーグル相手にだって無理だ。
夜食用にとっておいたものを出そうかと右往左往していると、その様子に見かねたのか、彼は溜息をつきつつキッチンまで入ってきてしまった。
「これ、もう出来てるんだろ? 早くしろよ」
鍋の中身を覗き込む彼に、ヒカルは慌てて首を振った。
「そ、それは私の分で……」
「一人で食うのか? この量を?」
「あ、明日の分もと思って多めに作ってあって」
「じゃあ、明日のは明日作ればいいだろ」
それは確かにそうだけど……と戸惑うヒカルをよそに、ルノーは鍋の中身を勝手によそうとダイニングテーブルまでそれを運んでいってしまった。
迷ったあげく、彼女はパンと、ジェオが作ってくれた物を座った彼の前に並べた。
既に一口目を味わい終えていた彼は、不満そうな目でヒカルを見上げてきた。
「……不味くはねえけどさぁ……」
「ご、ごめんなさい……」
自分の料理の腕を重々承知している彼女は、ただただ小さくなるしかなかった。
2015年06月20日UP