Polaris

野ばら 4

「はー…やっと諦めてくれた…か?」

「どうでしょう…」

 豪華な装飾が施された調度品に囲まれ、二人は同時に溜め息をついた。息が詰まるような思いをしたのは、別にこの部屋が窮屈だからというわけではない。先程まで共に居た一人の少女が原因だった。

「フウ、お前の妹にしては物分りが悪いな」

「そんな言い方はよしてください」

 フウが咎めると、フェリオは肩を竦めてみせた。

「しかし、悪いことは悪いだろう。もうあの歳だってのに」

 秀才の姉を持ってしまったからだろうか。彼女の妹は、言いたいことを言い散らかし、自分の思いどおりにならないとわかると足早に立ち去ってしまった。その言動は、一言で片付けると「我侭」だ。

「夫を玩具と同じように選ばれちゃ、周りはたまったもんじゃない」

「…それは本当に…どうしましょう」

 甘やかして育ててしまったのだろうか、とフウは不安を感じてしまう。彼女は妹のことが好きで、喧嘩というものすら経験したことがなかった。大抵はフウが妥協するからなのだが。

 そして先程の件。妹は彼女を頼ってここを訪れた。

 最初は、「結婚がしたい」ということだった。「好きな人ができた」と。けれど、すでにフェリオとの関係を築いていたフウは、その言葉に違和感を感じもした。想いを寄せる相手というのは突然できてもおかしくはないけれど、その相手といきなり結婚まで望むものだろうか、と。

『お姉様、ねえ、協力してくださる?』

 猫のように甘えた声で、まるで菓子をねだるように言う。

『協力というのは…?それより、相手はどなたなんですか?』

『騎士団の方なの。団長候補にもなっているし、貴族の出だから、身分も問題ないでしょう?』

 騎士団、と言われて、誰だろう…と記憶している人物の中を探してみる。彼女達の父親は騎士団の参謀長をしているため、何人かは見知っているのだ。

『それで、お話ができる場を作っていただけたら、と思ったの。お忙しいようで、中々上手くいかなくて…』

 話もまともにできず、どうして結婚など…とやはり疑問をもつものの、とりあえず「お食事に招待してみては」と提案する。けれど、すぐに「断られた」と妹は帰ってきた。本当に行ってきたのか怪しいものである。おそらくは、声をかける勇気もなかったのだろう。

『お父様からお話していただけたら、きっと結婚を了承してくださるわ!ね、お姉様からお父様に相談してみて』

 さすがに頼りすぎではないか、とフウが眉を顰めた時、助け舟…になるのかどうか、言葉をかけたのはフェリオだった。

『自分の夫になる人間くらい、自分で何とかしたらどうだ』

 きつい物言いにフウも少々驚いたが、フェリオは元々厳格な家で育った者である。縛られることに耐え切れずに羽目を外すことも多いが、そういった無茶をする反面、自らの行動は全て自分の責任、と彼は割り切っている。そんな彼には、妹の甘えた様子が我慢ならなかったのだろう。

 どうしてあなたに―――と不満を漏らす妹に「私もそう思います」とフウが同意を示すと、妹は拙い罵声を飛ばして部屋を出て行ってしまった。

「それで、その災難な相手は誰かわかってるのか?」

「ええ、見当はついているのですが」

 あの様子では、諦めたわけではないだろう。姉を頼れないとなると、もっと強引な手段に出ることもあるかもしれない。

 どうしたものか…と、二人は再び溜め息をついた。

 麗らかな午後。そろそろ空が茜色になるかと思われる頃、ヒカルは屋敷の門前を掃除していた。

「?」

 名前を呼ばれたような、誰かが見ているような―――そんな奇妙な感覚がして、ヒカルは辺りを見回した。

 しかし何も見つけることはできず、再び箒の先へと視線を落とす。

「ヒカル」

 今度ははっきりとわかる背後からの声に、ヒカルは振り返った。

「おかえりなさい」

 今日は早いんだね、と不思議に思う彼女の手から、イーグルは箒を奪う。

「これを」

 それだけ言うと、イーグルは代わりに小さな箱を握らせる。

「えっと…?」

 どうすればいいのかと、ヒカルは小首を傾げた。ひょこりと三つ編みを動かしたその様子を見て、イーグルは小さく笑いながら「開けてみてください」と彼女を促した。

 そっと蓋を外すと、そこには綺麗な刺繍の模様。慎重に手に取ると、はらりとそれは姿を広げる。

「これ…」

 以前はそれなりに裕福な生活を送っていたものの、その時でさえこのような物は見たことがない。繊細で美しいそのリボンを、ヒカルは穴が開くほど見つめていた。

「あなたのリボン、そろそろ擦り切れそうですから」

 確かに、ヒカルは同じリボンを長い間使っているため、色も褪せて見栄えがいいとは決して言えない。けれどその贈り物は嬉しさよりも恐縮が先に立ってしまい、ヒカルは精一杯首を振った。

「リ、リボンくらい、いっぱいあるから!」

「嘘は駄目ですよ」

「で、で、でも…あの、いらない布とかで、たくさん作れるし!」

「…嬉しくないんですか?」

「嬉しいよ。嬉しいけど…こんな綺麗な物…」

 彼には優しくしてもらっていても、一歩外へ出れば、彼女はいつも自分の立場を思い知らされる。町の人々の態度は、奴隷市で檻の中に居た時と何ら変わらない。

 それなのに、と戸惑いを隠せないでいると、イーグルは彼女の手からリボンを取り上げ、三つ編みの先を手に取った。

 古くなったものの代わりに、その新しいリボンが結ばれる。

 こんなに良くしてもらっていいのだろうか、と依然戸惑いは隠せないものの、ようやく嬉しさが増さってきて、ヒカルは照れた顔を少し俯かせた。

「…ありがとう」

 淡く頬を染めた、はにかんだ笑みだった。いつもの満面の笑顔ではないことを、イーグルは少し不思議に思う。

 けれど、考えを巡らせる前に、ヒカルが勢いよく顔を上げた。

「あ、あの、私、お仕事頑張るね!」

 ぱっとイーグルから箒を奪い取る。その懸命な様子に少々驚いたものの、イーグルは「それでは、お願いします」と言って屋敷の中へと入っていった。

 残されたヒカルは、扉の向こうへの消えてゆくその後姿をぼんやりと眺める。

 優雅なその動作は自分との育ちの違いだ。生きてきた世界が違う。優しいけれど遠い人。

 そんな風に割り切って考えていたのに、たった一本のリボンがそれを近いものにしたのかもしれない。鼓動は中々落ち着こうとはしなかった。

(どうしよう、すごく嬉しい…)

 手の中には、空になった小箱が残っている。

 彼にしてみれば、大して高価な物でもないだろう。優しい彼が贈り物をすることなんて、別に珍しくもないだろう。

 別に大それた願いを抱えているわけじゃない。叶う見込みは全くない。

 自分は使用人で、きっと死ぬまでこの家で働くことになる。もしイーグルが誰かと結ばれてここを出て行くようなことになっても、自分はずっとここにいるのだ。普通の使用人ならともかく、奴隷市で拾われた自分は解雇されることすらないだろう。

(でも、何だか幸せだから)

 それでいいかな、と小箱をそっとポケットに収めて、掃除を続けようと箒を握りなおした。

 けれど。

「ヒカル」

 ぱ、と視界が真っ暗になってしまい、心臓が飛び出すかと思うほどに驚いた。

「ウミちゃんっ」

 目を覆う手のひらの向こうに現れたのは、彼女にとっての惨めな数日を共にしたあの少女だった。

「元気そうでよかったわ」

 そう言う彼女も、別れた時にはやつれていた頬は丸く、長い髪はさらりと風に靡いている。幸いなことに、元気なのはどうやらお互い様のようだった。

 そして、そのウミとヒカルの再会を、金髪を一つにまとめて結い上げた女性が少し離れて見守っていた。

「仕事中だったから声かけちゃまずいと思ったんだけど…でも、そんなこともなかったみたいね」

 一部始終を見られていたのだと知って、ヒカルは再び赤くなる。いまさら隠そうとしても仕方がないのだが、ヒカルは必死に話題を変えようと試みた。

「あの、ウミちゃんは、今はどうしてるの?」

「あ、私?」

 ウミは、ちらりと、待っていてくれる女性に目を向けた。

「あの人、プレセアって言うんだけどね、あの人の所でお手伝いしてるの。結構有名な職人さんなのよ」

 へぇ…と思いヒカルがそちらを見ると、プレセアはにっこりと笑って手を振った。

「また来るわ。それまで元気でいるのよ」

「うん、ウミちゃんも」

 短い別れの挨拶を済ませると、ウミはたっとプレセアに駆け寄った。

(良かった。ウミちゃん、とっても幸せそう)

 雑踏の中に消えてゆく二人を見送ると、ヒカルは三度、掃除を始めた。

 2007年08月04日UP