Polaris

翠の国へ 6

「ま、待って! よくわからないんだ。この国のためになることなら、私も皆も喜んで協力すると思う。でも…でも、こんなやり方じゃなきゃできないなんて、良い方法じゃないんじゃないか!?」

 光の言葉には耳を貸さず、男はコードの先を巨大な機械に突き刺した。その上から、複雑に作られた立体パズルのように、繋いだ部分を外れないように固定していく。

 一瞬身構えたもののすぐには何も起こらず、光はそっと肩の力を抜いた。心臓は相変わらずバクバクと激しく脈打っているものの、頭の中は思いのほか冷静になっていた。

(扉を開ける方法さえわかれば、何とかなる)

 透明な壁の向こうを除けば、今は一対一だ。相手は男だが、研究者や技術者なら、軍人であるイーグルやジェオを相手にするよりは容易に逃げられるだろう。ランティスのように魔法が使えるわけでもない。

 機械のあちこちで点灯しているランプの色が変わっていく。少しずつ大きくなる起動音を聞いて、光は思いきってヘッドセットに手をかけた。それに気づき、男が慌てたように光の手を掴む。

「強制的に切断しないほうがいい!」

「じゃあ、今すぐ止めて!! こんなの嫌だ!!」

「人一人が我慢するだけで国一つ救えるなら、安いものだろう!」

 そう言われて、何かモヤモヤとしたものが胸の奥に生まれた。しかし、それ以上考えるより先に、耳障りな音が部屋中に響き渡った。機械からの振動が激しく床を揺らす。その拍子に、光を捕らえていた男の手が離れた。

 よろめいたものの足を踏ん張り直し、この機を逃すまいと光は自分の手に力を込めた。突破口を開くために、熱くなり始めたその指先を扉へと向ける。

「炎の―――」

 言い切るかどうかという時、その語尾は、背後からの突然の爆音にかき消された。

 目の前の刃の僅かな光だけで戦っていたその暗闇の中に、突然何かが燃え上がった。

 盛大な焚き火のようなその炎に照らされて、ランティスは、傍で戦っていたイーグルの姿をようやく確認できた。

 急に燃え上がったその炎の中には一人の男が見える。皆が呆然とその様を見つめる中でスプリンクラーが働きだしたものの、炎の勢いは少しも衰える様子がない。

「これは…」

 誰かのその呟きに、ランティスはやっと我に返った。人ですし詰め状態になっているものの、燃え続ける炎の中にある硬質の輝きを、彼は見逃さなかった。

 その時、炎の光よりも広く人工の光が廊下の向こうまでも照らし出し、ランティスとイーグルを取り囲む人混みの倍以上の人間が押し寄せてきたのが見えた。

「おい、平気か?」

「僕とランティスは。それより、ヒカルを探してください」

 無事に軍を呼ぶことができたジェオが、イーグルに駆け寄ってくる。逃げ出すことに必死になり、三人に刃を向ける者は一人もいなかった。

 捕らえられて次第に人が減っていく中で、未だ燃え続ける男には誰一人近づけないでいた。円を描いて遠巻きに手をこまねいている軍人の間から、ランティスはやっとのことで男の前に出る。

 灯りの下でも不思議な光を絶やさない魔法剣が空を切る。燃える男の手首をかすめ、その剣は炎の中からもう一つの剣を弾き飛ばしていた。

 床を滑るエスクードの剣を周りの目が追う中で、ランティスは炎から解放された男の胸倉を掴んだ。

「ヒカルはどこにいる」

 返事はない。揺さぶってみても、ぐらぐらと頭が揺れるだけで少しの反応もなかった。

「まだ建物の中でしょう。手分けして―――」

 イーグルの言葉に周りが答える間もなく、今度は廊下の向こうから爆発音が響いてきた。僅かな風と粉塵が届いてくる。

 何を言うより先に、ランティスは走り出していた。

「ザズは?」

「軍の奴に任せた。ついていくって聞かなかったが」

 やがて、向かう先には煙しか見えなくなった。パチパチと何かが燃える音はするものの、火がどこから出ているのかはわからない。

 服を手繰り寄せて鼻と口を覆うと、迷わずその中へと駆け込んだ。

「ジェオ、そこの部屋に排煙装置があると思うんですが」

「どこだ?」

「ドアのすぐ傍です」

 闇雲に突き進むジェオが、ガシャガシャと何かを踏みつけていく。イーグルもランティスも、自分の足が何かに邪魔されることには気づいていた。

 やがて、さっと風が吹き抜けていく。ぐんぐんと煙が巻き上げられる中で、探していたものはすぐに姿を現した。

「ヒカル!」

 二人からそう遠くないところに彼女は横たわっていた。上半身を抱き起こし、小さな頬を軽く叩いてみる。僅かに瞼が動いたものの、気を失ったままで目を覚ます様子はなかった。

 ふつふつと腹の底から湧きあがってくるものを抑えきれない。それは彼女を傷つけた者に対してでもあるし、このような事態を防げなかった自分に対してでもある。誰に向けるべきかはっきりとは定まらない怒りがぎりぎりと歯を鳴らした。

 そんなランティスの隣で、イーグルは煙の消えた後を見渡した。足元に散らばる大小様々な機械の破片に、奇妙に歪んだ部屋の扉。未だに燻っている部屋の中には、一際大きな金属の塊と、床に転がる人々の姿があった。

 窓の外は雨だった。分厚い壁のせいで雨音は聞こえないものの、部屋の中までどことなく陰気にさせる。ベッドシーツまで湿気を含んでいるようだった。

 背後で扉が開く音がしたが、ランティスは振り返ることもせずにじっと目の前を見つめ続けていた。慣れた気配は自分の隣までやってきて椅子に腰かける。

「ランティスも、少し休んでください。ヒカルが起きたらちゃんと起こしますから」

「…ザズはいいのか?」

「ジェオが傍についてますから。…チーフになれるほど腕が良いとは言っても、ザズはまだ大人じゃありませんね」

 分野は違うものの、自分と同じく機械を扱う者がこの騒動を起こしたということに、彼は非常に動揺したようだった。興味や愛情でひたすらメカに向き合ってきたザズにとっては裏切られたような気分なのかもしれない。人がそんなに純粋な生き物ではないと知っている自分は現実を冷静に受け止めることができるけれど、ザズのそういった素直さは羨ましいものでもあった。

 ぴくりと、白いシーツに包まれていた光の体が動いた。起きるのかと二人は身構えたものの、光はもぞもぞと寝返りを打ち、また寝息を吐いた。

 光が気を失ってから随分時間が経っていた。

「中々目を覚ましませんね。フウがいれば回復魔法を頼めるんでしょうけど」

「心を使い過ぎた時は魔法ではどうにもならない。眠るのが一番良い」

「それは、『僕ぐらい』というわけではないですよね?」

「ただの疲労なら、じきに目が覚める」

 以前も一度だけ、気を失った彼女を運んだことがあった。ただ、あの時は光の意志で心を使ったものの、今回はそうではない。その点が不安だったものの、ランティスはそのことについては言わなかった。

 光が倒れているのを見つけた時は一体何が起こったのかと思ったが、問題の人物を誰一人逃すことがなかったお陰で案外早く事の真相を知ることができた。

 あの研究室で何の研究が行われていたかは、軍にも届が出ていた。あそこでは、空洞化してしまった国土の再生が試みられていた。しかし、装置自体が出来上がっても実験を行うには桁外れの精神エネルギーが必要な上に、本人の意志とは関係なく強引にエネルギーが奪われてしまうため、その研究は中止するように通達されていたのだ。

(ヒカルなら、「皆の力で」と言うんでしょうね)

 残念なことに、精神エネルギーは心の力ほど融通の利くものではなかった。声がそれぞれ異なるように、精神エネルギーも人によって様々な形がある。精密機械になればなるほど、純粋な精神エネルギーでなければ動かない。FTOを動かすのが、たった一人であるように。

 窓を叩く雨は、セフィーロで見る雨よりも暗く見えた。どんよりと重く垂れこめた雲。高い建物の頭がそれを掠めている。

 たまに晴れた日には白い雲が浮かぶようにはなったものの、やはりセフィーロとは違う…それをまざまざと突きつけられるような感じがした。

「ヒカルは」

 窓に映ったランティスは、未だ眠り続ける少女に目を向けたままで傍らにいる親友に語りかけた。

「お前の育てた花の方が、きっと喜ぶ」

 窓際の植木鉢の中で咲いた、小さな花。

 唐突にその話題に触れられたことにイーグルは目を丸くしたものの、すぐに口元を綻ばせた。

「じゃあ、ヒカルが起きたら向かいましょうか」

 名前を呼ばれた少女が、ベッドの中で小さく呻いた。

 浅い眠りの中にいるのだろうか。もうすぐ目覚めてくれるのだろうか。見守り続けるランティスの隣で、イーグルは背もたれに体を預けて目を閉じた。

 2008年05月25日UP