翠の国へ 5
「何だこれ…」
全力疾走のために息は荒かったが、それでもそう呟かずにはいられなかった。
辿り着いた通信室には、叩き壊されてガラクタと化した機器の山が出来上がっていた。足の踏み場もないそこをザズは進んでいくが、まともに残っているものは一つも見当たらない。
「おいおい…他の部屋に回るか?」
研究所内には、他にも通信室は幾つか設けられている。しかし、ザズは手近にあった千切れたコードを手に取りながら首を振った。
「ここは一番小さなトコだろ?だったら他の大きなトコも同じさ」
「器用にここだけ潰すってことはないか…」
ジェオは自分の携帯している通信機をいじってみるが、予想通り反応はない。電波が妨害されるだろうとは思っていたものの、こうなってしまえば頼りはこれだけだったのだが。
「ジェオ、それ貸してくれよ」
「何とかなるのか?」
ポケットから愛用の道具を取り出し、自分の通信機を分解し始めているザズの傍に通信機を置く。ガラクタを除けて胡坐をかいているところを見ると、しばらく居座ることを決めたようだった。
「これでも、『NSX』のチーフメカニックなんだからな。これだけあれば何とかなるさ」
「よし。じゃあ――――」
任せた、と言うより先に、バチンと不吉な音がして辺りは瞬時に真っ暗になった。
「やられたか!」
「緊急用のエネルギーを…って!痛い痛い痛い!!」
「す、すまんっ」
灯りを求める内に踏んでしまったザズの手から慌てて足を除けて、今度こそとジェオはガラクタを避けながら探し始めた。
「念のために、用向きをお伺いしましょうか」
ランティスが作った魔法の壁の向こう側で、人の波が蠢いている。
何の反応も返さないかと思われたその波はぱっと二つに割れ、奥からは一人の女性が姿を現した。白衣を着ている彼女は、おそらくはこの施設の人間なのだろう。後ろにいる男が女性の頭に何かを突きつけている。光の位置からはよく確認できなかったが、それは機械か何かのようだった。
「こいつと引き換えだ。セフィーロの柱を出せ」
人質にされ震えている女性の姿は、すぐにランティスの背に隠れてしまった。混乱する光の腕を掴んで、ランティスが自分の背後に回したのだ。相手の取引を拒否するように。
「小さな女の子を捕まえて、どうするつもりですか?」
「セフィーロに侵略するなら、柱をどうにかするのが一番手っ取り早い。NSXの司令官ならよく知ってるはずだろう?」
パタパタと、背後から微かな足音がした。あまり悠長に喋っている時間はない。
「今の政策に満足してるのが上の連中だけだってことは、知らないかもしれないがな」
「…自分の意見が大多数の意見だと勘違いすることは、誰にだってあることですよね。あなたのように」
相手の顔が奇妙に歪んだのをイーグルが見て取った時、大きな音と同時に灯りが全て消えてしまった。
「ヒカル!」
「離れないでください!」
一瞬の隙から魔法が解け、人が押し寄せてくる。暗闇の中、魔法剣の光や火花が浮かんでいるだけだ。何も見えない中で二人から離れまいと足を踏ん張っても、四方八方から押され、気がつけば光の腕はランティスの手からするりと抜けてしまっていた。
「ラ、ランティス…あっ!」
魔法剣の方へ突き進もうとした光は、誰かに突き飛ばされて後ろに吹き飛んだ。背中を床に強打した瞬間に、手の中からこぼれたエスクードの剣が床を滑っていく。
慌てて剣を捕まえようと手を伸ばすが、突然、その手首を強い力で握られた。ランティスやイーグルの手ではない。
生身の人間相手では気が進まないものの、躊躇っている余裕はないと、すぐさま呪文を口にする。
「炎の…」
手に集まった火で先程の女性の姿がちらちらと映し出され、慌てて光は口をつぐんだ。
「こちらへ」
女性は光の手首を掴んだままで、人込みをかきわけて進んでいく。暗闇で状況はよくわからないものの、それは明らかにランティスやイーグルのいる場所とは反対方向だった。
「待って! ランティスとイーグルが!」
「今戻るのは危険ですから!」
それでも無理に後ろを振り返ると、暗闇の中でも人の流れが魔法剣の方へ向かっていることがわかった。レーザーソードと比べると不思議な光を放つそれは、恰好の標的と言っていい。
後ろ髪を引かれる思いだったが、今は女性を信じて連れられるままにその場を後にした。
急に曲がったと思うと人込みがふっと途切れ、途端に辺りは静かになる。闇の中で、二人分の忙しない足音だけがカツカツと響いていた。
やがて、女性は扉を開けてある部屋の中へと入る。続けて入った光の目には、部屋の中の薄暗い灯りに照らされた部屋の様子がかすかに映った。先程入った温室のような場所ではなく、まさに研究室という印象で、機器が積み重なっている。薄明かりでその直線的な影が、そして機器自体が発している小さな数々のランプが、妙にその存在を主張していた。
「ここは…?」
「研究室の一つです。防音にも防火にも優れていますから、しばらくはここでじっとしていてください」
その声と気配で、一人の男性が近づいてくるのがわかった。彼の背後ではそわそわと人が動き回っていることが感じ取れたが、それほど大勢の人間がいるようには思えない。
他の人達はどこへ避難したのだろう…そう考える一方で、光は一刻も早く引き返したいという思いでいっぱいだった。
「あの、何か武器になるような物、置いてないですか!? できれば剣が―――」
「じっとしていてください」
「何もないなら、女の人をお願い」
(どうにかして、エスクードの剣を見つけて…剣がなくても、魔法で何とかなるし)
戻ろう、と通ったばかりのドアを開けようとして、光は闇雲に手を伸ばした。
オートザムのドアにドアノブがないことは知っていた。大抵は自動ドアか、タッチパネルに触れれば開く仕組みであることも教えてもらっていた。けれど、いくら探しても、力任せに押してみても、扉は動く気配がない。
「じっとしていてください」
焦ってあちこちを叩き回る手の片方を掴まれて、光は一瞬身を竦ませた。手首を強い力で捕らえたのは、ゴムのような奇妙な感触のする手だったのだ。
途端に、連れられるままに来たのが間違っていたのではという疑問が頭に浮かぶ。
「は、放して!」
自由な方の手がついに何かのスイッチを見つけ、彼女は迷わずそれを押した。突然光が室内に溢れて、思わず目が眩む。
思いのほか広い室内の中央には大きな機械が陣取り、ガラスの壁を挟んだ向こう側で何人かの人間が右往左往していた。先程まで光の傍にいたと思っていた女性も、いつの間にか向こうにいる。
「あまり体力を消耗されても困るのでもう一度言っておきますが、ここでは火など何の意味もありませんよ」
光の手首を掴んでいる男性は全身を防護服のようなもので覆っており、光からは表情すら窺い知ることができなかった。その異様な光景に、さっと血の気が引いていく。いくら彼女が人を信じて疑わないとは言っても、上手く相手の罠に嵌ってしまったのだということは理解できた。
「どうして…あなた達も、セフィーロに侵略する気なのか!?」
「我々の目的は、この国の再生です」
「だったら!」
「いくら水や空気がきれいになっても、国土自体が死んでしまっては人は住めない」
「でも! セフィーロも…それにチゼータもファーレンも、皆で方法を探して――――あ!」
言い終わるより先に手をぐいと引っ張られ、光は前のめりに倒れそうになった。しかし、そんな様子はお構いなしに、乱暴に前へと進ませる。
「探す必要はありません」
「え?」
その言葉を理解できていない光をよそに、男は光の腰に手を伸ばした。
彼女自身は意味もわからずにつけていたベルトのバッテリーパックから、するりと一本のコードが引き出される。
「精神エネルギーさえあれば、全て解決します」
「精神…エネルギー…?」
静かな起動音を響かせている巨大な機械を見上げる。
脳裏に、眠っていた頃のイーグルの姿が蘇った。
2007年11月19日UP