Polaris

翠の国へ 4

 ぐだぐだのまま会見(らしきもの)が終わり、立食パーティーも無事終わり、ここはイーグルの家。というか、ビジョン一家の住まい。

 セフィーロもそうだが、オートザムも、家の玄関で靴を脱ぐ習慣はない。少し前まで、マスクを外す習慣はあったが。

「会見はもう終わりましたから、明日は自由行動です」

 遠足? と光は首を傾げたが、いつになく妙な真剣さで話をするイーグルに、背筋を伸ばす。一通り荷物の整理をし、リビングのソファに腰掛けたところだった。

「ヒカルにも、あと、念のためにランティスにも、オートザムについて学んでもらいます。チキュウのことは知りませんけど、セフィーロとは大分勝手が違いますからね」

 意志の力も、それ程影響しませんよ、と念を押す。魔法は一応使えるのだが。

「一番注意してほしいのは、これです」

 イーグルは、半透明で長方形の板のようなものを取り出した。ランティスも持っている。ホバーだ。

「オートザムでは、このホバーかバイクが主な移動手段です。きっと何回も乗る機会があると思いますよ」

 一見しただけでは気付かない側面についているスイッチを、イーグルがスライドさせてONにする。すると、室内にも関わらず、大きさとしては軽自動車ほどもある乗り物が現れた。

 ちょいちょいと光とランティスを手招きして、イーグルは説明を続ける。

「普段はバッテリーパックに繋いでいるコードをここに繋ぐんです。そうすれば精神エネルギーを使って、これを動かすことができるんですが…」

 ちら、とイーグルはランティスを見遣った。

「注意事項、覚えてます?」

 本当なのか解りかねるほどの無表情で、ランティスは一つ頷く。

「注意事項って何?」

 光の問いには夫妻もわからないらしく、何のことだと耳を澄ませている。

「精神エネルギーは、意志の強さと比例するようです。ですから、ランティスもヒカルも、普通の人とは桁外れの精神エネルギーの持ち主ということになります。ですから、不用意にコードを繋ぐと機械の方が対応できなくて壊れてしまうんです」

 一体、それでどれだけランティスが物を破壊したか。そしてそれを直すのは、ザズだったりする。

「ですから、焦りながらだとか、怒りながらだとか、緊張しながらだとか…そういう状態じゃなくて、どちらかというとぼーっとしすぎくらいの状態でコードを挿してほしいんです」

 イーグルはというと、幼い頃からこの環境に慣れていたため、自然と技術を身につけていたのだ。

 しかし、言われるのは簡単だが、やるのは難しい。

「まぁ、僕もついていきますから運転することは滅多にないと思うんですが、一通り説明しておきますね」

 そうして、これはアクセル、これはブレーキ、バックする時はこのレバーを…などと、まるで自動車の運転のようなことをさらりと流すように言われたが、自転車ぐらいしか運転したことのない光にはちんぷんかんぷんだった。

 説明が終わってホバーがしまわれる頃には、試験前に英単語を詰め込んだ時のように頭がクラクラとしていた。

「今日は疲れたでしょう?」

 ホバーの説明前に用意されていた紅茶がカップに注がれる。

 出された紅茶を受け取って喉の流し込むと、その温かさが全身にまで回るようだった。

「セフィーロもわからないことってたくさんあるけど、オートザムってなんだか難しいね」

 国を訪れての感想が「難しい」というのは、その国に生まれた時から住んでいる人々には思いつかないものだ。機械を操ることができなければ自分の命を守ることすらできない環境では、当然なのだが。

「今日は堅苦しい行事ばかりだったが、明日はきっと楽しいぞ」

 この家に着くまでの間にすっかり畏まった雰囲気も口調も取れてしまい、今ではただの一家の主になっている彼が笑う。ただの女の子の前でいつまでも大統領でいることは難しい。

 そのような父の姿をどこか微笑ましく眺めながら、イーグルはちらりと目配せをして部屋を出て行った。それを「話がある」と受け取って、ランティスが後に続いていく。

 リビングの中の笑い声は、扉一枚でシャットアウトされた。

「どうかしたのか」

「ええ、どうかしました」

 廊下を奥へ進む。キッチンに辿り着くと、イーグルは壁に設置されていたモニターに何かを映し出した。

 ただのニュースだ。と、ランティスは思った。今日の、訪問の様子が報道されている。自分が体験したことを端から見つめるのは、なんだか奇妙な気分だ。

「今日一日、ずっとこの調子です」

 まるでお祭りだ。空港以外で、人目にはほとんど晒されていないというのに。

「セフィーロに興味がある…だけでは納得いかないのか?」

 お祭り騒ぎはオートザムに限ったことではない。先に訪問が行われたチゼータとファーレンも、連日セフィーロに関する報道で溢れていたという話は聞いている。

「この訪問に関して、三国はセフィーロが思っている以上に色々な配慮をしました。訪れてくれるのが所謂重役ばかりです。導師や魔法剣士と言われてもピンと来ませんが、フェリオ王子が訪問したファーレンは特に厳重な警備を行っていましたしね」

 後に王になるであろう者と、その者に寄り添っている女性、それに共に行動するのが皇女のアスカとなれば、それは当然である。

「もちろんオートザムも、厳重な警備はしてますけどね」

 この家に泊まってもらったのにも、しっかり理由があってのことだ。大統領とオートザムで最強の司令官がいるここは、セキュリティーも万全だ。周囲に住む人々も、そのほとんどが信頼のおける関係者である。下手にホテルに泊まってもらうよりは、よほど安全なのだ。

 飽きずに何度も流される空港のシーンを眺めていた時、ランティスは画面の端に何かを捕らえ、目を凝らした。他の報道陣とは違った動きをしている者がいる。興奮した様子もなく、むしろ冷静すぎるのではないかという動きで数人の者と言葉を交わし、そそくさとその場を立ち去った。

 それを見つけたからこそ、イーグルもランティスをここへ連れてきたのだが。

「柱がセフィーロにとって絶対的な存在だったということは有名です。今は柱は存在しませんが、柱制度に関することはあまり理解されてませんから、僕の両親のように勘違いしている人達はたくさんいます」

 大統領が勘違いしていたのには、ちょっと呆れましたけど。と苦笑を漏らしてみせる。

「しかし、セフィーロとの関係が悪化して一番困るのはオートザムだろう」

 セフィーロとの今の関係があるからこそ、オートザムの環境は改善するのだ。技術提供だけではなく、他の二国との関係も、セフィーロとの関係が悪化すれば当然良くはならない。

「だからです。ヒカルに何かあって、それでセフィーロの人々の怒りを買えば、一番困るのはオートザムです」

「オートザムの破滅が目的なのか?」

「いえ、おそらく金銭目的でしょうね。下手な政治家を誘拐するより、国は簡単に金を積んでくれるでしょうし」

(それとも…)

 もう一つの考えをイーグルは飲み込んだ。相手の目的が何であるか…それはランティスには問題ではない。とにかく、用心することが必要なのだ。自分の任務は、客人を無事に魔法の国へ帰すこと。

 考えを巡らせるイーグルの隣で、あまり良くない話にランティスは眉をひそめていた。ただの考えすぎならいい。そう願うものの、不安は拭えない。

「とにかく、用心に越したことはないですね。ヒカルだって十分強いですけど、しっかり守ってあげてくださいね」

 魔法と剣は、他国へ渡るということで念のために授けられている。馴染まなくてついいじってしまう額のサークレットの宝石に、エスクードの剣が納められていた。

 モニターは再び何も映さない真っ黒な画面になり、何かを解説していた人間の声も途絶えた。

「しっかり、頼みますよ」

 念を押すイーグルの方へと向き直ったランティスだが、その空いている両手に何かずっしりとしたものが預けられた。

「…何だこれは?」

 よく見ると、イーグルも片手に似た物を持っている。ランティスの持つ物よりは大分小ぶりだったが。

「頭を使った時には、甘い物が必要ですから」

 あ、あなたは無理に食べなくてもいいですよ。と微笑んで前を歩き出すイーグルに、ランティスは一つ溜め息をついてからついていった。

 翌日は、よく晴れた空…ではなく、灰色のどんよりと重い雲が漂っていた。

 マスクをつけなくてもいいほどの空気にはなったものの、厚い雲が垂れ込める日は多い。それがオートザム本来の気候なのかどうか、環境が破壊されたままの状況が長く続いている今となっては、ほとんどの者がわからなかった。

 大統領夫妻は、仕事のためにすでに家を出ていた。普段どおりのことをこなすだけなのだが、今日が会見だと思い込んでいる報道陣に囲まれて、今頃はうんざりしているかもしれない。

 オートザムの服を着た二人を家から出して、イーグルは施錠した。

「忘れ物、ないですよね?」

 とは言っても、特別持っていかなければならないものなどない。

「ヒカル、サークレットはどうした?」

「首にかけてるよ」

 オートザムらしい分厚い服。その、ポンチョのようになっている服を少しめくると、僅かな光を反射する紅玉があった。オートザムではちょっとしたおしゃれ着程度のその服に、いつもどおりの三つ編みをしている光は、昨日とは大分印象が違った。嫌でも目立った昨日とは違い、これなら注目されることも少ないだろう。

「ジェオとザズは、今日はお仕事なのか?」

「向こうで合流しますよ」

 仕事であることには、変わりないのだが。

 昨日のホバーを取り出し、三人でそれに乗った。

 まるで小規模の「セフィーロへの道」のような宙に浮かぶ道路に乗り、スイスイと進む。

「ヒカルは、あまり驚かないんだな」

 かつてオートザムを訪れたランティスは、この機械だらけの国のシステムに驚きを隠しきれなかった。元々表情が少ない彼でも隠しきれなかったものを、好奇心旺盛な彼女が特にそのような素振りを見せないのが不思議だった。

「地球でもね、未来はこんな感じなのかなっていう物語がたくさんあるんだ。空想だけど、それがオートザムに似てるからかな。驚くっていうか、すごいなぁって思うよ」

「チキュウの未来がオートザムですか? 良いのか悪いのかわかりませんね」

「地球も環境汚染が進んでるから…モコナも言ってたけど、あまり良い世界とは言えないんじゃないかな」

 イーグルの頭の中に、一度だけ見た「時が止まった東京」の姿が浮かぶ。その外観は、確かにオートザムに近かった。創造主が見捨てた世界。なぜその世界から魔法騎士を招喚するのか、創造主の考えを察することはできない。

 三人を乗せたホバーは順調に道を進む。やがて、道は大きくカーブし、地表から内部へと入っていった。

「イーグル、この白いところって、全部建物なのか?」

 遠くから見ると、緑に輝くオートザムの地表が埋立地のようなもので、金平糖のような内部が星自体に見えた。しかし、近づいてみて、光にはその考えが怪しいことがわかった。先程までいた軍の施設やビジョン家の住まいなどのある場所に比べると、よりいっそう人工的に目に映る。

「そうです。さっきまで僕達がいた地表は、軍や政治の施設ばかりで、居住区はこっちなんですよ。地表はいつ崩れるかわからないですからね。一般の人が住むには危険すぎます」

 自然の色が垣間見えないその世界に、ぐんぐんと近づいていく。やがて、ホバーは道を外れ、音も立てずにふんわりと着地した。

 ホバーが、イーグルの手により透明な板へと姿を変える。それを衣服の中へと仕舞い込み、彼は先頭に立って歩き出した。

「最初に、見ていただきたい場所があるんです」

「行くぞ」

 きょろきょろしている光の背中を、ランティスが押す。それを確認すると、イーグルは歩調を速めた。時折、道行く人々に指を指されるが、それは彼に対してなのか、それとも光のことに気付いてなのかはわからない。

 賑やかなショッピングモールを抜けて、辺りはビジネス街の様子を見せ始める。その中でも特別大きな建物の敷地内に、三人は足を踏み入れた。

「おっ。来たな」

「おっはよー!」

 警備員と一緒になって、入り口にジェオとザズが立っていた。

「中はホントにすごいんだぜ! 早く早く!」

 じれったくなったのか、ザズは光の手首を掴み、建物の中へと引っ張り込む。それにムッとしたランティスが、早足で二人の後を追った。

「ランティス、すげぇ人間らしくなったよな」

 感心したとも呆れたとも言えない笑いを浮かべる。イーグルもそれに相槌を打ちながら、続いて建物の中へと入っていった。

 窓口の者に会釈をし、すぐ目の前の部屋へと向かう。ザズと光は、すでにその中へと入っていた。

 天井からは陽光のような温かな光が降り注ぎ、部屋の中は妙に湿気が多い。窓のないサンルームのようなその場所に、床を覆いつくすようにして一面に花が咲いていた。それは畑のように整列されてはいたが、見事に咲き誇る姿は、このオートザムではとても貴重な光景だ。

「すごい…! こんなにたくさん!」

 床中がその花弁で白く染められ、ところどころに薄い緑色が見えていた。この国では、外では決して見ることができないものだ。ましてや、こうして触れることなど叶わない。その空間で、無邪気に笑いながら光とザズはあちこちへと動き回っていた。

「花と子どもは絵になるな」

 腕組みをして、ジェオは妙に感心していた。

「白衣を着た人に比べれば、確かにそうですけど…あの二人は子どもですか?」

「子どもだろ。少なくとも、あんなにちっこいとな」

 身長の低さという、最も気にしている点を指摘されているのにも気付かずに、二人はまじまじと花を眺めていた。

「ここって、温室なのか?」

 それにしては窓の一つもないので、本物の日の光が差し込んでくるわけでもない。

「研究所なんだ。どういう環境だったら花が育つかとか、色々試してるんだよ」

「へぇ…」

 同じ種類の、同じ色の花々を見渡した。セフィーロではいたる所に色々な花が咲いている。一種類の花の群生の見事な景色を見ることもあるが、それとこの景色とでは、植物の活き活きした感じがまるで違う。やはり、まだ人工の物なのだ。

 しかし、オートザムにとって大切な一歩であることには違いない。

「他の部屋も案内するよ。もっと色んなのがあるし」

「うん」

 二人は、花を傷つけないように気を配りながら、三人が待っている扉の前へと向かった。

「ザズ、あなたがはしゃいでどうするんですか」

「建物の中だし、大丈夫だろ?」

「お前なぁ…何のために―――」

 ジェオは小言を続けようとしたものの、雪崩れ込むような足音に口をつぐんでしまった。

「な、何だアレ?」

「二人共、ついてきてください」

 開かれたドアから人の波が押し寄せてくるのと、イーグルが光の背中を押して駆け出すのは同時だった。

「イーグル! お忍びで来たんじゃないのか!?」

「アホ、誰かが情報漏らしたに決まってんだろ! さっさと走れ!」

 前を走る三人の後ろから、ジェオとザズが後ろを振り向きつつ、ついてくる。追いかけてくる人々は、マスコミばかりかといえばそうでもなかった。

「…お前が相手をしてやれば済むんじゃないか?」

 ランティスは、人の波の中に女性の姿を見た。イーグルは世間では有名人扱いのため、オートザムに滞在していた頃には「イーグルの追っかけ」に彼と一緒に振り回されたことが幾度かあった。しかし、イーグルはといえば、別の人影を見て首を振る。

「怪しい方々もいるようですから、遠慮します」

「下手すりゃ流血沙汰か? 政治ってのはキレイにいかないモンだな」

「…イーグル?」

 走りながらも心配そうに声をかける光に笑みを返しつつ、イーグルは前を向いた。

 探るようなランティスの視線もあったが、今は気にしている暇がない。

「ザズ、あなたは軍に連絡を。その後は示し合わせたとおりに。ジェオはザズについてあげてください」

「了解!」

「無茶するなよ。できるだけ早く戻ってくる」

 言い捨てると、二人はすぐに人気のない横道へと入っていった。

「僕達はもう少し走りましょう。武器の用意をしておいてください」

 光は無言で頷いた。運動神経に自信があるとはいえ、男二人についていくのはさすがに精一杯なのだ。

「…命の危険は、あるようだな」

 ランティスが後ろを見遣ると、いつの間にか人の波は様子が違っていた。野次馬のようにして集まっていた人々は姿を消し、懐に武器を隠し持っているような怪しげな者ばかりが残っている。

「マスコミや一般の方々は逃げてくれたみたいですね。その方がやりやすいです」

 二人が武器を取り出すのを見て、光も急いでエスクードの剣を取り出した。

 2007年09月22日UP