翠の国へ 3
(イーグル達、遅いな)
カフェから待ち合わせ場所を見遣るが、相変わらず待ち人は来ていなかった。忙しそうに人々が往復しているだけだ。
「お嬢さんは魔法は使えるの?」
ミックスジュースに似たものを光に勧めながら、女性はコーヒーのようなものを口に運ぶ。
異世界の話をしてもわからないだろうということで「セフィーロから来た」と言ったのだが、セフィーロの日常に関しては、光にはちんぷんかんぷんだ。実は会話に困っていたりする。
「二つだけ使えるよ。でも、攻撃魔法だから、あんまり使い道ないんだ」
平和になった今となっては。時々は魔物が出るが、剣で十分事足りた。
「生活に役立つものもやっぱりあるんだろう?」
今度は男性が尋ねる。魔法というのはセフィーロ独特のものだから、やはり一番関心が集まるところなのかもしれない。
「うん。回復とか、防御とか…あ、あと、召喚魔法とか」
「お食事中、すみません」
テーブルの横で立ち止まった正装に身を包んだ青年が声をかけ、男性は光と女性に頭を軽く下げて席を立った。カフェの入り口へと移動しながら早口で話し合っている。
「皆、とっても忙しそう」
カフェの中でも、口の中にとりあえず物を詰め込んで出て行く人をよく見かける。イーグルも忙しいのかな、と光は思った。
「今はあれがあるから、仕方ないわ」
あれ、と言って女性はモニターを指差すが、オートザムの文字が並んでいるだけなので、光にはわからない。
「息子も今あの仕事をしているらしいけど、本当に大丈夫かしら」
「息子さん?」
「うちは一人っ子なのよ。女の子が欲しかったんだけど…そうだわ、よかったら、うちに泊まっていってちょうだい」
そういえば、今日ってどこに泊まるんだろう、と光は呑気に考えた。滞在中の予定はあらかじめ決められていたが、彼女自身は把握していない。
と、男性が戻ってきた。大きな溜め息をついて。
「女の子が欲しかった気持ちもわかるが、そんなだから男らしく育たなかったんじゃないのか? 今だに結婚相手の一人も見つけずにのんびりしているし」
「あら、女性との噂ならしょっちゅう耳にしますけど」
「スキャンダルの類だろう。女性に対して意識がなさすぎるから変な噂ばかりたってしまうんだ」
なんだか微妙に喧嘩腰の雰囲気なので、光は焦った。夫婦喧嘩というものを目にしたことがないのだ。犬も食わない喧嘩だが、彼女は律儀に止めに入る。
「あ、あの、でも、ホントに男らしくなかったら、噂ってたたないんじゃないか? 私は男の子みたいだから、彼氏ができるの想像できないって言われたりするし」
喧嘩の仲裁になっているのかどうか定かではないが、とりあえず気をそらすことに成功したらしい。
「やっぱり泊まりにいらっしゃいな。もっとおしゃべりもしたいわ」
「お前、先客があるだろう」
「あ、ヒカルいた!」
カフェによく通る声が聞こえ、かくれんぼで見つかったようにドキリとしたが、声のほうを振り向くと途端に笑顔を見せた。
「ザズ」
光が立ち上がると同時に、たくさんのテーブルで狭い中を四人の男が縫うようにしてやってくる。
「ヒカル! 何かあったのかと心配したんですよ」
一番に到着したのはイーグルだ。
「ごめんなさい。待ち合わせ場所、ちゃんと見てたと思ったんだけど…」
イーグルの腕の中で、服に埋もれないように顔だけ上げて光は言う。セフィーロでは日常茶飯事のイーグルの抱擁だが、オートザムで行われるとまた目立って見えた。ちなみに、普段ならすぐにランティスが引き剥がしにかかるのだが、狭すぎてそれを行うスペースがない。かわりに、眉間に深い溝を作っている。
「いえ、僕が用事を終わらせるのが遅かったのが原因ですし…そんな顔をしないでください。笑顔のほうがとっても似合いますよ」
恥ずかしげもなくさらりとそんなことを言いながら、その手が光の頬を包み込んだので、ランティスの背後に立っているジェオとザズには恐ろしいオーラが見えた気がする。しかし、イーグルに手を下したのは彼ではなかった。
スパンと小気味良い音が響く。イーグルの頭と男性の手のひらによって奏でられたのだが、目の前でそれを目撃した光は硬直してしまった。
「仕事もしないで何をやっているんだ! 大体、そんなだから噂が後を絶たないんだろうが!」
イーグルの後ろにいるオートザムの男二人は、「また始まった」と少し後ろへ下がる。
「仕事してますよ」
叩かれたことなどなかったかのようにケロッとしている。痛がる様子もない。ついでに、噂がどうのという話は聞かなかったことにする。
「今日は大きな仕事をしているはずだろう! セフィーロからの―――」
「あら、使者って、ランティスさんだったの?」
女性に対して、ランティスが軽く会釈する。
「そうですよ。皆で正装に着替えて、ロビーで待ち合わせだったんですよ。ヒカルとランティスは正装で来たんで、コートを着てもらってますけど」
「イーグル、ちゃんと紹介しろ」
ジェオが口を挟む。男性の怒りが沈静化してきたので、再び近寄ってきていた。イーグルも、やっと光を腕から解放する。
「そういえば、そうですね。ヒカル、この人達は僕の両親です。というか父上、大統領がこんな所で何してるんですか?」
「え!? イーグルの父様って大統領なのか!?」
「あれ?言ってませんでしたっけ?」
当たり前のことすぎて、彼はすっかり忘れていた。ランティスも、ジェオやザズも忘れていた。オートザムでは常識に近いことなので、わざわざ教えようとは思いもしなかったのだ。
驚いている光を置いて、話は進む。
「正式な紹介は後のパーティーであるんですが、セフィーロからの使者のお二人です。ランティスは知ってますよね」
もう一度、ランティスが頭を下げる。久しぶりの再会なのに、この男はいつものとおりしゃべらない。
「こちらが、ヒカルです。おしゃべりしていたようですから、詳しい紹介は必要ありませんよね」
その言葉に、夫妻は慌てて席を立つ。あんまり慌てたものだから、片方の椅子は危うく倒れるところだった。
「遠いところをわざわざ…」
「先程はご無礼を…」
深々と頭を下げられて、光も慌てて頭を下げる。三人してぺこぺことしている様はなんだか妙なものだ。その様子を見て、イーグルはおや?と思う。
「知ってておしゃべりしてたんじゃなかったんですね」
呑気な息子はもう一回叩かれそうになったが、それをひょいと避けて笑顔を返した。
パーティーには大勢の人々が来ていたが、穏やかなものだった。舞台上に立って挨拶をする必要もなかったので、本当に顔合わせといった程度だ。立食パーティーなので、個人が好きなところで話をしている。
「酒が飲めねぇ組はこっちな」
ジェオがグラスの乗った盆を差し出す。見た目はスポーツドリンクのようだった。
「ザズ、お酒飲んでいいのか?」
結構な勢いで飲んでいるザズに、光は驚く。どうみても同年代で、酒を飲んで許されるとは思えない。
「ザズは、少なくともこの中では一番飲みますよ。というより、他には僕くらいしか飲みませんけど」
イーグルはそう言ってグラスを傾ける。顔色は少しも変わらない。
「大柄の男が二人してジュースを飲んでるほうが、なんだか変ですよ」
「うるせぇ。酒なんて体に毒だ」
ジェオとランティスは、光と同じ盆からグラスをとっていた。
「ランティスも、お酒嫌いなのか?」
「…いや」
嫌いなのではなく、自分の酒癖を知っているからなのだが、そこまでは話したくない。酔っ払うと人に抱きつくなど、普段の自分とはかけ離れすぎていて彼自身信じたくないのだ。もちろん、光にも知ってほしくない。
「それより…疲れていないか?」
「大丈夫だよ」
しかし、こういう時の光の言葉を、彼は鵜呑みにしない。大丈夫でなくても大丈夫だと言う性格なので、彼はじっと観察していた。観察されているほうはというと、まだ違和感がするのか、サークレットをいじっている。慣れていないと重く感じるのかもしれない。それとも、他人の評価はあまり気にしない彼女でも、人の視線が気になるのだろうか。
ただぼんやりしているのがパーティーの目的ではないので、イーグルはテーブルに自分のグラスを置いた。
「オートザムの料理、食べてみますか?」
彼女がうなずくと、イーグルはにこにこ笑って料理の並ぶテーブルへと足を運んでいく。少し進むたびに、色々な人に会釈していた。
「イーグルって、知り合いがたくさんいるんだね」
「知り合いはな」
友人は、実はそれほどいない。人間関係を築いていくことは上手いのだが。
「イーグルの場合、知り合い未満もたくさん寄ってくるからな。ほら」
何杯目かわからないグラスを空けながら、ザズは指差した。数人のグループがイーグルへと向かっている。
「オートザムの女の子、初めて見た」
軍の本部でも見かけなかったので、その服装や流行の髪型がとても珍しく思えた。男性の正装に比べると色とりどりだが、原色や淡色ではなく、どことなくくすんだ色合いをしている。それに、肌を見せないような形だった。環境がそうさせるのだろうか。
イーグルはというと、数人の女の子の相手をしつつひょいひょいと料理を集めていく。女の子の黄色い声がところどころ聞こえるだけで、どんな会話をしているのかはわからなかった。
「ランティス、助けにいってあげれば?」
ランティスは、にやにやしたザズの視線をぷいと避けた。オートザムにいた頃はイーグルと共に行動することが多く、そうすればおのずと同じような目に遭うことも多かった。彼一人でいれば近寄りがたい人間止まりなのだろうが、イーグルと一緒だと気軽に話しかけられてしまう。もちろん、見ず知らずの人間と会話するなど、彼が望むはずもなかった。助けにいくどころか、見捨ててその場を去ろうとすることのほうが多い。
しかし、助けの手を差し伸べなくても相手に差し伸べさせるのがイーグルだ。
「ヒカル!」
大声で呼んで、手招きする。光はたっと駆け出していったが、その後に続くかどうかランティスは悩んで、結局は見守るだけにした。よほど人込みが嫌いらしい。
「何? イーグル」
「すみませんが、この小さなお皿だけ運んでもらえますか?」
両手を使えば自分一人で運べるだろう、と呼ばれた人間がランティスなら言うところだが、光はなんの疑問も持たずに皿を受け取る。
「それでは」
女の子達に会釈して、片手に皿を、もう片手で光の背中を押しながらその場から離れる。二人は少しも気づいていなかった(というより、イーグルは気づかないふりをしていた)が、遠くにいた人には、女の子達の複雑な視線が見て取れた。ぽかんとしている子もいれば、ショックを受けたような顔をしている子もいるし、あからさまな敵意を向けている子もいる。
「わざわざすみません」
「ううん。皆で食べるんだから、いくらでもお手伝いするよ」
「お客をだしに使うなよ、イーグル」
ザズがたしなめる。
しかし、それには何も言わずにイーグルは別の何かを探していた。
「あ、もうそんな時間か?」
ジェオが腕時計に視線を落とす。何かあるの? と光が聞くが、ランティスが黙って頷いただけだった。
「持ってきた料理は後にして…二人とも、準備できてますよね」
返事は待たず、行きましょう、と先導していく。ジェオとザズが「いってらっしゃい」と手を振るなか、光とランティスはイーグルの後ろからついていった。
「イーグル、どこへ行くんだ?」
「ちょっとしたご挨拶ですよ」
「どうして食事の合間になんだ?」
それも、なんだかこそこそと。
「空港の時のような二の舞は嫌ですからね。本当は明日の予定だったんですけど…あんまり周りがうるさいと、できることもできなくなってしまいますから」
パーティーの会場から出て、すぐ隣の小部屋へと向かう。イーグルは軽くノックをして扉を開いた。
「失礼します。セフィーロからの使者の方々です」
軍人らしい礼をしてから、イーグルは二人を部屋の中へと通した。部屋の中央のテーブルの向こうに、先程のビジョン夫妻が立っており、部屋の壁に沿うようにして数人が立っている。
ランティスに背中を押されるようにしてテーブルの前へ行き、一緒に頭を下げた。
「どうぞ、おかけになってください」
大統領の言葉に従い、ランティスと光はソファに腰掛けた。続いて夫妻も腰掛ける。
「フェリオ王子から親書を預かってまいりました」
ランティスが、細やかな模様が描かれた手紙をテーブルの上へ置き、大統領の方へすっと滑らせた。それを丁寧な仕草で大統領が受け取る。
二人の男のそのやりとりはニュースで見るそれと似て、事の重大さが感じられる。そのことに体中を強ばらせていると、夫人が笑みを零した。
「そんなに硬くならなくても大丈夫ですよ。ここにはカメラも何もありませんから」
「本当はマスコミにももっとアピールして大々的に行うつもりだったんですが、気が変わりましてね…急遽変更したんですよ」
それはもちろんカフェで会ったからで、エメロード姫のような人物を想像していたからなのだが、そのことにはあえて触れなかった。
エメロード姫がセフィーロを支えていた時代は長い。今生きている人々はもちろん、その何世代も前の人々も、時折漏れてくるセフィーロの話を聞くと必ずエメロード姫のことだったのだ。柱がイコールお姫様だと信じて疑わない者も大勢いる。
だから、エメロード姫の次の柱が威厳も洗練された動きもない、普段着を着ていればその辺にいてもおかしくないような少女でも、次のような言葉がつい、出てしまう。
「姫、オートザムに来られてどのように思われましたか?」
きょとん。と三人分の目が丸くなる。返事がこないことに、夫妻も不安そうな顔になる。部屋の隅に並ぶ人々もどうしたのかと顔を見合わせていたが、最初に誤解に気付いたのはイーグルだった。
「大統領、ヒカルは別にお姫様じゃありませんよ」
「そ、そうなのか?」
誤解されていたと気付いて、光も慌てた。
「わ、私は別になんでもなくて…その、お姫様は、多分風ちゃんになるんだと思うんだけど…じゃない、思うんです。思います」
慣れない敬語は無理に使うものではない。
「ヒカル、まだ先の未来の話ですから、その辺りのことは今はいいですよ」
「でも、日本だと、もうちょっとで風ちゃんは結婚できるようになるよ?」
「……あまり、気にしないでください」
珍しく気の利いたことを言うランティスに、宥めるように言い聞かせているイーグル。言っている内に混乱してきているらしい光。
セフィーロでの生活はきっと楽しかったのだな、と息子とその友人の変化を見た人々は思った。
2007年08月08日UP