Polaris

13 垣間見えるもの

「殻円防除」

 その声を合図に、自身を中心として球状の魔法の膜が広がっていった。部屋の端まで達すると、壁をすり抜け、さらに広がっていく。

 目には見えないが、己の能力の限界に達したところで膜の広がりは止まったようだ。

「その魔法、攻撃でなくとも効果があるんですね」

 よいしょ、と簡易ベッドに男性を寝かせたイーグルは、ランティスの魔法が向かった先を見つめた。

 NSXの司令官がやる仕事とは思えないが、彼はランティスの見張りを自ら進んで請け負い城に残っている。NSXは、ザズに任せて救助に向かわせているらしい。

「他人の心の力を強制的に引き出すのも、攻撃の一種だ」

「そういうものですか」

 二人の前には、数えきれないほどのベッドがあった。広い部屋に所狭しと並べられている。このような部屋が他にもいくつかあったが、その全てをランティスの魔法は覆っていた。

 ラファーガが持ってきた報告のおかげで何とか対処できたが、まだ全員を収容できてはいない。ランティスとしては、城外へ出ることを禁じられているのが歯痒くて仕方なかった。

「後手に回ってしまってますよね」

「ああ」

 導師クレフも、他の者もそれは痛いほどよく分かっている。このままではいけないということも。

 民をこれほど早く城に運べているのも、他国の手を借りられたからというのが大きい。自分達だけでは、きっと間に合わなかっただろう。

「どうして、心の力を引き出し続けているんでしょうね」

 イーグルの問いは、答えが分からなくて訊いているようには聞こえなかった。自分なりに導き出した答えと、ランティスが考えるものが一致しているのか知りたいのだろう。そして、ランティスからこの話をふることがないのを知っている。

「柱になれるものがこの国にいるだけでは、柱は誕生しない。消えてしまった柱の証がないことには」

 柱の証を作り出すのは、異世界から人を招喚するより心の力を要するだろう。相手はそこまで予測していた。

 まだ目に見えない相手は、セフィーロという国を知り尽くしている。この計画の準備にあたって国内に潜り込んではいただろうが、一朝一夕で得られる知識ではなかった。

 柱に関する多くの事柄は、柱を中心とする一部の人間にしか伝えられない。蔵書に関してもランティスは目にしたことがなかった。もしかすると導師クレフが保持しているのかもしれないが、それとて他人が安易に盗み読める代物ではないだろう。

 柱の証は、最後には剣の形をしていた。王冠と違い、実体を伴わない光の塊に見えた。それは、すぐに柱をなくしてしまいたいという彼女の心の表れだったとランティスは思っている。もう二度と見ることはないと思っていたのに…。

「ヒカルが柱になったとして、この国はどうなるんでしょうね。結局、エメロード姫の時のように崩壊に向かってしまうと思うんですが」

「…ヒカルは、魔法騎士を招喚したりはしないだろう」

 自分と同じ苦しみを、他人に味わわせるようなことは決してしないだろう。けれど、そうした先にあるのはこの国の完全な消滅だ。

 背後の扉が乱暴に開く音がした。

 新たに人が運び込まれてきたのかと思ったが、部屋に駆け込んできたのは子ども達だった。親が運び込まれたのを聞きつけたのだろう。並んで横たわっている顔の中から自分の親を見つけて、皆駆け寄っていく。

 子ども達の声に反応したのか、身動ぎする者も出てきた。魔法の効果もあり、徐々に回復してきているようだ。

「お母さん、ねぇ、大丈夫?」

 子ども達の中からミラを見つけ、ランティスは歩み寄った。ベッドには目を開けるのもやっとといった風の母親が横たわっている。ミラの母親は我が子をとても大事に育てていたが、その彼女であっても子を忘れ柱の復活を懇願する術からは逃れられなかったらしい。

「…良かった、無事なのね。もうすぐ柱があなたを守ってくれるから。それまで辛抱してね」

「何の話? お母さん」

 母親は大分消耗しているのか、それ以上話そうとはしなかった。ランティスに向かって微かに頭を下げた時には、もう目は閉じてしまっていた。

 彼女は幻でも見ているのだろうか? セフィーロの幻惑師―――例えばカルディナの技はただ相手を操るだけだが、どうやら、そのようなものとは少し違うらしい。

 もっと詳しく訊きたいところだが、この状態ではそれも難しい。まともに話をするにはまだ時間がかかるだろう。

「あのね、お兄ちゃん」

 ミラは母親からランティスの方へと向き直っていた。両手がもじもじと合わさっている。

「ウミお姉ちゃんとフウお姉ちゃんから、お兄ちゃんは悪くないって教えてもらったの。あれは偽者なんだって。だから……酷いこと言って、ごめんなさい」

 ランティスは膝をつくと、小さな頭に手を置いた。

「お前が謝ることはない。お前がヒカルと共にいてくれたおかげで、俺達はすぐに行動できた」

 そう言われてもミラの顔は晴れなかったが、ふと思いついたように手に持っていたものを差し出した。

「これ、広場に落ちてたの。私のだと思ったんだけど、違うみたい。誰のか分からなくて……」

「分かった。預かっておこう」

 ランティスが受け取ったものを、イーグルは横から拝借した。薄くて軽い書物。ぱらぱらと捲ってみると、ページ全体に大きな絵と、申し訳程度に綴られた文章が見えた。絵本の類らしい。イーグルが開けたページでは、魔物らしき獣が大きく口を開けて子どもを食べようとしていた。

「誰のか分からないというのは、これはそんなに珍しいものなんですか?」

「逆だ。古くからある有名な童話だから、皆持っている」

 へぇ、とイーグルはページを捲り続けた。文字が読めないので何とも言えないが、絵を見る限り、あまり明るい内容には見えない。穏やかなセフィーロの童話にしては、中々刺激の強い内容に思えた。

 窓の外はずっと闇で、時計もないために時間の感覚が鈍っている。

 割り当てられた部屋の中、海は窓の外から船内へと目を遣った。仮眠をとっている風の、穏やかな寝顔が見える。

 眠れる時に眠っておいた方が良いのだが、どうも目が冴えてしまって海は眠れずにいた。船の中のベッドは窮屈で、じっと横たわっているのも疲れてしまい、結局はこうして起きている。

 規則正しい寝息をたてる風を見ている内に、海の意識は思い出の中へと遡っていった。

 あれは夏の頃だったと思う。

 本格的な受験シーズンの到来を前に、海の自宅で三人一緒にお泊りをしたのだ。ほんの少し勉強をして、いつもよりは少し夜更かしをして、お喋りに花を咲かせて。他愛ないことだけれど、とても楽しかった。

 東京タワーから綺麗になったセフィーロの様子も見れて、これから受験とはいえ、海の心中は大変穏やかで希望に満ちていた。できればセフィーロに―――クレフに会いたいという願いはあったけれど。

 夜、何時頃だったかは覚えていない。寝入ってから大分経っていたとは思う。ふと、気配を感じて目を覚ました。自分の部屋に、普段はいないはずの二人が眠っていたから、無意識の内に神経過敏になっていたのかもしれない。

 暗がりの中、自分の左側にいる風を見た。寝相が良い彼女は、仰向けになって静かに眠っていた。

 その風とは反対側―――つまり、自分の右側にいる光を見た。こちらに背を向けて眠っている。海が身動ぎしても反応がなかったので、こちらも眠っているのだろう。そうは思ったけれど、どうしても顔を見て確認したくなって、海は音を立てないようにそっと彼女の顔を覗き込んだ。

 ぎょっとした。風の安らいだ顔を見た後だったから、余計かもしれない。その寝顔はあまりに苦しそうだった。眉間に深い皺が刻まれ、痛みから自身を守ろうとでもしているかのように背を曲げて縮こまっている。

 この子は、また何か病気や怪我でも我慢していたのだろうか、と海は思った。嘘をつくのが下手なくせに、こういう我慢だけは上手く隠すのだ、この子は。

 夜中だが、救急車は必要だろうかと思いながら、海の手は、彼女を起こすべく肩を掴んだ。

 声をかけようと口を開きかけて、けれど、喉を震わせるのは光の方が早かった。

「イーグル」

 夜のしじまの中で、その掠れた小さな声は誤魔化しようもなく海の耳に届いた。

 光の目に涙が滲み、重力に負けて流れ落ち、枕を濡らしていく。それを見て、海は光の肩から手を放した。

 起こしてしまうのが憚られてとった行動だが、それによって光は目を覚ました。寝起きにしては、意外とぱっちりと目を開いている。無表情で、瞬きをして残った涙を落としながら海の方を見遣った。

「貴方……」

 眉根を寄せた海に、光はにこりと笑いかけた。いや、「にこり」というには少々挑戦的だった。その表情は、彼女の知っている光ではない。

「まだ、光の中にいるのね」

 海の言葉に返事をすることなく、ノヴァは目を閉じた。ふっと気配が変わるのが分かった。後に残ったのは、まだ少し悲しそうな光の寝顔だけ。

 その出来事を、海は光にも風にも話さなかった。確固とした意志があってそうしたのではなく、どうしようか迷っている内に機会を失ってしまったのだ。

 ノヴァに会ったことを言うということは、夜中に見た出来事を話すことになる。仲間だ、大切な友達だ、とは言っても……あれは、光にとって触れられたくない部分ではないかと海には思えたのだ。

 エメロード姫とザガートのことは、三人が一緒に体験した、共有できる話だ。今でも押し潰されそうな罪悪感を感じるのは三人共同じだろう。だが、この出来事に関しては、風の姉が言っていた「悩みを分かち合う」ことができる。

 けれど、イーグルのことに関しては……正直なところ微妙だった。

 海自身は、イーグルのことはよく知らない。光がタータやタトラをあまり知らないように。

 海にとって、彼はセフィーロに進軍してきた人間で、その中でも最も厄介だと思われる人物というだけだ。どうやって柱候補になったのか、NSXの中で何があったのか、東京に戻ってきてから話には聞いたものの、その場にいなかったので彼の人となりは分からない。

 でも、光が何を考えているのか推測することはできた。本当のところは分からなかったとしても。

(もし私が同じ立場なら、どうなってたのかしら)

 イーグルは、ノヴァと戦う私達をわざわざ助けに来てくれた。理由は分からない。ランティスが捕らえられていたからか、あの時既に和解していたからか。何にせよ、損得勘定ではなく、好意からによるものだろう。あんな体で戦場に出るなど、無謀すぎた。

 あの時、海は自分の不甲斐無さを実感した。ランティスを人質にとられていたとはいえ、ノヴァ相手に何の手も打てなかった。自分がもっとしっかりしていれば、イーグルはあんなことにならなかったのに、と考えたこともある。

 光にしてみれば、彼を傷付けたのは自分の分身だ。最後の一撃はデボネアだったけれど、あそこまでボロボロになっていなければ逃げることも十分可能だっただろう。きっと、罪悪感で胸がいっぱいのはずだ。光の慟哭は、今でも思い出せるほどに海の耳から離れない。二度と聞きたくない声だ。

(もしあの場で倒れたのがクレフだったら、私はあの子をどう思った?)

 理屈では、光が悪いわけじゃないというのは分かる。ノヴァが生まれたのだって、エメロード姫のことがあったからだ。彼女の意志の強さが裏目に出たのだ。

 けれど、頭で分かっていても、感情はそうはいかないだろう。きっと、心の中であの子のことを責めたと思う。どうしてノヴァなんて存在を生んでしまったのか。貴方がもっとしっかりしてれば、あんなことにはならなかったのに、と。

 だから(内心はどうか分からないけれど)今日話したジェオは、とても良い人だと思った。デボネアとの戦いで手を貸してくれたし、今も、セフィーロを、私達を助けてくれている。

 彼と比べると、自分は弱い。悩んで、迷ってばかりだ。

(せめて、ノヴァのことを光に話しておけば良かった)

 そうしていれば。光の抱える悩みをちゃんと共有していれば、もう少しマシな結果だったかもしれないのに。

『ウミ』

 不意に頭の中に響いた声に、海は小さくない悲鳴を上げて跳び上がった。完全に自分の思考に入り込んでいたし、しかも想い人の声だったのだから、動揺するなという方が無理だ。

 申し訳ないことに、海の声は眠っていた風を起こすのに十分だった。何事かと、起き上がって眼鏡をかけ、海の方を不思議そうに見つめている。

「な、な、何よ突然! びっくりするじゃない!」

『今から声をかけるぞ、と言って声をかける者などいないだろう。フウも起きたのか?』

「はい。クレフさん、どうかなさったのですか?」

 風も同じくクレフの声が聞こえているらしい。普通に返事をして、それがクレフに届いているというのも不思議なものだが。

 海はばくばくと高鳴っている心臓を、大きく深呼吸して落ち着けた。風が眠っていたからとはいえ、自分に先に声をかけてくれたのが嬉しい、なんて今は誰にも気付かれたくない。

『そちらはもう、コルティナの近くだな?』

 海と風が窓の外を覗き込むと、確かに、視界に入る位置に国らしきものが見えた。ここからでは、まだ詳細は分からないが。

『お前達を仲介にして、今からヒカルを探してみようと思う。あまり近付きすぎると妨害に合うかもしれんからな』

「分かったわ」

 二人一緒に、顔を見て頷き合った。

 以前、一瞬の内にセフィーロ城内に移動させてもらった時と同じだ。心をクレフに預けるよう、目を閉じて集中する。

 しばらくすると、目を閉じているにも関わらず、どこかの景色が見えてきた。ぼんやりと頼りないのが、少しずつ鮮明になっていく。

(これがコルティナの町なのかしら?)

 クレフの魔法は、どうやらコルティナの空を飛んでいるらしい。街並みを見下ろしながら、スピードを上げて進んでいる。見える景色は、魔神を探して旅をしていた時に訪れたセフィーロの村々と大して変わらないように思えた。

 やがて、建物が密集している場所を通り、より大きな建物が見えた。広さも高さも申し分ない。

「お城?」

『そのようだな』

 城の上空に来たところで、ぴたりと止まった。上からは、大きな城と、それを囲む庭と森、背後に崖と海が見える。城の周囲には、いくつか小屋のようなものも点在していた。

「どうかなさいましたか?」

 動かなくなってしまったクレフに、風は声をかけた。海と風からは、まだ光の姿が見えない。

『やはり、これ以上は難しいようだな。相手の魔法に阻まれて侵入できん』

「私達がもっとお城に近付かないと無理なの?」

『いや、城内部に侵入したとて、意味がないだろう。だが―――崖の側に、一つ小屋があるのが見えるか?』

「見えるわ」

『あそこからヒカルの気を感じる。間違いないだろう』

 瞼に浮かぶ景色が消えたので、海は目を開いた。同じく目を開けた風と顔を見合わせる。

「向こうは、クレフさんの力を見誤りましたわね」

「居場所が分かれば話は早いわ。後は私達に任せて」

 2014年10月11日UP