14 黒の像
アスカは、海と風の話を聞いてから、扇で口元を隠して何やら考え込んでいた。
まだあどけない様子は残っているけれど、彼女はぐんと成長している。それは風との出会いがそうさせたのだが、風自身はアスカの成長に感心するばかりで気付いていなかった。
そもそも、この旅にアスカが同行すると言い出した時、てっきり風は、チャンアンが反対するものと思った。が、意外にも彼はそれに賛成し、サンユンも連れて船に乗り込んだのだ。それは、彼自身もアスカの成長を認めているということなのだろう。
「サンユン、紙と筆じゃ」
パンと扇を閉じて命じると、サンユンはいそいそと下がっていった。
「何をなさるんですか?」
「親書をしたためるのじゃ。王城に乗り込むとあらば、わらわが出た方が話が早いじゃろう」
サンユンが持ってきた紙と筆を手に取ると、アスカはさらさらと書き始めた。途中でチャンアンの口添えが入りながらも、慣れた様子で書き記していく。
「王城へ遣いを出しましょう。返事が来るまでしばらくはかかるじゃろうが……ジェオ殿、それまでの間に町の様子を見てきてはくださらぬか?」
「分かりました」
「私もご一緒しますわ」
私も、と続こうとした海を、風は制した。
「海さん、あまりお休みになれていないでしょう? 今の内にお休みくださいな」
ぐっと海は詰まったが、彼女は素直に承諾した。無理をして肝心な時に力を発揮できなければ意味がない。先程のクレフの魔法は、こちらにも少々負担がかかっていた。
「よし、早速今から出るぞ。酒場はまだ開いてるだろうしな」
ジェオと風は簡単に身なりを整えると、以前アスカが使用していた水の膜のような球体に入って船から降りた。他にも同じような球体がいくつか彼女らの後に続く。親書を届ける者の他にも、二人を陰から見守ってくれる者もいるらしい。
「ファーレンの術は不思議なもんだな。俺達オートザムの人間にしてみれば、ファーレンの術もセフィーロの魔法も大差ない。チゼータのも不思議だが」
「それぞれ、どこかで似通っているのでしょう。オートザムの精神エネルギーも、セフィーロの心の力と同じ類のものですし」
球は地上へ到着すると、パンと弾けて消えた。辿り着いたのは、どうやら町の外れらしい。だだっ広い所で、いくつかの船が停まっている。
二人はその場を後にして、町の中央通りと思われるところへ出た。夜も更けているため人通りはあまり多くなかったが、宿や酒場が並んでいるところを見ると、国の玄関口として繁盛しているのだろう。
(本当に、セフィーロに似ていますわね)
セフィーロを発つ前に、コルティナという国がセフィーロに似ているという話は聞いていた。だが、やはり自分の目で見ると改めて実感する。ここは「今のセフィーロがもう少し文化的に発展すれば、このようになるだろう」と思えるような場所だった。
ジェオが選んだのは、比較的規模の大きな酒場だった。ドアは開け放たれていて、賑やかな様子が外からも窺える。
よし、入るぞ―――というところで、風は誰かに肩を叩かれて振り返った。隣でジェオが身構えるのが分かる。
「あの……どちら様でしょうか?」
そこに立っていたのは、褐色の肌に色の薄い髪を持つ、人懐こい笑みを浮かべた男女だった。歳はジェオと大差ないと見える。
「あんた達、その格好だとファーレン人だろ? この国は初めてか?」
「キョロキョロしてるさかい、気になってん。あんま余所者って雰囲気出してると、カモられるで」
聞き慣れた言葉遣いに、風はずり落ちそうになった眼鏡を押し上げた。
「……チゼータの方でしょうか?」
「そうそう! お嬢ちゃん、よう知っとるやないの。折角や、美味しいもん一緒に食べよ!」
女性の方は、風の腕に抱きつくと、半ば引き摺るようにして店の中へと入っていく。
「この国の風習はファーレンとは大分違うし、意外と閉鎖的な所だから、少し勉強した方がいいぞ」
まずは…と、男性は店の中へ入ると、くるりと扉の方へ向き直った。ジェオもそれに倣う。隣では、風も同じことをしていた。
「家でも店でも…建物の中に入ったら、まずはこの国の姫君に感謝の祈りを捧げなきゃいけない」
男性はそう言うと、手を組んで目を閉じた。
「姫様の心が、明日も穏やかでありますように―――と、こんな具合だ」
二人は、適当に相槌を打ちつつも目は扉の横に供えられたものに釘付けになっていた。
扉の隣には小さな棚が打ち付けられており、その上に白い少女の像が置かれている。それは、その少女の姿こそ多少異なるものの、セフィーロの村々で発見されたエメロード姫の像によく似ていた。
「この像は……その、この国の姫さんの像なのか?」
「ルーチェ様だ。俺はこの目で見たことがないから、似ているかどうかは知らん……おーい、マスター! ルーチェ様が真っ白になってるぞー!」
その声に、カウンターからマスターがやってくる。手には、今度は真っ黒な像が握られていた。
「チゼータ人は声が大きいのが敵わん。もっと優雅にできんのか」
ぶつぶつ言いながら、棚の上の白い像と、手にした黒い像を入れ替える。そして、物言いたげな視線を風に寄越した。お前もしっかり祈れ、ということだろう。
風は、先程の男と同じように手を組み、目を閉じた。会ったこともなく、事情も知らない(しかも、恐らく敵であると思われる)姫君に祈る理由など、今の風にはなかった。彼女の望みは一つだけだ。
(誰一人欠けることなく、幸せになれますように)
光が無事でいてほしい。三人一緒に、早く笑いたい。セフィーロの皆に幸せになってほしい。……フェリオと、これからも一緒にいたい。
時間は短かったけれど、風の祈りは切実だった。そして、突然周りから歓声があがり、ぎくりとして風は目を開けた。
目の前にある黒い像から、黒い霧のようなものが立ち上って消えていった。そして、その分だけ―――像の四分の一ほどが白くなったのだ。
「嬢ちゃん、すごいな!」
「目に見えるくらい変わる所、俺は初めて見たぞ!」
先程まで、四人が入ってきても我関せずで飲んでいた人々が、歓声を上げ拍手を送っていた。自分自身は大したことをしたつもりはないのに、喜びようが半端ではない。内心の動揺を隠しつつ、風は周りに向かって笑顔で会釈した。
「こんだけの祈りが届きゃ、ルーチェ様もお喜びだな」
余所者を見る目をしていたマスターは、今は優しげな顔で風を見つめていた。彼の中で、一つの壁が取り払われたのだろう。風は思い切って尋ねてみた。
「そちらの白い像は、この後何かに使われるのですか?」
「これか? こっちはもう何の役にも立たないな。城の者が町に来た時に返すか、自分の部屋に飾るくらいか」
「もし宜しければ、私にくださいませんか?」
マスターがより気分を良くするように、風は言葉を選んだ。
ファーレンにはこんな風習がないので、帰国した時に皆に教えたいこと。ルーチェという姫君が、自国の民にどれだけ愛されているかを目にしたこと。そのためには、その像があれば話がしやすいだろうということ。
上手くいったのか、マスターは喜んで風に像を差し出した。わざわざ布に包んで袋にまで入れてくれたところを見ると、余程嬉しかったらしい。
ジェオが続けてお祈りを済ませると―――こちらは何の変化も見えなかった―――四人でカウンターの席についた。
風は酒を丁重に断りつつ、次々に料理を出してくれるマスターに問い続けた。相手が折角機嫌良く話しかけてくれるのだから、こちらとしては好都合だ。
あの像は祈りによってどんどん白くなるらしい。特殊な魔法がかけられているそうで、祈りの度合がその変化によって分かるのだそうだ。そして、その祈りはルーチェ姫の元へと届けられ、彼女の手助けになるらしい。
「『柱』であるルーチェ様の魔法が、この国を守ってくださってる。他国の人間にはピンとこないかもしれないが、天災から作物の出来まで、全部ルーチェ様一人で頑張っておられるんだ。もちろん、国王陛下や王妃様の政治手腕も大切だが」
その単語に、胸の鼓動が速くなるのを風は必死で隠した。本当に、この国には『柱』がいるというのか?
この国の『柱』は数百年単位で代替わりする。そして、ルーチェ姫はまだその任について数年らしい。
「ファーレン人と言っていたが、セフィーロに行ったことはあるか?」
「ああ、仕事で行ったことがある」
「あの国にも『柱』がいるらしいが、森や山ばかりらしいな。この間は崩壊しかけたらしいし……ルーチェ様には感謝しなけりゃ」
その時、大きな音を立てて勢いよく扉が開いた。顔が真っ青で、肩で息をしながら男が入ってくる。
「マ、マスター! お、お、尾の獣がいたんだ! そこの路地裏に―――」
「不吉なこと言うんじゃない! 祈りが足りんからそんな幻を見るんだ!」
怒りに任せた荒々しい足取りで男に迫っていくマスターを見ながら、チゼータの女性がこっそり風に耳打ちした。
「細長い尻尾の獣のことやねん。迷信かなんか知らんけど、うっかり口に出そうもんなら大騒ぎやさかい、気ぃつけな」
「は、はい……」
「あと、ここのところ天気が悪いねん。こないだも川が氾濫してしもて……お姫様がちゃんと仕事できてるんか、余所から来たうちらからしたら疑わしいもんや。けど、そんなこと言うてもうたら―――あいてっ」
連れの男性に頭を小突かれて、女性はぷっと頬を膨らませながらも口を閉ざした。それだけ危ういことを言ったのだろう。
(ルーチェ姫を信じていらっしゃるんでしょうか。それとも、目を逸らしているのでしょうか……)
森や山ばかりのセフィーロと、本当に豊かなのはどちらの国なのか。セフィーロを羨ましいなどと思うものか、というマスターの本音が、風には聞こえた気がした。
2014年10月18日UP