Polaris

2 招喚

 セフィーロ城から一番近い位置にあるその村は、他国の船の停泊場の側にあった。それ故に人の出入りが多く、活気もある。村と呼ぶには少々規模の大きいそこには、学校のようなものがあった。

 他国の教育制度を参考にして試験的に作られたそこは、今は字の読み書きを教える程度で、託児所のような形になっている。しかし、今そこに大人はいなかった。

「おーい、そろそろ帰ろうぜ」

 その声に、ミラは素振りを止めて振り返った。建物からぞろぞろと子どもが出てきている。その中で、いつも一緒にいる子達が彼女を待っていた。

 ミラは慌てて、木の棒を握りしめたまま駆け寄った。

「もうそんな時間?」

「多分ね。いつもならもう帰る時間だと思うよ」

 幼い弟の手を引いたその子は、困ったように眉を八の字にして言った。結局、今日も大人は来なかったのだ。

 ここ数日、大人達は集会所に籠りきりになっており、仕事をしている様子もない。朝早くに家を出て、夕食の時間に帰ってくる。食事こそ用意してもらえるが、今までの母親と違うようで、ミラは少し怖かった。どの家も最近はそんな感じらしい。

(ランティスお兄ちゃんが来てくれたらなぁ…)

 皆で帰宅の途につきながら、ミラは握りしめた棒を見つめた。ミラは、何度も何度もお願いした末に、ランティスに剣の稽古をつけてもらっていた。稽古と言ってもまだ剣の基礎すら始めていないような状態だったが、それでも彼女には目指している目標があった。

 自分を守ってくれた人達と同じように、自分も剣で誰かを助けたい。あの魔法騎士のように、自分が女の子でもやればできるんだと、彼女は強く信じていた。

「なんか変だよ」

 誰かが言った言葉に、ミラは顔をあげた。

 この時間ならまだ集会所に籠っている大人達が、空を見上げて何かを叫んでいる。悲鳴とも歓喜とも区別のつかない叫び声が、村中に響いていた。

 大人達が―――そしてそれにつられて空を見上げた子ども達が見たのは、空に出来た渦だった。

 方角から海の上空なのだろうということはわかるが、その空はまるで海のように波を作り、うねっている。

 そしてその渦は収縮していったかと思うと、何かを生み出したように見えた。

「落ちた!」

 渦に生み出された点のように見える何かが、真っ逆さまに海へと向かっている。

 しかしそれは、巨体を滑らせるように飛ぶ精獣の背へと落ちたようだった。その精獣は、村やミラ達に影を落としながら、その背に何かを乗せて運んでいく。

「お城に向かってる」

 羽根のついた魚の―――フューラが向かった先を眺めながら、子ども達は呆然と立ち尽くしていた。

 三度目ともなると慣れているフューラの背中の上で、三人は驚きのあまり声も出せずにいた。

 喜びと不安をないまぜにしたままで、目は新しいセフィーロの姿を映してゆく。

 どこまでも緑に覆われた大地、透き通るような青い海、空に浮かんだ山―――そして、目に馴染んだセフィーロ城の姿。紛れもなく、ここはセフィーロだった。

「…今回は、誰に招喚されたのかしら?」

 ようやく、海が口を開いた。しかし、その問いに二人は答えられない。セフィーロに行きたいと願ったことは数えきれないほどあったが、今回は自分達の願いではないと確信が持てた。あの時は全く別のことを考えていたのだから。

「わかりません。…とにかく、まずは皆さんにお会いしましょう」

 風の言葉に、光は頷く。三人で考えていても答えは出ない。

 フューラは真っ直ぐに城へ向かうと、するりとエントランスに滑り込んだ。

「ヒカル、ウミ、フウ!」

「プレセア!」

 出迎えてくれた懐かしい顔に、三人の顔が途端に明るくなる。プレセアもにっこり微笑むと、フューラから降りてくる三人に近寄った。

「久しぶりね。元気だった?」

「うん。プレセアも、元気だった?」

 光の言葉に笑みだけで答えると、プレセアは先導して歩き出した。三人もそれに続く。陽光が差し込んで明るいために雰囲気は変わったものの、城の中の様子は以前と変わりないようだ。

「実は、今は皆出払っていて、城には私しか残っていないの。夜には戻ってくるから、歓迎会を開くわね」

「皆さん、お忙しいんですね。プレセアさんもお疲れなのではないですか?」

「セフィーロは新しくなったばかりだから、やることがたくさんあって。でも、私も皆も、元気にしてるわよ」

 プレセアは一つの部屋の前で立ち止まると、扉を開けた。どうぞと促され、三人は部屋へ入っていく。光は入ったことがあるプレセアの部屋だが、以前のような殺風景な様子ではなく、所々に創作品のようなものが置かれて彼女らしい部屋になっていた。

「私もまだ用事があるから、しばらくここで待ってて。後でお茶とお菓子を持ってくるわね」

 それだけ言い残すと、プレセアはすぐに扉を閉めてしまった。

「プレセアしかいないなんて…なんだか物騒ね。大丈夫なのかしら?」

「でも、お城に泥棒が入ったりはしないんじゃないかな」

 宙に浮く椅子に腰掛け、海はぼんやりと窓の外を眺めた。穏やかなもので、日の光をいっぱいに浴びている木々と、その枝に休みにくる鳥の姿しか見えない。以前は荒れた大地と暗闇、その中を切り裂く雷光しか見えなかったというのに。

「風ちゃん?」

 扉の前に立ち尽くしていた風は、顎に手を当てて思案顔のまま二人の元に帰ってきた。

「扉が開きません」

 風の言葉に、光も海もきょとんとする。

「今回の招喚は、セフィーロの方々にとって喜ばしくないことなのかもしれませんわ」

「どうして?」

 光が尋ねる。風は少し眉根を寄せたが、一度きゅっと口を噤んだ後、思い切って光と海を見た。

「フューラさんはクレフさんの精獣です。クレフさんが城にいらっしゃらないとは考えにくいですわ」

 もしクレフが城にいるのだとすれば、どうして嘘をつく必要があったのか。しかしその理由に思い至るわけもない。

「…また、セフィーロで何か起こってるのかな」

 今回の不可解な招喚を考えれば、セフィーロが異常事態なのだということは容易に想像できた。一見すると穏やかな世界そのものだけれど。

 無意識に固くした光の拳に、優しく海の手が重ねられた。

「大丈夫よ。今度も三人一緒にここへ来たんだもの。何とかなるわ」

「私も、そう思いますわ」

 二人の言葉に、光の顔に笑みが広がる。風の手を取り、三人で手を繋いだ。

「また、戦いになるのかもしれないけど…でも、三人一緒に頑張ろう」

 海と風は、笑顔で頷いた。

 三度目の戦いが起こるとしても、三人一緒なら頑張れる。それを露とも疑ってはいなかった。

 2012年10月23日UP