Polaris

20 雨の前触れ

「仕掛ける? こんなすぐに?」

 ジェオの提案に、海は驚いた様子を隠しきれないようだった。

 一行は順調に城内に入り、今はしばしの休息をと部屋に案内されたところだった。

 アスカ達は皇族ということで奥に通されたが、ジェオや海達の客室はそれほど離れていないのが幸いだった。

「まだここの地理も把握しきれていませんが、大丈夫でしょうか……」

 風も不安げに眉を寄せる。それほどの長旅ではなかったとはいえ、疲れも多少はあるだろう。万全を期したいという気持ちはジェオも分からないではなかった。

「だが、何日ここにいられるのか分からん。それに、地理なら問題ねぇぞ」

 ジェオは船の中で二人に見せた端末を取り出した。動作確認は馬車の中で済ませてある。どうやら、問題なく動いてくれるようだった。

 起動して操作すると、この周辺の俯瞰図が浮かび上がった。室内には、船で見た時のように三人を表す点が点滅している。

「まぁ、着いてすぐですのに、もうデータを入力なさったんですか?」

「いや、こいつは勝手に色々読み込んでくれるそうなんだが……詳しいことはザズにでも聞いてくれ」

 風の目が途端に好奇心で輝いたので、ジェオは説明から逃げた。ファイターメカのことならともかく、こういったことはザズの専門だ。とても、彼女の好奇心を満たせる回答が出せるとは思えなかった。

(見かけによらず、意外とメカが好きなんだな、このお嬢ちゃん……)

 手渡してしまえば弄り倒されない様子だったので、ジェオは自分で操作を続けた。もう少し広範囲を見られるように設定すると、城全体と、その周囲までが映し出された。

「いたわ。ここね」

 海は、城外にある、小さな建物の中にある赤い点を指差した。

「クレフさんに見せていただいた時と同じ場所のようですわね」

 その時、扉を叩く音が室内に響き、ジェオは慌てて端末の映像を消した。

「失礼します」

 そう言って入ってきたのはサンユンだった。どうやら彼一人らしい。

「アスカ様とチャンアン様は、この後王家の方々とお会いになられます。その後宴があるようなのですが……チャンアン様が、その時が頃合ではないかと。皆さんに策があれば伺ってくるようにと仰せつかってきました」

「アスカさん達は、今後は動けそうにありませんわね」

「そうですね。護衛と称して監視がつくでしょうから」

 宴を催すのであれば、そちらに人手が割かれるとチャンアンは睨んだようだった。多少強引な策にはなってしまうが、この際仕方がない。綿密な計画を立てていて手遅れになっては元も子もなかった。

 光を連れ出した後の手筈も、既に用意してあるようだった。森の中に配下の者の忍ばせているので、その者達と共に行けば、用意してある別の船に案内してくれるらしい。

「どこにいても、なるべく皆さんの近くいるよう護衛を忍ばせています。皆さんがお強いことも承知しているのですが、アスカ様も心配なさってますから」

 敵に悟られないように兵を忍ばせるやり方は、さすがはファーレンの皇族だ。オートザムの軍とはまた違うと、ジェオは感心した。

 自分はもちろん、海と風が弱いなどとは考えていなかったが、ここは敵陣のど真ん中だ。手数が多いに越したことはない。

 ここから、アスカ達とは別行動になる。彼女達は、ジェオ達の動きを知らぬ風に装い、何事もないように正面からここを去ることになるだろう。

(あの皇女様が、これで良しとするのは意外だったな)

 彼女が慕ってやまない風の側を離れ、大暴れもせずに大人しく皇族として振る舞う方を選んだのだから。一年前のあの時とはもう違うのだと、ジェオは妙に懐かしい気持ちになった。

 だだっ広い部屋の中で、ルーチェの足は落ち着きなく動いていた。右往左往する様子を、モコナが心配そうに見上げている。

 あの後夢の中へ入ってみると、結界はいつの間にか解かれていた。だが、探していた光は見つからなかった。

 昼間なのだから起きているのだろうと思ってみたが、胸騒ぎが収まらない。兄に会いたいと申し出てみたが、ファーレンの皇族が来ていて忙しいと、こちらも突っぱねられてしまった。

(何か……何かが起こっている。それなのに、私はここにいるしかないなんて)

 ルーチェは自分の手の薬指に視線を落とした。宝玉が埋め込まれた指輪――彼女の柱の証であるそれが、弱い光を放っている。

(どうしよう。父上や、姉上達にお知らせした方が良いのかしら)

 柱の証が光ったのは、ルーチェが柱になってからはたった一度だけだ。しかし、他国の皇族を相手にしているのであれば、そうそう席を外すこともできないだろう。しかし、万が一大事だったら……。

 迷っているルーチェを見かねて、モコナは扉まで跳ねていくと、一声「ぷう!」と呼びかけた。

「外に出ろと言っているの?」

 モコナは満足げに頷いているが、ルーチェは今までそんなこと考えもしなかったので、驚いて見つめ返した。

 扉には魔法で強力な鍵がかけれていたが、ルーチェがその気になって開けられないものではない。柱としての力を使いさえすれば、この国で彼女にできないことはほとんどなかった。

 だが、ここにいてほしいと願う家族の想いを蹴ってまで、何かをしようと思ったことは今までなかったのだ。

 大伯母に会いにいこう。彼女なら、ルーチェ自身の持つ疑問や不安に、答えを出してくれるかもしれない。

 ルーチェは扉に近付きモコナを抱き上げると、意を決してドアノブを握った。兄がかけた魔法が溶けるように消えていくのを感じてから、そっと扉を動かす。その重さに改めてびっくりしたが、何とか人一人通れるほどに開くと、彼女は廊下へと足を踏み出した。

 廊下は、しんと静まり返っていた。兵士も、侍女の姿も見えない。客への対応にかかりきりなのだろうか。

 城の中とはいえ、一人で出歩くのは久しぶりのことだった。柱になってからというもの、部屋を一歩出れば、城内であっても必ず誰かが付き添ってくれていたのだ。

 記憶を頼りに廊下を進む。大伯母は、体に障らないようにとより奥まった部屋にいるはずだった。

 窓から差し込む外の光が廊下の床を照らしていた。今日は幸い晴らせることができたが、それでも雲が多い日だった。いつ降り出してもおかしくない。ここ最近雨が多く、そのせいで山が崩れはしないかと毎日気が気でなかった。本来なら、こんなことをしている暇はないのだ。大伯母と比べてもエメロード姫と比べても、自分は柱として未熟だった。

 廊下の先にある一つの扉の前で、ルーチェは立ち止まった。深呼吸して心を落ち着かせる。そして、覚悟を決めて扉を叩いた。

 小さいが確かに聞こえた「どうぞ」という返事に、ルーチェは扉を開いた。彼女の部屋とは違い、木製の軽い扉だった。

「失礼します。ルーチェです」

 名乗りはしたが、そんなもの大伯母には必要ないことは分かっていた。気配で既に誰が来たのかは分かっていただろう。

 部屋の中にはあまり物がなく、飾られた花と、天蓋付きのベッドだけが印象的だった。

「よく来てくれたわね。会えて嬉しいわ」

 ベッドの側に立つと、弱々しくも優しい笑顔を向けられた。私もですと返したものの、逸る気持ちを抑えきれず、ルーチェは自分の指にはめられた指輪を大伯母の前に差し出した。

「大伯母様。今朝ほどから、柱の証が光を放っているのです。こんなことは、私は一度しか見たことがなくて……」

「以前は、どのような時に光ったの?」

「……セフィーロの柱の証が、形を変える時に……でも、セフィーロは柱がなくなったのです。だから、どうしてなのか分からなくて……」

 そう。以前光ったのは、セフィーロの柱が誕生する時だった。もっとも、あの時はもっと強い光だったが。

 大伯母は小さく頷いた。

「それで、間違ってはいないと思いますよ」

「間違っていない……?」

「永遠に失われるものもあれば、甦るものもあるでしょう。それに、その柱の証は……」

 大伯母の手が、ルーチェの手を取ってゆっくりとひっくり返した。手のひらが露わになる。指輪の細工の一部が欠けているのが見えて、ルーチェは慌てて手を引っ込めた。

 大伯母はそのルーチェの行動を驚くでもなく咎めるでもなく、変わらぬ笑顔で彼女を見つめ続けていた。

「気になるのなら、自分の目で確かめても良いのですよ」

「自分の目で……」

 その時、ルーチェは漸く気が付いた。城の敷地内から、光の気配がするのだ。その上、その近くに兄の気配も感じられる。

「……大伯母様、ありがとうございます。行ってまいります」

「ルーチェ」

 背を向けようとしたルーチェを、大伯母は呼び止めた。少し長く会話をしすぎたのかもしれない。息が荒くなっている。

「一欠片で良い。希望を見失わないで」

「はい。私は、この国の柱ですから」

「いいえ、貴方自身のために言っているのよ」

 ルーチェは深く頭を下げると、扉を開き、再び廊下に踏み出した。ここに来た時のように、大きく深呼吸する。

 柱の証が欠けているのを見られた時、ルーチェは心臓が止まるかと思った。

(気がつかれたかしら?)

 大伯母は聡い人だ。きっと気付いてしまっただろう。というより、きっと知っていたのだろう。

 これは、兄と姉と自分の、三人だけの秘密だった。決して口外しないようにときつく言われている。

(大丈夫。あの方は吹聴して回るような方ではないもの)

 もう一度深呼吸して、このことをルーチェは頭の外に追いやった。そして、先程感じた二人の気配をもう一度探ってみた。

 もっと早くこうしていれば良かったのだ。モコナに促され、大伯母に言われるまで、ルーチェは自分で動こうなどと思ってもみなかった。あの部屋に籠っている内に、気持ちまで閉じこもってしまっていたらしい。

 庭にある小さな小屋の中に二人の気配を見つけ、ルーチェはそちらへ向かって歩き出した。モコナも腕の中から飛び出して、彼女の前を跳ねていく。少し進んでは立ち止まってルーチェを見つめ、彼女が追い付けばまた先へ進む。

 そうして、彼女自身の部屋を通り越し、その他の部屋も通り過ぎる。そして、問題の場所へやってきた。

 目の前に、大きな渡り廊下が見えた。王族の居室がある場所を抜け、ここからは配下の者達がいるところになる。当然、渡り廊下の先には見張りの兵もいるだろう。

 自分の父の城だ。何も恐れることはない――自分自身にそう言い聞かせると、彼女は前に進んだ。

 心臓は大きく脈打っている。己の度胸のなさが情けなかった。

「姫?」

 こちらを見つけて、見張りの兵が驚いた顔をした。

「どこへ行かれるのです? 供もつけずに」

「心配しないで。遠くへ行くわけではありません」

 兵が前を塞ぐようにしたので、ルーチェは足を止めた。

「し、しかし……リオ様とリーザ様は?」

「私は兄上に会いに行くのです。そこを通して」

 モコナが、兵のすぐ足元で跳ねた。それに驚いて一歩下がったのをチャンスとばかりに、ルーチェはそこをするりと抜ける。

 背後で応援を呼ぶ声がして、彼女はモコナと一緒に駆け出した。驚く侍女にぶつかっても足を止めず、廊下を走り、階段を駆け下りる。

 なぜそんなに懸命になるのか、彼女自身、まだはっきりとは意識していなかった。ただ、心の中に垂れ込める暗雲をどうにかしたいという思いと、柱であった少女に会いたいという願いだけ。

 裏口から城の裏庭に出ると、潮気を含んだ風が彼女の髪を靡かせた。空を背景にぽつんと佇む小屋が見える。ルーチェが知っている限りでは物置だったそこに、兵が二人立っている。それは、そこが今はただの物置ではないことの証だった。

 庭や森の方にも兵がいるのが見えたが、ルーチェは構わず小屋へと進んだ。小屋の扉の左右を守る兵が、驚いてこちらを見る。

「姫様、なぜここに……」

「私はその中に用があります。そこを開けなさい」

 兵は目に見えて狼狽えた。お互いに目配せをして、どう出るべきか迷っている。ルーチェは焦る心のままに、直接その扉を開いた。

 その瞬間、外の爽やかな風とは異なる、澱んだ生温い空気が彼女を包んだ。

 雑多な物で溢れていたはずのそこはさっぱりと片付いていて、簡素なベッドが一つ置かれている。そして、仮面を被った兄、リオの姿と、モコナが見せてくれた記憶の中にいた少女の姿があった。

 二人は、驚いた顔でルーチェを見つめていた。彼女の背後で扉が閉まるのを待って、漸く、リオが口を開く。

「ルーチェ」

 戸惑いを隠しきれていない声だった。

「兄上、ここで何をしていらっしゃるの? それに、あれは――」

 ルーチェの目は、宙に浮かぶ光の球を捕えていた。

「ぷぷぅ!」

「モコナ!?」

 飛び出してきたモコナを、光は上手に受け止めた。彼女の腕の中で、モコナは忙しなく鳴いている。だが、ルーチェは今それどころではなかった。

「あれは、セフィーロの柱の証なんでしょう?」

「ルーチェ、どうして部屋を出てきたりしたんだ」

「兄上、答えて。どうしてあれがここにあるの? どうしてヒカルがここにいるの? 一体何をしようというの? ランティスの姿を――」

「ルーチェ!」

 普段は穏やかな兄が出す大声に、ルーチェはぎくりとして口を噤んだ。

 兄の手が、優しく両肩に置かれる。

「後で話そう。部屋で待っていてくれ」

「でも――」

「大丈夫。あの少女に危害を加えるわけではないよ」

「お願い。ヒカルと話をさせて」

「ルーチェ」

 扉の方へ押し戻そうとするリオの服に縋ると、彼は仮面の下で困ったような目をした。そもそも、なぜ仮面をつける必要があるのだ。

 さらに抗議を重ねようと彼女が口を開きかけたその時、彼女達三人の周囲を柔らかな碧の風が覆い込んだ。

 次の瞬間、兄がルーチェを庇うように抱き込むのと同時に、小屋は木端と化した。

 2015年05月01日UP