22 仮初
二度目の強い光が去ると同時に、光は膝をついた。頭がクラクラする。
「ぷぷぅ!」
心配して擦り寄ってくれるモコナの姿が、ぼんやりと霞んで見えた。
(駄目だ、しっかりしなくちゃ!)
「魔法騎士は異世界に、他の者は……セフィーロですか?」
仮面の男の声に、光は顔を上げた。しかし、やはり視界がはっきりしない。眩暈がする。
(海ちゃん、風ちゃん……)
二人が東京に帰ったというのなら、それは光のしたことではなかった。ただ彼女は、二人を助けたい一心で柱の証に手を伸ばしただけだ。
ジェオ達が姿を消したのは、確かに彼女の願いだったけれど。
光は何とか立ち上がると、柱の証を強く握りしめた。それは、彼女にとって武器でもあるはずだった。
しかし、剣の柄にしては妙な感触と首が引っ張られる感じがして、光は目を細めるようにして自分の手の中を見た。
「どうして、これが……」
彼女の手の中にあったのは、中央に鏡がはめ込まれた首飾だった。焦点が合わないが、赤い宝玉と金の縁取りが見てとれる。
くらりとして、光は頭を押さえた。ぼんやりして、思考がまとまらない。
(これ……これ、何だっけ……?)
見覚えがあるような気がするのに、判然としない。気を失いそうな意識の中で、光は妙な違和感を持って自分の柱の証を見つめた。
「ぷう! ぷう!」
しっかりしろと叱咤するモコナの声に、光は少し意識と視界を取り戻した。モコナが、仮面の男めがけて駆けていくのが見える。モコナの意図に気付いて、光も慌てて駆け出した。
放たれた魔法を紙一重のところで避けて、モコナは男の顔にしがみついた。光もそれに続き、男の服を掴む。
その瞬間、三度目の強い光と共に、自分の体がセフィーロに引っ張られるのを感じた。
大広間に入ってきた導師クレフの姿を見て、プレセアやカルディナが安心したように顔を綻ばせるのが分かった。
ランティスの目から見ても、ここ暫くの師と比べると明らかに活力が戻っているのが分かる。無理をするなと忠告したところでクレフが聞き入れるわけがないのでランティスは何も言っていなかったが、口酸っぱく言っていた彼女達は胸をなでおろしていることだろう。
「早速ですまないが、書庫を調べたい。王子とプレセアは私を手伝ってもらえるか。ラファーガは、他国の方々を……」
そこで、クレフは口を噤んだ。その原因はランティスにもすぐに分かった。この国に向けて真っ直ぐに、魔法の力が働いているのを感じる。
しかし、攻撃の類ではなかった。
「皆、そこを開けろ!」
言うが速いか、クレフの巨大な魔法陣が大広間の中央に現れた。慌てて、その陣の外へと人が逃げていく。クレフの大きな杖が振るわれると同時に、強い光が部屋中に満ちた。
「な、なんじゃここは!?」
「ジェオ!」
強い光と魔法陣が消えると、大広間にはコルティナに向かった面々の姿が現れた。アスカ達にジェオ、ファーレンの従者達が目を白黒させている。
ザズがジェオに駆け寄ったのに続いて、ランティスもイーグルと共にまだ状況が飲み込めていないジェオに近付いた。
「ジェオ、魔法騎士のお嬢さん達はどうしたんですか?」
「お前ら……じゃ、ここはやっぱりセフィーロなんだな。なんで急に帰ってこれたんだ?」
「おい、フウはどうしたんだ!? ウミは!?」
質問攻めになりそうなのを、ジェオは両手で制した。彼自身戸惑っているのは傍目にもよく分かる。急いたところでまともな返事は期待できそうにない。
(魔法騎士の二人がいない。ヒカルも――いないのか)
三人揃って、まだコルティナにいるのだろうか。
騒ぎが少し収まると、チャンアンが口を開いた。
「我々は、コルティナの王と王妃に謁見していたのです。城内で騒動が起きた様子は感じていたんじゃが……」
チャンアンの視線を受けて、次はジェオが事の顛末を語った。
ジェオは、海と風と共に光の元へ向かったらしい。だが向こうとの戦闘になり、風が敵の攻撃に倒れ、海が崖から足を踏み外した。その時、目も眩むような強い光が辺りを覆ったらしい。
「漸く目を開けられるようになってみれば、ウミも、それにフウの姿も見当たらなかったんだ」
そしてそれに狼狽える暇もなく、もう一度発生した光に包まれてみれば、この場にいたらしい。
その話を聞いて、アスカが床に座り込んだのが見えた。消えてしまった二人の少女の安否は分からない。コルティナにいるのか――いや、そもそもこちらの世界に彼女達はいるのだろうか。傷を負ったのであればそちらも心配だが、確かめる術はなかった。
「ジェオ達の転移は、導師クレフがなさったんですか?」
イーグルの問いに、クレフはかぶりを振った。
「私は少し手を貸しただけだ。だが……」
クレフは少し言い淀んだ。しかし、それも僅かな間のことだった。
「あの部屋か」
導師クレフが気付くのと同時に、ランティスも、己の剣にある宝玉が光を放っているのに気付いた。視界が真っ白に掻き消えていく。
視界に色が戻ってくると、そこは日の光が入らない薄暗い廊下だった。廊下の先には、一つの扉が見える。
このような場所は、この広いセフィーロ城でもただ一箇所しかなかった。
この場に連れてこられたのは、クレフとランティスだけのようだ。クレフはランティスと目を合わせると、一つ頷いて指輪を扉へと向けた。
開かれた扉の先にあったのは、空っぽの台座だった。そして、水が張られた床に横たわる人影が見えた。
クレフと共に部屋の中へと駆け寄る。柱候補以外を拒むはずの魔法は今はなく、水に足を踏み入れても襲ってくる様子はなかった。
「ぷう! ぷう!」
急かすような声と共に、人影からモコナが躍り出た。真っ直ぐクレフの腕の中に飛び込んでいく。
「なぜ、お前がここにいるんだ」
クレフは困惑したように眉根を寄せたが、すぐに気を取り直した。真っ先にやらねばならないことが目の前に転がっている。
「導師、この者は……」
「ああ。コルティナの者のようだな。ヒカルが連れて帰ってきたのか」
水に浸かって転がっている人物に意識はないようだ。仮面の下の目も閉じているように見える。すぐに、クレフの魔法が仮面の人物を覆い、浮かび上がらせる。
ランティスは、コルティナの者より奥に倒れている少女のそばに膝をついた。長い三つ編みも、赤い服も見慣れたものだ。
俯せ気味になっていた彼女を抱き起こす。すると、光の首に下げられている物が露わになった。
見間違えようもない。今は彼自身が懐にしまっているはずの、形見の首飾だった。
壁も床も真っ白な無機質な室内で、ベッド脇の花瓶に飾られた花だけが色鮮やかだった。淡い色の花の隣で、カスミソウの小さな花が窓から入ってきた少し冷たい風に揺れている。
もう大分前に閉じてしまった本を、彼女はその花瓶のそばに置いた。目を通してみても、活字は一向に頭の中に入ってきてはくれなかったのだ。
そろそろ学校が終わる頃だろうかと壁かけ時計を眺めていると、控えめなノックが静かな室内に響いた。
「どうぞ」
恐る恐るといった様子でドアが開く。さらりと長い髪が流れ、その次に、海の顔がドアの向こうから覗いた。
「良かった。ここが風の病室じゃなかったらどうしようかと思ったわ」
幾分ほっとした様子で、海は後ろ手にドアを閉めながら風の元へとやってくると、一つ椅子を引き寄せて座った。
「起きてて大丈夫なの?」
「検査をしても、何も異常は見つかりませんでしたし……家族が、少し大げさにしてしまっただけですわ」
目が覚めた時、風はこの病室の天井と、そして心配そうにこちらを見つめる家族と対面した。事情が飲み込めないでいる彼女に、家族は、彼女が東京タワーで倒れたこと。海に付き添われて救急車でここまで運ばれてきたことを告げられた。
自分としてはその時点で帰れると思ったのだが、念のためとあれこれ検査を重ねられ、結局病院に一泊することになったのだ。
ふわりと吹き込んだ風が、海の髪を揺らした。街中を歩けば振り返る人もいるほどの整った顔立ちの友人の顔は、今は暗く沈んでいた。
東京に戻ってきてから海に会うのは、これが初めてだった。昨日は、家族が病院に到着したところで帰っていったと聞いている。
海の表情は、風がここでずっと考えてきたことを裏付けているに等しかった。
「こちらに戻ってきたのは、私達二人だけだったんですね」
「……ええ」
消え入りそうな声だった。
「……私、崖から落ちたの。もう駄目だと思ったわ。そしたら……そしたら、辺りが真っ白になって……」
気が付けば、東京タワーにいた。
「いくら探しても、あの子は東京タワーにはいなかった。だから、あの子の家に直接行ったのよ。もしかしたら、どこか別の場所からこっちに戻ってきたんじゃないかって……」
海は学生カバンの中を探ると、一枚の写真を風に手渡した。夏の制服を着ている海と風の二人が映っている。東京タワーの展望台で撮った写真だ。近くにいた人にお願いして、三人一緒に撮ってもらったのだ。再生したセフィーロを見た記念に、と。しかし、二人の間にいたはずの人物は映っていなかった。
「お兄さんに会ったわ。あの、ちょっと過保護で、あの子のことを目に入れても痛くないってくらい可愛がってた人。なのに、なのにあの人、妹なんて……いないって……」
「海さん」
膝の上で固く握りしめられた拳に、自分の手を重ねた。その上に、温かい雫が落ちてくる。
自分が暢気に気を失っている間、この友人は一人で背負いこんでいてくれたのだ。誰に頼ることもなく。
魔法騎士が異世界から戻ってこられなくなった時にどうなるのか、風は考えたことがないわけではなかった。神隠しのようになってしまうのかと思っていたが、どうやら存在自体がなかったことになるらしい。この、一人分がなかったことになっている写真のように。
残された家族に心配をかけないので良いのかもしれないが、そう思えるのは、恐らく帰れなくなったのが風本人の場合だけだろう。残される側に立ってしまえば、そのようにはとても考えられそうにない。
「私が弱いからよ。私が崖から落ちたりなんてしたから……だからあの子は、あれを手に取っちゃったんだわ」
直接その目で見ていなくても、何が起こったのか、海にも風にもよく分かっていた。
一度目も二度目も、東京に帰ってきたのは招喚の際の願いが叶えられた時だった。今度もきっとそうなのだろう。セフィーロの柱の復活という願いが叶えられたのだ。
「……海さんがご自分を弱いとおっしゃるなら、私はさらに弱いですわ。早々に気を失ってしまうなんて……いつも、光さんと海さんのお役に立てていないんですもの」
一番に戦線離脱してしまったのは、これが初めてではなかった。二人のように満足に剣を振るえない自分が情けなかった。
「何言ってるのよ! 私も光も、いつも貴方の魔法に助けられてばっかりじゃない! 光なんてしょっちゅう傷を作るんだから、風がいなかったら旅が終わる前にボロボロだったわ」
「でも……でも、守りの風も、戒めの風も破られてしまうことが多いですし」
「それでも、よ! 風がいてくれて良かったと思ったこと、何度あったか分からないわ。魔法に限らず、ね」
海の手に重ねた風の手を、海のもう片方の手が包んだ。まだ涙に濡れていても、強い光を湛えた瞳だった。
「私も……海さんや光さんが、仲間がいることがどれほど心強いかと、何度も考えましたわ」
今までも、そして今もこうして、ふとすると後ろを振り向いてしまいそうな自分を引っ張ってくれる。
魔法騎士がたった一人じゃなくて良かったと、心底思うのだ。
(私は、私自身をもっと信じなければ)
まだ自分にはできることがある。そう思うと、心の奥に風が通るようだった。一人で考え込んでいた時とは違う、澄んだ風だ。
「もうじき、家の者が来て退院の手続きをするんです。そしたら一緒にまいりましょう」
残っている涙を拭った海は、まだ赤い目元で頷いた。お互いに笑みを零す。まだ自分達は、諦めたりなんかしない。
「東京タワーへ。そして、もう一度セフィーロへ」
2015年05月15日UP