23 秘め事
「ジェオ、少しいいですか?」
その声音で、自分の上司が厄介なことを言い出すだろうことは容易に想像できた。
「どうした、こっちでも何かあったのか?」
「実は……本国に戻ろうと思うんです」
覚悟はしたものの全く予想していなかった内容に、ジェオは素っ頓狂な声が出そうになるのを何とか押しとどめた。今この時に、なぜそんな話が出るんだ。
突然姿を消した導師クレフとランティスのこともあってまだざわめきが残る大広間で、ジェオは周りに聞かれないようにと幾分声を潜めた。
「待て待て待て。なんで今そんな話になるんだ? お嬢ちゃん達は行方不明だし、ヒカルを助けに行くなら今度はオートザムの人手だって必要だろう」
「帰るのは僕だけです。ここでの指揮は、貴方に一任しますよ」
「一人で帰る? お前が?」
FTOに乗って真っ先に最前線に出ていくような人間が?
問題は何も解決していない。むしろ増えたと言っていいくらいだ。頭の切れるイーグルがここを離れるなんて、ジェオは考えられなかった。第一、セフィーロや他国の者達に何と言えばいいのか。ジェオでなくても皆疑問に思うだろう。むしろ、疑問に思うくらいで済んでもらえれば良いほうだ。
「理由を言え、理由を。いくらお前を信用してるっつっても、いきなりそれじゃ訳が分からん」
「それは――」
イーグルの言葉は、導師クレフを呼ぶ者達の声で掻き消された。先程いた場所に、クレフとランティスの姿が戻っている。そして、意外な人物の姿もあった。
「プレセア。すまないが、ヒカルを着替えさせてやってくれないか」
「はい」
「うちも手伝うたる」
ランティスの手から光を受け取ったプレセアに、カルディナが駆け寄って手を貸す。その彼女達の後ろからアスコットの魔獣がやってくると、光を抱きあげ、揃ってこの場を後にした。
イーグルがランティスに歩み寄るのを見て、ジェオもその後を追った。そして、もう一人の珍客を見上げた。
「ランティス」
「今は、こちらが先だ」
浮かび上がった魔法の球に閉じ込められているのは、仮面をつけた例の人物だった。
「導師クレフ、こいつはコルティナの人間です。ヒカルと同じ小屋の中にいた……」
大勢の人の声のせいか、その者がぴくりと動いた。その拍子に仮面が外れる。仮面の下に隠れていた顔を見て、ジェオは動揺した。髪は茶色がかった黒、瞳は黒と異なるものの、顔立ちはランティスに非常によく似ていたのだ。
「成程、それで仮面をつけていたというわけか。その魔法は、完全に解除するまでに時を要するのだな」
男は導師クレフを見て、それから大広間に集まった人々の顔をゆっくりと見回した。
「ファーレンに……チゼータ、オートザムまで揃っているのですか。これはこれは」
己の状況を理解してか、男は自嘲した。
「そなたは何者だ」
「自ら名乗るとでも? 導師クレフ」
クレフは眉根を寄せて、杖を掲げた。魔法の球の内部が淡く光る。男は身構えたが、その格好のまま、少し小さく縮んでいった。
厚かったであろう胸板が薄くなり、武骨だった手が剣を知らぬ者の手に変わる。顔からはランティスの特徴がなくなり、彼とは似ても似つかない男のそれになっていた。
「さすがはセフィーロ最高位の魔導師。初めて見た術をこうも簡単に破ってみせるとは」
自らの顔を晒した男の前に、チャンアンが進み出た。じっくりとその男を眺める。そして、確信した様子だった。
「コルティナのリオ王子じゃな。双子というだけあって、リーザ姫とよく似ておる。そなたが国内では名の知れた魔導師でもあることは聞き及んでおる」
男は否定しなかった。確かに、ジェオの目から見てもリーザ姫とよく似ていた。
「お前達の狙いはなんだ。なぜ、セフィーロの柱の復活を願った」
フェリオの問いに、男は答えなかった。フェリオをちらりと一瞥すると、すぐに視線を逸らし、タータとタトラを見据えた。
「チゼータは、セフィーロに加担しているのですか」
「無論だ。我らチゼータは、友好国であるセフィーロに協力を惜しみはしない」
「我がコルティナは、既にチゼータの移民を多数受け入れているのですがね」
ジェオの脳裏に、酒場で会ったあの二人の気の良い笑顔が浮かんだ。「それがどうした」と食ってかかろうとしたタータを、タトラが手で制する。
「チゼータがセフィーロから手を引いた暁には、何を保障してくださるのかしら?」
「姉様!?」
タトラはタータを見つめた。普段の穏やかな彼女とは全く違う、冷たささえ感じさせる為政者の目だった。タータが続きを飲み込んだのを見て、タトラは視線を戻す。
「コルティナ国内に滞在しているチゼータの民の安全は、保障させていただきましょう」
「分かりました。チゼータはセフィーロから撤退しましょう」
タータは俯いて、何も言わなかった。ただ、震えるほど握りしめられた拳から彼女の悔しさが滲み出していた。
それを見て我慢ならないといった様子で前に進み出たのは、ファーレンのアスカだった。
「わらわは絶対にここを退かぬぞ! おぬしがフウにしたこと、わらわは許さぬ!」
ぎりぎりと睨み付けるアスカを、リオ王子は黙って見つめ返していた。
豊かな国土を持つファーレンは、他国に移民はまずいないと言ってよかった。チゼータと同じ手は使えない。それもあってか、チャンアンも口を閉ざして成り行きを見守っている。
移民がいないという点ではオートザムも同じだ。他国より発達した科学に溢れた生活を捨てられる者はそうそういない。たとえ資源が枯渇しようとしていても。
チゼータを退けただけではセフィーロの守りは大して弱くならない。セフィーロの内部が混乱していようとも、三国対一国では話にならなかった。それとも、まだ奥の手があるというのだろうかとジェオは訝った。
「黙っておらず、何か言ってはどうじゃ!」
制止しようとするサンユンを無視して言い募るアスカを見つめ続けていた男が、漸くその口を開いた。
「今、僕が貴方を抱き締めても、貴方を愛している人達に叱られないでしょうか」
全く予期していなかった言葉に、ジェオは目を丸くする他なかった。そして、それはアスカも同じだったようだ。ぽかんと口を開け、けれど、その後に怒りで紅潮していた顔が更に赤く染まっていく。
「な、何を馬鹿げたことを言っておるのじゃ!」
勢いはそのままに、けれど、目に見えてアスカはうろたえていた。傍にいたサンユンの背中に隠れて、彼の衣をぎゅっと握りしめている。
「馬鹿げたこと、ですか?」
「馬鹿げたことじゃ! おぬしはわらわの敵ではないか! 敵にそのような台詞を吐く者は大馬鹿者じゃ!」
「オートザム国大統領のご子息を大馬鹿者とは。さすが、高潔と名高いファーレンの皇族ですね」
アスカが、驚いた顔でこちらに振り向いた。そしてそれは他の者も同じで、ジェオとて例外ではなかった。
隣に立つイーグルは、さして驚いた様子もなく拘束された男を見上げていた。
「僕の記憶を利用したことは想像がついていましたが……いいんですか? 今ので認めてしまったことになりますが」
「貴方こそ。一体どこまで知っていると思いますか? 目で見たこと、耳で聞いたことだけなのか。それとも、触れた時の彼女の温もりや、誰にも見せない貴方の心の内は――」
堪え切れなくなって間に入ろうとしたジェオより、クレフの方が動きが速かった。小さな稲妻が、逃げ場のない男を襲ったのだ。浮かんだまま再び気を失ったのが分かると、クレフはトンと杖をついて球体ごと男をその場から消してしまった。
クレフは「聞くに堪えん」と小さく呟いたが、彼がイーグルを思いやって行動したのは明らかだった。あのまま勢いに任せて喋らせていればもっと情報を掴めたのかもしれないが――彼の行動に、ジェオは少し生きた心地が戻ってくる思いだった。
「過去については対処もできよう。今はどうだ? 魔法をかけられているか自覚はあるか?」
クレフの問いに、イーグルはかぶりを振った。
「一番疑うべきは、僕自身の記憶がない期間でしょうね。しかし、今この場での情報が漏れている可能性は十分ありますから、明朝にはここを発とうと思います」
「なぁ、イーグル……イーグルの記憶が盗まれたってことは、軍のセキュリティって……」
もしかして丸裸? と恐る恐る尋ねるザズに、イーグルは平然と「そうなりますね」と返した。それを考えるだけでもジェオは頭が痛かった。司令官権限以下のパスの変更、不正な閲覧や施設への侵入がないかの調査。上層部への連絡やその他諸々。一般兵ならともかく、イーグルの触れる範囲となると膨大な量になるだろう。
「今後のことはジェオに一任します。出立するまでは情報を見聞きしないよう努力しますから、皆さんの方でも――」
「待つのじゃ」
イーグルを遮ったアスカの声は、少し震えてはいるもののはっきりとこの場に響いた。
「おぬしをここから遠ざけることこそ、あの者の狙いかもしれぬ。本当に記憶を盗られたのが誰なのか、はっきりせぬではないか」
アスカがイーグルを引き留めたのは、ジェオにとっては意外だった。むしろ、これ幸いと喜ぶのではと思っていたのだ。
今彼女の顔に浮かんでいるのは、焦りと不安だった。チゼータが去り、オートザムの将が去ったのでは、この国を守りぬけるか自信がないのだ。捕虜を捕えたとあっては、奪還するために相手が乗り込んでくることも十分考えられる。
気に入らないと態度で示していても、彼女は彼女なりにイーグルの実力を認めていたのだろう。
「独り言ではないのなら、それを聞いておった者がコルティナと手を組んだだけかもしれぬではないか!」
ジェオは、視界の隅でイーグルの横顔を捕えた。先程から、表情は全く崩れていない。ポーカーフェイスはいつものことだが、それにしたって、何も読めなさすぎた。
チャンアンはアスカを諫めはしなかった。タトラ姫も、フェリオ王子も、黙って成り行きを見守っている。導師クレフは困惑した目でこちらを見つめていた。
策を弄することに長けた彼らは、アスカが言わずともその可能性を考えていたのだろう。そして、それはイーグルもきっと同じはずだとジェオは思った。
「……聞いていたのはヒカルだけです。先程までコルティナにいたことを考えると彼女の記憶である可能性も否定しきれませんが、それ以前から相手は誰かの記憶を利用しているわけですから、僕の可能性の方が大きいでしょうね」
アスカは口を噤んだ。彼女でなくても、これ以上この仮定を否定できる要素は見つけられなかった。
この件に関する全権はジェオに移ること、そして情報をイーグルに渡さないこと。この二つをもう一度念押しすると、イーグルはクレフに向かって頭を下げた。迷惑をかける結果になってしまって申し訳ないと。クレフは、戸惑いの表情のまま首を振っていた。
大広間を出るまでの間、イーグルは一度もランティスの顔を見なかった。
2015年05月23日UP