Polaris

24 暗雲立ち込め

 忌むべき双子が生まれたと、誰一人として二人の誕生を歓迎しなかった。

 双子は柱になってはならない。災厄を呼び寄せるから――子守唄のように聞かされたそれが、彼女を剣の道へと導いた。そして双子の片割れは、魔法の道へと進んだのだ。

 自分達にできることは、今の柱と、次の柱になるであろう妹を守り抜くことだけだった。

 柱を守ることは国を守ることに繋がる。そうして、死の床についた時に「双子だけれど、何も起こらなかったじゃないか」と安堵させてみせるのだ。

 リーザは妹が好きだった。日の光のように明るく笑い、臆することなく、心の芯から自分達を慕ってくれる。

 草原を転げまわり、花のつぼみを見つけては微笑む彼女を、二人は支えようと誓った。大事な妹と、そしてこの国の幸せのために。

 ルーチェが部屋を抜け出したと聞いた時は、背筋の凍る思いだった。よりにもよって、なぜこの時に、と。

 妹の行動が、吉と出たのか凶と出たのかは分からない。

 敵がリオの元に辿り着く前に、その行動を発見できたのは良かったのだ。けれど結果は――。

 彼女は、自分の喉が破れんばかりに震えているのに気付いていなかった。

「リオ! リオ!!」

 無残な姿となった小屋の床を何度叩こうと、そこにいたはずの彼の痕跡は少しも出てこなかった。

 行ってしまったのだ、あの国へ。敵陣へ、たった一人で。

 生まれた時からずっと一緒で、お互いが唯一の理解者で、そして仲間だった。どのような目を向けられようとも、どんなに辛い道だろうと、一人でないからここまでやってこれたのだ。

 引き離されて初めて味わう、体の一部をもぎ取られたような耐え難い感覚だった。

「姉上……」

 他の者が遠巻きに眺める中、一人近づいてきた人物を見上げた。

 狼狽えた目をしたルーチェが、暗くなる空を背景にこちらを見つめている。

 それを見て、漸く彼女は自分の世界から戻ってきた。

 今、自分のとるべき行動は何か。しっかりしろ。自分が率いる隊は一体何のために存在するのだ。

 この子を守らなくては。

 立ち上がり、まだ悲鳴を上げ続けている心を深呼吸で押さえつける。

 意地で笑みを浮かべてみせると、小さなルーチェの手を取った。

「心配しないで。リオは必ず連れ戻してみせるわ。大丈夫だから、ほら、貴方のせいじゃないのよ。気にしないで」

 たまたま見てしまった光景は、ルーチェには衝撃的すぎた。心優しいこの子は、きっと兄を助けられなかったことに責任を感じているのだろう。

「そんな顔しないで。すぐに、二人揃ってあの部屋に会いに行くわ。その時はいつもの笑顔でいてちょうだい」

 ルーチェは少しだけ口角を上げた。かなり無理をしてだということは分かったけれど、彼女は兵の一人を護衛につけると、ルーチェを城の中へと戻した。

 どのような手を使うべきか。もうあの国には柱がいる。今までのように、上手く入り込めはしないだろう。

 配下の者達に指示を出し、頭の中で策を練っていた彼女は、空の色まで見ている余裕はなかった。

 もう一人の私が、膝を抱えて蹲っている。ここからでは、起きているのかどうかすら判然としなかった。

 真っ暗でどこまでも闇が続いていた時とは違い、今の夢の中は明るかった。でも見えない壁があちこちにあって、迷路のようだ。思うようには進めない。

 ここには、きっと誰も入ってこられないのだ。ノヴァも、ルーチェも、あの獣のような目も。それはぬるま湯に浸かるような感覚だった。力が抜ける。

 額にひんやりと気持ち良い感触がして、光は瞼を上げた。ぼんやりとした現実に、少しずつ焦点が合ってくる。見慣れた褐色の肌に、光は無意識に笑みを零した。

「カルディナ」

 体を起こそうとすると「無理せんときや」と言いながらも彼女は手伝ってくれた。すこし体に怠さが残っている。

 部屋の中は、ベッドと鏡台があるだけで殺風景だった。だが、設えからセフィーロのものであることは分かる。

「ずっと眠っとってんで。お腹空いてるんとちゃう?」

 確かに、夜中に部屋を出てから何も口にしていなかった。コルティナでは何も貰っていない。緊張感のなくなった今、空腹感が切ないほど彼女に訴えかけていた。

 カルディナは鏡台の上に置かれていた籠を手にすると、果物を一つ取り出した。

「カルディナ?」

 彼女は、手の中にある果物を差し出そうとせず、じっと光を見つめていた。

「……柱になってもうたんやな」

 それは、今までに聞いたことがないほどの暗い声だった。いつもの明るい彼女からは考えられないほどだったので、思わず何度も瞬きした。

「大丈夫だよ、カルディナ。別に、今すぐ辛いとかはないんだ」

 実際、特別な何かを感じるわけではなかった。お腹が減っていることを除けば気分は良いし、セフィーロのことを願うのは苦ではなかった。こうして会話をしていても、ふとするとそちらに意識が向いてしまいそうなほど、自然なことだった。

 カルディナは優しく頭を撫でると、果物を手渡した。

「ヒカルが起きたら知らせるように導師クレフに言われてんねん。ちょっと行ってくるわ」

 部屋を出ていくのを見送ってから、光は鏡台へと目を遣った。白い寝間着姿に、首からペンダントを下げている。

 どうして以前と同じ剣にならなかったのだろう。何か意味があるのかどうか、いくら考えても答えは出そうになかった。

 貰った果物を食べ終えると、光は綺麗に畳まれていた制服に手を伸ばした。これからどうすべきかという問題はあったが、とりあえずこれを着なければ始まらない。

 袖を通して髪を結い直し、柱の証を襟元から中へと忍ばせた。それが一番しっくりする気がしたのだ。

 そうしていると、扉をノックする音がした。「私だ」という声に返事をすると、ゆっくり扉が開く。

 そこに立っていたのはクレフ一人だった。手に、湯気の立つカップを持っている。

「気分はどうだ?」

 クレフは部屋に入ってくると光を座らせ、持ってきたカップを握らせた。

「薬湯だ。いきなり食べ過ぎると体を壊す」

 薬という割には苦味はあまりなく、ハーブティーのような清々しい香りと味がする。言われるままに全て飲み干す。果物だけでは満たされなかった胃が少し落ち着いたようだった。

「ありがとう、クレフ。でも、皆が心配するほど何もないよ。前と少しも変わらない」

「眠りこけていたやつが言う言葉か、それが。国を越えて大人数を転送させるなんて無茶をするからだ」

 そんなに眠っていたのだろうか。光には全く自覚がなかった。あまり長く寝た気はしない。

「慌ててやっちゃったけど、クレフが助けてくれなかったら上手くいかなかったよね、きっと……。ありがとう、クレフは大丈夫だったか?」

 呆れたように嘆息し、クレフは椅子に腰掛けた。

 あの時は無我夢中で、成功するかどうかなどと考える余裕はなかった。ただ、クレフが手を貸してくれたのは感じ取れたのだ。

「私は少し手伝っただけだ、大したことはしていない。だが、覚えてもいない魔法を無理に使うと体への負担は大きいぞ」

 柱になれば、セフィーロの創造をはじめとしたあらゆることが可能になる。だが、習得していない魔法であれ何であれ、足りない実力を無理に意志の力で補おうとすれば、心の消耗は避けられないのだ。柱であるが故に死には至らないが、心を使い過ぎれば気を失ってしまうのは柱になっても変わらない。

 だから、今回のような真似はするなとクレフは念を押した。

 光は服の上から柱の証に触れた。こうしていると、特別なことなど何もないという気がしてくる。

 ふと顔を上げると、クレフは眉を八の字にしてこちらを見ていた。

「……お前も、そしてウミとフウも……巻き込んでしまって本当にすまない。どうせなら、胸を張ってお前達をこの国に迎えたかった」

 光は首を振った。

「巻き込まれたなんて思ってないよ。私、捕まっている時に言われたんだ。今度は過ちを犯すなって……あれは、柱をなくしたことを言っていたんだと思う」

「お前がいたのはコルティナという国だ。私もまだ詳しいことは分からんが……ヒカル、男を一人連れて戻ってきただろう」

 クレフが口にするまで、光はその存在をすっかり忘れていた。

「そうだ! 柱の証が、セフィーロに引っ張ろうとしてると思って……それで、モコナが一緒に連れて行こうって。ルーチェのお兄さんらしいんだけど」

 クレフは、男は捕えて閉じ込めてあるのだと言った。

「ルーチェ姫の兄ということは、やはりコルティナの王子で間違いないのだな」

「……ルーチェはお姫様なのか?」

 突然部屋に飛び込んできた女の子は、言われてみればお姫様らしい風貌だったような気もする。声で、夢の中で会った子だというのはすぐに分かった。

「ルーチェ姫は、コルティナの柱なのだそうだ。かの国の柱がセフィーロの柱と同じ意味かどうかは何とも言えんが、今回のことと何かしら関係があるだろう」

 捕えられた仮面の男は、口を閉ざして何も語らないらしい。

 今のところはコルティナ側からの接触もないので、クレフ達はセフィーロの過去に手掛かりがあるのではと手分けして書物を漁っているのだそうだ。もっとも、避難してきたセフィーロの民への対応など、やるべきことが山積みで中々進んでいないそうだが。

 それから――と、クレフは言いよどんだ。

「ヒカル、ランティスのことだが……」

「ランティスがどうかしたのか?」

 クレフは、少し驚いたように光を見つめた。おかしなことは言っていないのに、彼にとっては意外な反応だったようだ。

「……ヒカル、ランティスをどう思っている?」

 どうと言われても。

 突然訊かれても、上手く言い表すことができない。それに、クレフが何を気にしているのかも分からなかった。

「うーん……優しい人だと思うけど」

 捻り出した答えは、きっとクレフの満足するものではなかったのだと思う。けれど、クレフは「分かった」とだけ頷いて、そのことに関してはそれ以上何も言わなかった。

 ルーチェの目の前には、軽い木製の扉があった。

 兄が姿を消したことで、城内はまだ騒然としている。救出部隊を編制し、荷をどうするかと右往左往する人々の音と声が、この場所にも少しだけ届いていた。

 重い足取りで城の中へと戻ってきた彼女は、けれど、自分の部屋には向かわなかった。たった一人であの重い扉を開け、あのだだっ広い空間に入るのは気が進まなかった。幸い、騒ぎのせいで、リーザがつけた供を帰してしまえば彼女の行動を制止する者はいなかった。

 扉を叩く。

 名前を告げずに扉を開けたルーチェは、返事がなかったことに気付かなかった。

 部屋の中は、まだ昼間にも関わらず薄暗い。

 ふらふらと頼りない調子で寝台の脇に立ち、そして、漸くルーチェは気が付いた。

 驚いて声を発しようとした口が、ためらいがちにゆっくりと閉じる。ルーチェは側にあった椅子に腰を下ろして、恐る恐る大伯母の手に触れた。

(命が消えた人の手は、こんなに冷たいのね)

 ルーチェはそのまま、じっとそこに居座った。雲に隠れた日が沈んでしまい、部屋の中が闇に包まれるまで。

 けれど、いつまで経っても他に部屋を訪れる者はいなかった。

 彼女の目の前にいるのは、数十年、数百年先の自分の姿に違いなかった。

 2015年05月30日UP