Polaris

4 彼は誰時

 朝の澄んだ空気が清々しく、海は大きく深呼吸した。部活が終わってからは勉強漬けだったので、こうしてのんびりするのは罪悪感すらある。

 この国に時計らしきものはないが(あったとしても読めはしないが)、日の昇り方からしてもまだ早い時刻だろう。空にはまだ薄っすらと月の姿がある。

(あの月って、地球の月みたいに衛星なのかしら? そもそもこの国って自転してるの?)

 他国は明らかに星の形をしていたが、しかし、セフィーロの外へ出て空気に困った覚えもない。深く考えるだけ無駄かと、海は一旦その疑問は忘れることにした。

 制服に袖を通して部屋を出ると、さすがにまだ人の気配はなかった。大広間を覗いてみて、誰もいなければまた戻ってこようと歩き出す。

(結局、昨日はまともに喋れてないわ…)

 クレフは何だか忙しそうで、とっかえひっかえ誰かと話し込んでいた。再会の挨拶はしたけれど、それは光と風を含めた三人セットでだ。個人的に話したわけではない。夜に大広間を訪ねてみたものの、中からは複数人の声が聞こえて、結局扉を開けることはなかった。

 海は、あの二人にもクレフのことは話していなかった。東京へ帰らなければならなくなった時、クレフに告げるのを止めた時、そっと自分の中にだけ仕舞っておくと決めたのだ。もう会えないと思っていたから。

「海さん」

 ぽん、と肩を叩かれて、海は跳び上がった。

「な、な、何よ風っ。口から心臓が飛び出るかと思ったわ」

 海の慌てぶりに、風はくすくすと笑った。

「でも、何度かお呼びしたんですよ。どちらに行かれるのかと思って」

「わ、私は大広間に行こうと…」

 風がすっと手で指し示した先には、大広間の扉。海が通り過ぎてきたところである。風に会わなければこのままどんどん先へ行ってしまうところだったと知り、海は頬をかいた。

「以前にも同じようなことがありましたわね。何か心配事ですか?」

「別にそういうわけじゃないわ…。それより、風ももう起きてたのね。まだ朝早いわよ?」

 その言葉に、にこやかだった風の顔がさっと陰った。不安に曇る表情に、海も彼女が何を考えていたのか分かる。

「招喚の時のことね」

「はい。クレフさんにお話しした方が良いと思いまして…昨日からの皆さんの様子も気になりますし」

 彼女達から隠すようにして、セフィーロの人々は何かをしている。一度目も二度目も、招喚された時はセフィーロに異変があった時だ。今回もきっと何かあったのだろう。

 彼らは三人を巻き込むまいと隠しているのかもしれないが、黙ってそれに従うのは彼女達の性分ではなかった。

「そうね、洗いざらい吐いてもらいましょ。光には会った?」

「昨夜お会いしましたが、今朝はまだですわ。ランティスさんに会いに行かれたようなので、夜遅かったのかもしれません」

「じゃあ、取りあえず二人だけで行きましょうか」

 少し道を戻ると、二人は大広間の扉に手をかけた。

「何だ、一体?」

 オートザムのメカニック、ザズ・トルクの本日の第一声だった。

 眠っている間にセフィーロに到着した貨物船の昇降口に立った彼は、朝早くて眠かったということも忘れて、セフィーロの村を見つめた。

 船を降りると真っ先に目に入るその村は、人の流れはそれなりにあっても穏やかなところだ。流石に他国の人にも慣れていて、会えば気の良い挨拶もしてくれる。それが今は、朝っぱらにも関わらず妙に騒がしくて、しかし何となくだらしがないように見えた。

 そもそも、この時間に人が外にいることが珍しい。外にいると言っても、フラフラしてるか座り込んでいるだけのようだが。

(宴会でもしてたのか?)

 酒飲みのザズは自身の見慣れた光景の中で、それが一番近いと思った。宴会で大いに盛り上がった後の、少し気だるくてでもまだテンションは高い時のような、そんな雰囲気を感じる。

(まさかとは思うけど、皆してランティスみたいに変な酒癖じゃないだろうな~)

 村に近付いた途端、一斉に襲いかかられたら一巻の終わりだ。背の低いザズは一溜まりもない―――そんなことを考えていたら不意打ちで背後から襲われ、昇降口から半ば落ちるようにして降りた。

「あ、危ないじゃないか! ランティス!」

 襲ってきた相手に抗議すると、そこでやっとランティスはザズを認識したようだった。

「すまない、頭を気にしていて見えなかった」

 昇降口の高さはそれほどなく、ランティスやジェオはいつも頭を打たないように気を付けながら乗り降りしている。嫌味か、俺への嫌味か! とぷりぷりするザズには取り合わず、ランティスはセフィーロの地に降り立った。

「ジェオが、出発までもう少しだけ待ってくれと言っている」

「りょーかい。てかさ、そんなに急ぎなのか? セフィーロの人達がこんなにせかせかしてるのって珍しいよな」

 停戦後、四国は定期的に集まっていたが、大抵は昼の前後から会議が行われている。こんな早朝から急がなければならなかったことなどない。しかも今回に関しては、オートザムのエネルギー問題に関する二国間の定例会議のために向かっている途中で緊急の連絡が入ったのだ。他の二国にも連絡済みで、今こちらに向かっている、四国で話がしたいと。

「どうした?」

 それはザズに向けての言葉ではなかった。ランティスの視線の先を追うと、近くの木々の間からひょこひょこと子どもの顔が覗いている。ランティスの声に一瞬躊躇ったようだが、子ども達はすぐに二人に駆け寄ってきた。

「ミラがいないの。昨日お城に行ったみたいなんだけど、まだ帰ってきてないみたい…」

「それに皆おかしくなっちゃったんだ。飯もくれないし」

 子どもが指差した先には、相変わらず村のあちこちに点在している村人の姿。こちらの様子を気にする者など一人もいない。そもそも、起きているのか寝ているのか怪しいところだ。

 ランティスとザズの様子を窺っていたのは、他の大人と同様におかしくなったのではと疑っていたのだろう。話が通じると見て口々に喋り始めた子ども達と村の様子を交互に見て、ランティスはすっと目を細めた。

「ミラはなぜ城へ行った?」

「魔法騎士のお姉ちゃん達が来たって大人の人が喋ってて…会いに行っちゃったみたい」

「ヒカル達が!? 本当に来たのか!?」

 嬉しそうな声を上げたザズだが、その気分は急速に萎んでいった。こちらを振り向いたランティスの顔に浮かぶ表情が、妙に暗かったから。

「すまないが、何か食べる物を分けてやってくれないか」

「あ、ああ。じゃあ、皆船の中までついてきて」

 ザズを先頭に、ぞろぞろと子ども達が船の中へと入っていく。それを見送ってから、ランティスはそびえ立つセフィーロ城を見上げた。朝の薄い色の空を背景に、何事もないかのように佇んでいる。

 ―――これからきっと、セフィーロは平和で美しい国になるよね。エメロード姫が、いた頃に負けないくらい。

(次に会う時は、本当に美しくなったこの国を見せたかった)

 今はこの国を訪れてほしくなかった。しかし、会いたいと逸る気持ちも確かにある。相反する感情が静かに渦を巻いている。落ち着けと自らに言い聞かせて、ランティスは村の様子を見に行った。

 2012年10月29日UP