Polaris

5 雲隠れ

 辺りは闇で、何一つ見えない。

 立ち上がる気力も湧かない程に体が重く、座り込んだ両足は沼に取られたように動かなかった。

 流れるままになっている涙の通り道を、拭うでもなく指先でなぞられて、光は見えない先へと目をやった。

「…考えたことがなかったわけじゃないんだ。自分のせいで死んでしまったんだって」

 あんなに近くに居たんだから、頑張れば助けられたんじゃないか。ノヴァとの戦いで機体がボロボロになっていなければ。そもそも自分がノヴァなんて存在を作り出さなければ―――どれも全て、自分の心が弱いからだ。柱になれるほどの心の強さというけれど、肝心な時には役に立たない自分の心が恨めしい。

「ヒカル、大好きだよ」

 両頬が包み込まれる。手と頬の間に、際限なく涙が滑り落ちていく。

「どうして? 私は、ノヴァのことも、好きになろうと決めたのに…」

 それなのに、なぜノヴァはまだ存在していて、以前と同じように自分を好きだというのか?

「私じゃない部分の自分を、ヒカルはまだ好きになれないでいるもの。そんなの、結局同じだよ」

 聞き分けのない子どもを優しくあやすようなその言い方に、光の眉が寄せられる。それが相手には見えているのか、微かな忍び笑いが耳に届いた。

(どうして私は、こうなんだろう)

 海や風は、ノヴァのような存在を作り出さなかった。同じように苦しくて辛い目に遭ったのに。どうして、いつまで経っても成長できないのだろう。

 触れているのが辛くて外してしまった輝鏡のペンダント。それが胸元にないからか、そこからすかすかと風が通るようだった。

 まるで水を打ったようなその空気に、海と風は口を噤んだ。

 扉を押し開いた先には、大きな円卓とそれを囲む人々。目を見張る二人を、大広間にいた全員が見つめ返していた。

「二人とも、えらい早起きやなぁ。もうすぐ朝食やし、そろそろ起こしに行こかと思っとってんで」

 気まずい雰囲気を吹き飛ばすように、カルディナが明るい調子で二人に駆け寄った。しかし、さすがにここで引くわけにはいかない。風は正面に座るクレフを見据えて言った。

「何のお話をなさっていたんですか?」

「…私達の、今回の招喚と関係あることなのね?」

 単刀直入な海の言葉に、クレフはそっと息を吐いた。辛い話を彼女達にしなければならないのは、これで何度目だろう。本音を言うと、彼女達には何も告げたくなかった。何も知らないまま、何も起こらないままに穏やかな時が過ぎてくれれば。しかし、それは土台無理な話だ。

「……皆が揃ってから話そう。話をするのなら、ヒカルもいたほうがいい」

「分かったわ。じゃあ、光を起こしてくる」

 海が踵を返して広間を後にし、風もぺこりとお辞儀をしてその後を追った。

「導師クレフ、私も一緒に様子を―――」

 見に行きます、というプレセアの言葉は、海の絹を裂くような悲鳴に掻き消されてしまった。何事かと扉を振り返ると、海は腰を抜かしたように扉のところでへたり込んでいる。

「お、お、お化け~~~!?」

 慌てて海に駆け寄った風も、海の指差した方向を見ながら目を大きく見開いていた。

「セフィーロでは、朝から幽霊が出るんですね…」

 何を悠長な、と海は半分パニックになりながらも頭の片隅でそんなところを突っ込んだ。しかしそのお化けが動いたものだから、再び悲鳴をあげて風に抱きつく。

「異世界にも幽霊がいるんですね。知りませんでした」

 にっこり微笑んで、こちらも悠長なことを言う。こうなってくるとさすがにおかしいと気付き、海は目を瞬いた。

「その辺にしといてやれよ、イーグル」

 苦笑しながら近付いたフェリオは、座り込んだままの海の手を取って立たせてやった。

「幽霊…というわけではないのですね」

「心配しなくても、ちゃんと生きた人間だ。その辺も纏めて説明してやるから、早くヒカルを連れてきてくれ。さっさと終わらせて飯が食いたい」

 朝っぱらからの驚きの連続に、頭痛がして海はこめかみを押さえた。労わるように肩を叩いてくれる風は案外平気な顔をしているし、よく見れば、イーグルの後ろにはオートザム風の格好をした知らない男の人と男の子、その上ランティスの姿まである。あまり親しくない人の前でまで失態を晒したとあって、余計に始末が悪い。

「では、光さんのところへ参りましょうか」

 風は大広間の扉を閉め、部屋へと三人を促す。そう、三人だ。

「え、貴方達も来るの?」

 後ろにいたオートザムの二人は大広間に入ったのに、なぜかイーグルとランティスは廊下に残っている。風と二人になって、ほっと一息…という暇もない。

「ランティスとお嬢さんお二人だと、会話に困ると思いまして」

 ランティスも残るという選択肢はないのか、と言いたいところだったが、疲れた海は気にするのをやめて歩き出した。

「イーグルさんは、どうして今日セフィーロに?」

 相変わらず笑みを崩さぬままで風は尋ねる。こうして並んで歩いているのを見ると、この二人は案外似ているのかもしれないと海は思った。以前は戦闘以外で碌に関わることがなかったので、イーグルがどのような人間なのかはまだ詳しく知らないが。

「導師クレフから連絡がありまして。ファーレンとチゼータの皆さんも、今こちらに向かっているところですよ」

 ファーレンとチゼータという言葉に、風は嬉しそうに手を打った。

「セフィーロ以外の皆さんにもお会いできるなんて、楽しみですわ」

「そうね。皆元気かしら」

 戦いで助けてもらったお礼すら言えずに別れてしまったものだから、会ったら話したいことはたくさんある。仲の良いあの姉妹を脳裏に浮かべて、海は笑いを零した。

「ランティスさんは、昨日は光さんにお会いになれましたか?」

 ずっと黙っていて、まさか話しかけられるとも思っていなかったのだろう。急なことで、ランティスは少しだけ目を丸くした。

「いや…」

「ランティスは、今朝僕達と一緒にセフィーロに着いたんです。丁度オートザムに用があったもので」

 ね、と同意を求められても、ランティスは特に反応を返さない。しかし、イーグルはそれを別段気にした風はなかった。

「まぁ……私、光さんに悪いことをしてしまいましたわ…」

 任務というのが、まさか国外の話だと思わなかったのだ。あちこち探し回る羽目になったのでは、と心配そうに語る風は、申し訳なさそうに肩を落とした。

「仕方ないわ。セフィーロにも泊まりの出張があるなんて思わないもの」

 昨夜会わなかったと聞いて、ランティスがついてきたことに海は得心が行った。普通は早く会いたいだろう。あれから一年以上経ってしまったのだし。

 黙ってついてくるランティスを横目でちらりと見る。その顔からは何の表情も読み取れない。光に会えることを殊更喜んでいるようには見えないが、なら彼が笑顔で―――というのも、それはそれで想像がつかない。

 目的の部屋の前で立ち止まると、風がやんわりと男二人を手で遮った。

「それでは、私達二人で起こして参りますので」

 有無を言わさず、ほんの少しだけ扉を開き、海と風はさっと部屋の中へと入ってしまった。

「今は、会えることを素直に喜んでもいいんじゃないですか?」

 相変わらず、親友からの返事はない。しかし、海には分からなくても、イーグルにはランティスの表情が曇っていることはよく分かった。素直に喜べる状況でないことも、当然分かってはいるのだが。

「用事が済んだら、皆でお茶にしましょう。ヒカルも、甘い物が大好きだそうですよ」

「ああ……」

 すぐに扉が開いたと思うと、そこに立っていたのは困惑した顔の風だけだった。部屋の奥のベッド脇で、海が、こちらも困惑している様子が見える。

「光さんがいらっしゃらなくて…代わりの方が…」

 風に通されて二人が部屋に入ると、ベッドの上に座ったままで海に抱きついている少女の姿があった。僅かにしゃくりあげる声が聞こえてくる。

「ミラ」

 ランティスに呼ばれて、ミラは驚いたように顔をあげた。目の周りが赤く腫れぼったい。

「ヒカルと一緒にいたのか」

 その問いに、ミラは答える様子がない。海により強く抱きつくだけだ。

「ヒカルはどこにいる」

「……お兄ちゃんには言わない」

 続けて口を開こうとしたランティスを、海が手で制止した。制服に顔を押し当てているので聞こえないが、体の揺れから、嗚咽が酷くなるのが分かる。小さな背中をゆっくり撫でてやりながら、優しく海は言った。

「私達、これから朝食なの。一緒に食べましょう。ね?」

 ミラを落ち着かせながら、風も加わって三人で部屋を後にする。改めて部屋を見回しても光の姿はどこにもなく、ここに居た気配も感じ取れなかった。

「ランティス」

 彼が振り返ると、鏡台の傍に立ったイーグルが手招きしていた。

 この部屋に唯一と言えるその家具の上に、見慣れたペンダントが置かれている。朝の光を反射するその輝鏡が、無言で告げていた。

 彼女は自分の守りの外へ出てしまったと。

 2012年11月03日UP