6 まやかし
無事に国境を越えたところで、船内のどことも知れず溜息が洩れた。
国を出てしまいさえすれば、魔法の力は及ばない。これで当面は問題がない。この国の弱いところは、国の外に対して力が弱いところだ。侵略の危機にあっても魔法騎士に頼らざるを得なかったのを見ても、国外へ追ってくることすら満足にできないだろう。
セフィーロで唯一の巨大な建造物である城から、精獣や魔獣が飛び出すのが遠目に窺える。彼らは必死に捜すだろうが、どうやっても見つけられまい。捜しものはここにあるのだから。
「向こうも気付いたみたいね」
船の小さな窓を覗き込んでそう言うものの、女に慌てた様子はなかった。
「手は打ってあるのよね?」
「ああ、後は皆が上手くやってくれる」
一番の問題である、最後の柱さえ手に入れてしまえば、あとはどうとでもなる。
窓の外から部屋の中へと視線を移すと、床に転がされた少女の寝顔が目に映った。相変わらず泣いたままのその姿に、本当にこの少女で合っているのかと疑ってしまう。しかし、調べたとおりの姿形だ。間違いはない。
「これが一番強い心の持ち主なんて、とてもそうは見えないわ」
一つに束ねた長い髪をさっと靡かせて少女に近寄ると、その顔を覘く。品定めをするようなその横顔には、厳しさはあっても同情の色は欠片もなかった。
「別にどうでも構わないさ。目的さえ遂げられれば」
もう一度窓の外のセフィーロへと目をやる。美しい青と緑の国から、船はぐんぐん遠ざかっていった。
芝生が敷き詰められた懐かしいその広場では、以前三人で訪れた時と同じように子ども達が駆け回って遊んでいた。
城の人達が、来る度に新しい子どもをそこに置いては戻っていく。オートザムの人達から村の状況を聞き、彼らは手分けして子ども達の保護に当たっていた。
食べ物と遊び場を手に入れて、子ども達はほっとしたように遊んでいる。その中で、内心の焦りは兎も角として、海と風は子どもに交じって佇んでいた。
本当は光を捜しに城を飛び出したいところだが、今は魔神もなく、誰かの助けがなければ満足に外へ出られない。そして、今の状況で彼女達二人を出してくれる者はいなかった。
光がいなくなったことで、説明する暇もなしにクレフ達は動き出した。驚きはしたものの慌てることなく行動を起こした彼らを見て、こうなることをセフィーロの人々は予想していたのではないかと風は言ったが、それには海も同意見だった。まだ何も聞けてはいないが、光は自分から姿を消したのではないのだろう。誰か、彼女を連れ出すなりした人物が他にいるのだ。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
なるべく焦りを隠して、ミラに話しかける。あの後大広間に連れて行ったものの話ができる状態ではなく、クレフはそちらを後回しにして光の捜索を開始した。
直接光を捜すことはできないが、それでも出来ることはある。この子が何を見たかは重要な手掛かりになるはずだ。
「昨日の夜何があったのか、教えてくれない? 私達、光に今すぐ会いたいの」
ミラは一度口を開きかけてから、困ったように辺りを見回す。ちょうど、剣師が一人、子どもを置いて出ていったところだった。
「内緒の話でしたら、私と海さんの二人だけにでも、教えていただけないでしょうか? 他の方には秘密にします」
「…別に、内緒じゃないんだけど…お兄ちゃんの前では言えなくて…」
先程まで読んでいた絵本を優しく取り上げ、風はミラの手を取った。小さな手を両手で包みこみ、そっと海との間に座らせる。自分よりも大人の二人に囲まれて安心したのか、ミラの表情は少し和らいだ。
「昨日は、こっそりお城に来たの。お姉ちゃん達が来たって聞いたから」
夜の廊下で出会い、そのまま、普段ランティスがよく居る場所へと向かったらしい。出会った場所を考えると、風と別れてからさほど時間は経っていないようだ。光が途中で足を止めることはあったものの、特に変わったこともなくその場所には辿り着けたらしい。
「そこで、お兄ちゃんに会ったんだけど…」
「会った?」
「その、『お兄ちゃん』というのは…ランティスさんのことですよね?」
躊躇いなく頷く少女を見て、海と風は目を合わせた。先程のイーグルとの会話を思い出す。確かに、「今朝セフィーロに着いた」と言っていた。オートザムからこの国まで、恐らく彼らはずっと行動を共にしていただろう。ならば、昨日この子が会ったというランティスは一体誰なのか。
「風―――」
立ち上がりかける海に、風は首を振った。ここで焦らずに、少しでも有力な情報を手に入れなければならない。
「それで、光さんとランティスさんは何かお話をされていましたか?」
「最初、お姉ちゃんと二人で外に出たの。そしたらお兄ちゃんお墓見てて。イーグルって言ってた」
仮に、まだイーグルの生存を知らなければ、海ならば―――そんな状況では、その墓がイーグルのものだと思っただろう。その場に居合わせたわけではないし、ミラの話だけでは細かなニュアンスは分からない。けれど、共に故人を偲ぶ雰囲気でなかったのはミラの様子を見れば想像がつく。第一、彼は故人ではないのだし。
「それで、お姉ちゃんに、部屋の中で待っててって言われたの。だからその後は分からない…でも、あんまりお喋りしてないみたいだった」
その後、ランティスはどこかへ去り、光は一人で城の中に戻ってきた。「もう遅い時間だから、一緒に寝よう」という会話だけをして、光の部屋で眠ったらしい。
光が沈んでいる様子はミラにもよく分かったようで、それ以上の会話をするのは憚られたのだろう。後は、夢現で光がこっそり部屋を出ていく後ろ姿を見た。それが光を見た最後らしい。
「ありがとう、話してくれて。今度は、光と三人でまた一緒に遊びましょう」
「光さんとランティスさんも、きっとすぐに仲直りできますわ」
絵本をミラに返すと、二人は立ち上がった。不安そうな表情の少女の頭を撫でると、ゆっくり広場を後にする。
広場の出る時、まだ二人を見つめているミラに手を振り、そっと扉を閉めた。
子どもの姿がなくなった途端に海が走り出し、風もそれに続く。
「偽物だと思う?」
「ええ。ミラさんが光さんと一緒だったことを考えると、ランティスさんの行動はおかしいですわ」
もし昨夜会ったというランティスが本物であるならば、ミラをそのまま城に残しておくことはしないだろう。光の発見を遅らせたいのであれば、ミラは村へ帰してしまえばいい。ミラに目撃されても構わないと相手が踏んだのは、少女とランティスが顔見知りだと知らなかったのか、それとも、少女を村へ帰すという選択肢が見つからなかったのか。
「イーグルさんのあの時のことは、ノヴァさんのことがありますから……きっと、そういうことなんでしょう」
あの子を責めたのだ、ランティスの口から。ランティスとイーグルが親しかったことは、海と風も東京に戻ってから光に聞いていた。
「あのペンダントを外すなんで、おかしいと思ったのよ。あんなに大事にしてたのに」
光と風の手元に残ったセフィーロの物は、それぞれが肌身離さず持っていた。自分と違い、最後の最後で想いを伝えることができたことを、海は自分のことのように喜んでいたのに。相手が誰かは知らないが、卑劣なことをしたものだと、海は歯噛みした。
「光さんは、なぜ狙われたのだと思います?」
風の言葉に、海ははたと足を止めた。体を動かすことで考えないようにしていた部分を、目の前の親友は突いてくる。眼鏡の向こうに見える翡翠色の瞳が、涙に揺れながらも決然としたその意志を覗かせている。
言いたくないことを、それでも敢えて言おうというのだ。
「魔法騎士としてなのか。それとも、最後の柱としてなのか……」
海は考えたくなかった。招喚されたあの時の違和感。来るなり部屋に閉じ込められたこと。クレフが口を噤む理由。
「…光には、無理よ。エメロード姫の時のことを繰り返してしまうわ」
ランティスに嫌われたと思い込んでいても、それだけで光は想いを断ち切れないだろう。エメロード姫がザガートを想う心をどうにもできなかったのと同じように。
彼女は柱にはなれない。なってしまえば、この国はまた崩壊する。
唇を噛み締める風の口元が、僅かに震えている。思わず、海は風を抱き締めた。彼女を慰めたかったからなのか、それとも、彼女自身が何かに縋りたかったのか。
「大丈夫よ、三人一緒に頑張ろうって約束したもの。私は、あの子を信じてるわ」
「私も―――光さんと海さんを、信じてます」
そっと抱擁を解くと、二人は再び走り出した。
2012年11月04日UP