Polaris

7 祈り

 大広間の扉を乱暴に開ける音に、クレフはそっと目を開いた。セフィーロの隅々まで少女の気を捜していたその意識を、自分のいる大広間へと戻す。

 息せき切って飛び込んできたのは、オートザムのジェオだ。筋骨隆々のその肩を怒らせて、大きな歩幅であっという間にクレフの側までやって来た。

「貨物船が消えている。すみません、こちらの失態です」

 彼は、貨物船に積まれた通信機から本国へNSXの手配をしに行っていた。貨物船の停泊している場所へ行くと、眠っているオートザムの乗組員が転がされているだけで、積み荷を降ろすことなく貨物船は姿を消していた。

「オートザムへの連絡は、プレセアが戻れば何とかなるだろう。今全員を呼び戻している。もう少しすれば―――」

 先程に負けず劣らずの大きな音を立てて扉が開き、二人は入り口へと目を遣った。異世界の二人の少女が立っている。その後ろから、次々と呼び戻した人々がやってきた。

「クレフさん、聞いていただきたいことがあります」

「さっき聞けなかったことも、今度は話してもらうわよ」

 詰め寄る二人とクレフの間に、戻ってきたその足でフェリオが割って入った。

「焦るなと言える状況じゃないが、今は落ち着いてくれ。導師クレフ、チゼータとファーレンの姫君達が到着されました。今から始めますか?」

 チゼータとファーレンというフェリオの言葉に、海と風は振り返った。懐かしい顔が大広間へと入ってくる。タトラが二人の姿を見つけて、おっとりと手を振っていた。その横で、タータは照れたようにそっぽを向いている。

「フウ!」

 飛びついてきたアスカを抱きとめ、風は彼女の視線に合わせるように膝をついた。

「アスカさん、お久しぶりです」

「フウ、今度こそあの約束を果たしに来たのじゃ!」

「アスカ様、今はその時ではありませんぞ。我々がなぜこの国に赴いたのか思い出しなされ」

 チャンアンの言葉に、アスカはふと風の顔を覗き込んだ。常に穏やかで温かな笑みを浮かべていたその顔が、何かを堪えるように僅かに歪んでいる。

「わらわは、フウを…セフィーロの人々を助けるために来たのじゃ。わらわが来たからには、もう安心じゃぞ」

 小さな手で風の手を握ると、勝ち気そうな笑顔を見せる。その笑顔に、硬くなっていた風の表情もふわりと緩んだ。

 そうしている間にも次々と人が集まり、朝よりも更に大きな円卓が用意され、各々が席についていく。その輪に、海と風も並んで加わった。

「どうやらお急ぎのようですので、畏まったことは抜きにして始めてしまいましょうか」

 タトラの口調は相変わらず穏やかなものだったが、その顔に笑みはない。射抜くような視線に、海は彼女が王女であると同時に戦士であることを思い出した。

「では結論から申し上げよう。セフィーロは今、侵略行為を受けている」

 そう言ってクレフが円卓の上に持ちだしたのは、一つの彫刻だった。大理石のような、滑らかに光を返す白い石。着色されていないそれは、長いドレスを纏った小柄な少女の姿をしていた。ウェーブのかかった長い髪は、額の飾りから少女の背丈よりも長く、波打つように彫られている。少女は、祈るように胸の前で手を組んでいた。

「エメロード姫の、彫刻?」

 不思議なものを見るようにそれを見つめる海に、フェリオは頷いた。彼にとっては姉を象ったものだが、それを見る目は厳しい。眉間には深い皺が刻まれ、肉親を懐かしむ様子は微塵もなかった。

「これが、セフィーロのほとんどの村で見つかっている。そして、これが発見された場所では例外なく魔物による被害が出ている」

「それは…本当にこの彫刻のせいなのですか? 魔物は人の心が生み出すものですから、人が集まる所に多く現れるのは自然なのでは?」

 風の言葉に、フェリオは苦虫を噛み潰したような顔をした。彼とてそれを考えなかったわけではない。そうであれば、どれだけ気持ちが救われるか、と。

「いや、この像を中心に何かが起こっているのはほぼ間違いないだろう。問題なのは、この像を使って何をしていたか、だ」

「セフィーロの柱は、この国にとって神に等しい存在。神の像にすることと言えば、信仰、崇拝…というところでしょうか」

 タトラの推測に間違いはなかった。苦しげに顔を歪めたクレフの様子が、それを肯定している。

「セフィーロの人々は、その像に何を祈っていたんですか?」

 イーグルのその問いに、クレフは瞳を閉じた。その瞼に疲労が色濃く表れている。導師として、セフィーロの誰よりも強く立ち人々を導いてきた彼が、なぜこうも躊躇っているのか。海は心の中でずっと疑問に思っていたが、クレフのその様子にふと気がついた。彼は、セフィーロの人々を信じようと努めているのだ。あの崩壊を共に乗り切り、新しい国を築いてきた人々を。それなのに、信じたいという彼の願いとは裏腹に、このような事態になっている。それでも、今でも必死に信じようとしているのだろう。

 次に瞼を上げたクレフは、初めて真っ直ぐに人々を見つめた。疲れていても、今もなお強い光がその瞳には宿っている。

「セフィーロの者達の望みは、柱の復活だ。己でこの国を支えることを放棄し、柱の復活を望む。放棄する心がこの国を不安定にし、魔物が増え、魔物に脅える心は更に柱に縋ろうとする。そして遂には、お前達の招喚を許してしまった」

 柱の復活―――先程二人で話していた仮説が、悪いことに当たってしまった。やはり自分達は魔法騎士として招喚されたのではないのだと、海は唇を噛み締めた。

「これが単純にセフィーロの者達の望みだけであったなら、我々で対処すべきところだ。しかし、どうやらそういう訳でもないらしい」

「セフィーロの人々をそのように仕向けている存在がある、ということですね」

 像に特別な何かはない。しかし、魔物の急増と、何かに取り憑かれたように祈りを捧げる人々。魔法騎士の招喚に歓喜し、昨日は城にまで人々が押し寄せてきた。

「お前達の招喚と同時にここに人が押し寄せたが、その様子が幻術にかかっている状態と似ていたのだ。しかし、我々の魔法でどうにかできるものでもなかった」

 恐らくは、この国の魔法ではない。セフィーロの外から、この国の内部を食い破ろうとする存在がある。

「我々には、他国に関する情報がほとんどない。…ご協力願いたい」

 遅めの昼食を摂りながらも、イーグルの隣に腰掛けるランティスは難しい顔を崩さないままだった。

 引き留めていなければ城を飛び出して帰ってこないところだろうが、いくら意志の世界でも食事は必要不可欠だろう。この国の外を探さなければならないのであれば、尚更だ。

「もうちょっと待ってくださいね。NSXの手配はしましたから」

「つっても、どこをどう捜すんだ? セフィーロ以外の国ってーと、範囲が広すぎてどうにもならんぞ」

 貨物船のルートを辿ってみようと試みたものの、セフィーロを出たところから先は分からなくなってしまった。船の信号から足がつかないよう、相手も流石に考えていたらしい。

「さっきのあの像から、何か見つかればいいけどな。俺は何の役にも立てなかったけど…」

 各国で順番にエメロード姫の像を調べているが、ザズには特におかしな点は見つけられなかった。材質はプレセアの言っていたとおりセフィーロのもので間違いはなさそうで、精神エネルギーが特別どうということもない。少なくとも、オートザム風に細工がされているわけではなさそうだった。

「…てかさ、あの皇女様の視線がすごい怖いんですけど…イーグル何かした?」

 ザズが盗み見た先には、アスカ皇女の射殺さんばかりの鋭い視線があった。視線の先は真っ直ぐイーグルへと向かっている。ザズには、イーグルが彼女と特別会話をしていた記憶もない。

「あー、あれはなー…イーグルに怒ってるっつーより、オートザムに怒ってるっつーか、その怒りが全部イーグルに行ってるっつーか…」

 巨大な子ども風船に襲われた記憶が甦る。形振り構わない子どもの怒りというのは恐ろしいと、ジェオはつくづく思った。

「オートザムの貨物船で逃げられたわけですから、こちらを疑っているんでしょう。皇女はあのフウという魔法騎士を慕っているようですから、彼女を悲しませる輩が許せないんだと思いますよ。それに、以前の戦いでオートザムが先手を打っていた事が気に入らないみたいです」

 ファーレンの知らぬ間に、イーグルはセフィーロ城に侵入して柱候補にまでなっていた。NSXを退けて一安心と思っていた裏でそのようなことが起こっていたのだから、アスカは怒り心頭なのだろう。それでも彼女が直接何も言ってこないのは、チャンアンが睨みを利かせているからか、彼女自身が少しは大人になったからか。

「前の戦いで思い出したが…柱を復活させるのに、なんでわざわざ異世界から呼び戻したんだろうな。結構な一手間だろう。イーグルを柱にした方が余程効率がいい」

「仮説は色々考えられますけどね。僕が柱候補だったことを知らなかったか、僕では何か不都合があるのか、それとも、ヒカルでなければ―――」

 バキ、という物が壊れる音で、イーグルは言葉を途切れさせた。隣のランティスは先程からずっと昼食を睨みつけたまま微動だにしなかったが、握るだけ握っていた金属製の匙が綺麗に折れている。

「ランティス…壊しちゃ駄目ですよ。ジェオ」

「はいよ」

 皆まで言わずとも察したジェオは、立ち上がろうとしたランティスの両肩を素早く押さえつけた。「何をする」と睨み付けるその視線の鋭さは、先程の皇女様のものとは比較にならない。ザズはぎくりとしたが、ファイターのジェオは何ともないというように平気な顔をしている。

「お前が一番、単独行動しちゃならねえ人間だろうが。さっきのお嬢ちゃん達の話を聞いたろ?」

 魔法騎士二人の話では、ランティスの姿を真似た何者かがいる。光が騙されたのだから、小手先の変装ではないのだろう。ランティスに勝手に行動されては、誰もどのランティスが本物か分からなくなってしまう。

「焦る気持ちも分かりますが、焦っているだけでは解決しませんよ。こちらも頭を使わないと」

 ランティスに限ったことではないが、セフィーロの人々は皆、良くも悪くも素直すぎるとイーグルは思っていた。意志の世界に住むにはその方が都合が良いのかもしれないが、巧妙な手段を用いる者が相手では分が悪い。

「自分の姿を真似られて気分は悪いでしょうが、考え方を変えればこれは大事な手掛かりです」

 手掛かり、というキーワードに、漸くランティスはジェオと張り合うことをやめた。イーグルに向けた目はまだ鋭いままだったが。

「まず、ランティスの言葉がヒカルにどれ程の影響を与えるか知っている」

 側でザズがふにゃふにゃと呻いたが、イーグルはそれには取り合わずに話を続けた。

「そして、僕とランティスが親しいことも知っている」

「それに、さっきお嬢ちゃん達が言ってたように、あのちっちゃな女の子のことは知らない、と」

「そうですね。……最後は断言できませんが、ヒカルがあの戦いに責任を感じていることを知っていた―――つまり、ノヴァがどういう存在かを知っていた、ということも考えられます」

 ただ、戦いの中でイーグルを助けられなかった…というだけでは、光を責めるには弱い。しかし、あのノヴァが光の心の影だと知っていれば。

「そこから辿っていけば、相手の尻尾はきっと見えますよ」

 にこりと笑った親友に、ランティスは紫色の瞳をすっと細めた。

 2012年11月12日UP