その向こう側2 2
東京タワーに到着した後、一行は一旦解散する。折角なので、浴衣に着替えてもらうのだ。
獅堂家にはもちろんあの二人が訪ねたのだが、今はそれぞれ別の部屋で浴衣に挑戦している。
図体のでかいランティスは、長男の覚に浴衣を借りた。
「案外似合うものですね」
「……」
セフィーロの服に比べると風通しがよくて落ち着かない。少し顔をしかめているが、覚はにこにことしていた。
「弟二人が失礼なことを言うかもしれませんが、許してやってください。あの二人もその内きっと慣れますから」
問題の二人にそのような兆候は見られないが、とりあえずランティスは頷く。彼にとってはあまり関心のないことだった。元々、他人からの評価を気にする人間ではない。
「イーグルさんとは手合わせしましたが、あなたもお強いらしいですね」
その頃イーグルはといえば、別室で優に着替えを手伝ってもらっていた。優の意地悪を淡々とかわし、それの仕返しをしながら「すみません、ちょっと勝手がわからなくて」などとにこやかに応対している。
「光もどんどん強くなっていきますし…向こうで一緒に練習などされているんですか?」
「…少し」
光はといえば、母に手伝ってもらって用意は済ませたものの、いつのまにか母が消えてしまっていて「?」となっていた。
その時、玄関の方でガラガラと音がする。光は「翔兄様が出かけたのかな?」と思いながら団扇で涼んでいた。
「兄さん、入っていいか?」
優の声がして、返事を待つより先に襖が開く。
どことなく疲れた感じの優と、浴衣姿のイーグルが立っていた。部屋に入り、襖を閉める。
「そっちも準備できたみたいだな」
浴衣を着たランティスを上から下まで見て、優が言う。
「ああ。光もそろそろじゃないのか?」
覚はそう言うものの、妹の着替え中に遭遇するのは嫌なので、呼びに行こうとはしない。
そうして、ぞろぞろと居間の方へ移動を始めた。
「いつもの服より、そういうもののほうが似合うんじゃないですか?」
イーグルがランティスを見上げる。そういう彼は、普段の服のほうが似合っている。浴衣だと、何となくちぐはぐな感じだ。
「そういう渋い色のほうがいいんですよ、あなたは。あの白い服はどうにも王子様のようで。どうして黒をやめたんですか?」
前を歩いていた覚と優は「普段どんな服を着ているんだ、異世界人」とものすごく気になったが、きっと聞いても理解できないだろうと思って何も尋ねないでおく。
「白を着だしたのは俺だけじゃない」
確かに、セフィーロの人々は今まで以上に白を好んで着るようになった。おそらく環境が変わったことによる心境の変化なのだろうが、ランティスの場合は明らかにそれだけではないような気がして、直接本人の口から聞いてみたかったのだ。しかし、もちろんランティスは答えない。それはイーグルにもわかっていたことだった。
「まぁ、黒は圧迫感がありますからね」
曖昧にその話題は終わり、どやどやと居間へ入る。男四人が入ると、そこそこ広いその場所が途端に狭く感じる…いや、四人ではなかった。
「…あれ?」
最初に声を出したのは優だ。目の前に、二人。にこにこした母親はいつもの母親なのだが。
空席のはずの上座に、誰かいる。
「と、父さん!?」
その声に、その場の全員が驚く。見た目は、優以外驚いているようには見えないが。
「よかったわ、覚えていてくれて」
そう言う母は嬉しそうだ。そして、座るようにと手で促す。仕方なしに、全員腰を下ろした。
「ちょっと見ない内にでかくなったな」
十年やそこらはちょっとではない。当たり前だろ、と優は思う。父本人はいたって真面目なのだが、その真面目が度を越える辺りが、この父親は変わっていないと思った。真面目すぎるのにその努力が中々実を結ばないから、幼稚園児に負けて修行に出るなどということになるのだ。
「あなた、子ども達の名前、ちゃんと覚えてるの?」
なんともすごいことを聞く母親だが、それだけ長い間、この大黒柱は家を空けていた。世間様から見れば、どうしたって覚が大黒柱なのだが。
父は咳払いすると、一人一人の顔を眺めて回り、人差し指が動き出した。
「覚だろ」
少し迷ってから、本人の覚に指先が定まる。一番上の子どもなので、別れた時からそれほど顔つきも変わっていない。迷ったのは迷ったが、さすがに間違えなかった。
「優に」
指先はランティスを向く。優本人の頭が項垂れる。
「翔」
次は優の方へ。
「そちらは、どなたのお友達かな?」
明らかに髪の色が違うイーグルは、家の子ではないとわかったらしい。
「イーグル・ビジョンです。初めまして」
誰のお友達と言っていいものやら、ということで、名前だけを告げておく。
いえいえこちらこそ、と父が頭を下げたところで、三男がやってきた。
「なんか騒がしいけど…」
と言いかけたところで、入り口で動きを止める。父と最後に会ったのは小学生の低学年か、それを過ぎるかぐらいの時。記憶はあやふやなのである。
「…父さん?」
翔本人にとっては賭けに出た発言だったが、そう言われてにこっと笑った父を見て、当たりだったと気付く。
「お前も大きくなったな。ほら、着替えて来い。今度は負けないからな」
なんのことだか翔にはわからない。むしろ父以外全員わからない。
父の勘違いが何か理解した覚が、誤解を解こうと口を開く。
「父さん、そいつは」
「光、お前ももちろん強くなったんだろう?」
「はあ?」
親戚に、覚や優と間違えて呼ばれたことはあっても、まさか妹と間違えられたことはないので、思わず無遠慮な声が出る。
その他の人々も開いた口が塞がらないのだが、ランティスはというと「トウキョウではこういう挨拶をするのだろう」とよくわからない納得の仕方をしていた。無口で無表情の彼がどうして旅などできたのかというと、この、ある意味柔軟な理解力のおかげだったのかもしれない。カルチャーショックなど、彼の辞書にはないのだろう。
そして、これだけ騒いでいれば当然末娘も気付くわけで。
どうしたんだろうと思って覗きに来たのだが、居間を見回して、光の思考と動きが止まった。
翔ですらあやふやだった父の顔。幼稚園児だった光が覚えているはずがない。
慣れない浴衣姿と結い上げた髪が意外に重くて少しふらふらするのとで、いつも以上に冷静に考えられず、「もしかして違う人の家に入っちゃったのかな」と考え出した頃、イーグルが声をかけた。
「大丈夫ですよ」
そう言って手招きする。少しほっとして、光はイーグルの隣に座った。しかし、頭の中は相変わらず「あの人誰?」のままである。
「イーグルさんの彼女さんですか?」
「ええ、まぁ―――」
「違うだろう」
父の言葉をちゃっかり肯定してしまうイーグルに、ランティスがすかさず否定の言葉を入れる。こういう時だけ口が早い。
何がなんだかわからない状況で、翔は先程から父にがっちり肩を掴まれていたのだが、母がこほんと咳払いをした。それを合図に翔が解放される。
「子ども達の名前、間違ってるわ」
むしろ末っ子は何か根本的に間違えられている。産んだ母としては何とも悲しいことだ。
「覚は…合ってるわ。あなたの代わりにずっと師範を務めているのよ」
覚は軽く頭を下げる。
「優はこの子。今は大学生ね」
困ったように笑う。しかし、今となっては翔に間違えられただけまだマシだと思えてしまう。
「あなたのそばにいるその子は翔。今高校生よ」
翔は、呆れてものが言えないようだった。父から離れて、空いているところに腰掛ける。
「で、光はあの子。中学生よ。折角おしゃれしたんだから、手合わせはまた後にしてね」
「…末っ子は女の子だったか?」
なんて失礼な。と兄達は思ったが、光が髪を伸ばし始めたのは父がいなくなってからだ。それ以前は、確かによく男の子と間違えられていた。しかし実の父親が間違えるのは、やはりあんまりである。
「光、この人は父さんだ。覚えてるか?」
覚の問いに、光は力いっぱい首を振る。こっちはこっちで失礼だが、こちらは仕方がない。幼児期には、人の顔などロクに見ていないものだ。大人ならなおさら、身長差がすごすぎてよく見えていない。
「それより、外国の方がいらっしゃるとは聞いていたけど…二人も、それに男の方だったのね。お名前は?」
先程自己紹介をしなかったランティスの方を見る。
「…ランティスだ」
「お二人とも、どちらの国からいらっしゃったんです?」
来た。と兄三人は思った。なんとも説明しづらい。しかし、母の問いは先程から何やら考え込んでいた父の言葉に消されてしまった。
「女の子だったのか…あんまり強くなってなさそうだな」
その口調ががっかりした様子を含んでいたので、ランティスが条件反射のように言い返す。
「ヒカルはセフィーロの剣闘師を負かす程の腕前を持っている。弱いはずがない」
セフィーロの柱を守る親衛隊長には、セフィーロで一番強いとされる者がつくので、ランティスの後任となったラファーガはセフィーロで二番目に強いことになる。導師クレフなどを含むとどういう順位になるのかはわからないが、とにかく強いのだ。
それはともかく、セフィーロだの剣闘師だのと言われても、両親にはわからない。
「あの、あまり気にしないでください」
余計なことを言ったランティスを肘で突付きつつ、にこやかにイーグルが話題を流す。
「それよりヒカル、約束の時間は大丈夫ですか?」
「そうだ! そろそろここを出ないと。皆もう待ってるかも」
ぼーっとしていた光がぱっと立ち上がり、それに続いてイーグルもランティスも立ち上がる。覚も、見送りに出るために立ち上がった。
四人が部屋を出て行った後、しばらく居間の中はしんとしていたが、やがて母が口を開いた。
「…光ったら、もしかしてデートなの?」
嬉しそうな母に、優も翔も唸るだけである。
「まだ中学生なんだろう? 交際なんて、そんなものは許さんぞ」
それはアンタが言えたことじゃないだろ、と息子二人は心の中でこっそりツッコミを入れていた。
2006年09月17日UP